青春を駆け抜けたロック喫茶店(2)

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green grassがあった場所。市役所のすぐ近くだ。

『House of』にいると、時間はゆっくり流れた。窓の外を見ると、ちょうど窓枠が額縁の代わりになり、静かに動く風景画を見ているようだった。その風景からは詩が生まれ、歌が生まれ、絵が生まれた。
一度、自分が作詞作曲した歌を、アコースティックギターの弾き語りをテープに録音し、マスターに聞かせようと持って行ったことがある。偶然客が誰もいなかったため、その時を狙いスピーカーから流してもらった。改めて自分の歌を聴くとひどかった。完全に場壊しだった。しかし、マスターは何度もかけ、よせばいいのにお客さんが来てからもまたかけた。恥ずかしかった。
恐らく、歌そのものよりも曲を作ってそれを聴かせようとした私の行為を喜んだのだろう。その証拠に、東雲町にあった『green grass』で行った私のプライベートコンサートに店を抜けてわざわざ聴きに来てくれた。

『House of』にはボルシチがメニューにあった。生まれて初めて食べて、市内の他店には勿論無かった奥さん特製の逸品だ。この特製ボルシチを昼食にすることが時々あったが、たまに作りおきが無い時は出来上がるまでずっと待った。それくらい美味しかった。
この奥さんは日本人離れした美人で服装のセンスも素晴しかった。同年代の男だったら、何とか話すチャンスを作れないかと機会を探ってしまうだろう。また、持ち前の明るさから市内に色々な知人を持っていた。彼女の紹介でジーンズ専門店に私が作ったデニムバッグを売りに出してもらったことがある。これは最後まで売れなかったが、それを知った友人には新たに作るデニムバッグを格安料金で注文を受けることになった。

楽しい思いほど長くは続かないのが世の常だ。『House of』が閉店する時がやって来た。理由は、奥さんの妊娠だった。確かに私たちのようなコーヒー一杯で長時間居座っている客を相手にしていると、金にはならなかったのだろう。マスターは札幌に戻り、ジョン・レノンのような長髪を切り、サラリーマンとなった。

『House of』なきあと、『green grass』に行く頻度が高くなった。高校3年の冬だった。
その頃、イーグルスの「Hotel California」が世界的な大ヒットとなっていた。完璧な曲だった。歌もメロディーも演奏も文句の付けようが無かった。そしてこれで「ロック」は終わった。

その後札幌に移り住んだ私は夫婦の家に時々遊びに行った。店から離れたマスターは私にこう言った。
「〇〇君(私の事)たちは可哀想だね。熱中するものがないから」学生運動と私たちの世代の違いのことだった。
そして、奥さんは函館のことをこう言った。

「函館は、街は好きだけど、人は嫌いだ」

ショックだった。あの笑顔の陰でそんなことを思っていたのか。ところが、この言葉はやがて単に初めて聞いただけという事実となった。その後今まで、他都市の人から何度もこれと同じ意味の言葉を聞いている。その度いつも複雑な思いになる。その人が言う、嫌いな函館の人とはどのような人のことなのか?

2年ほどして帰省すると、『green grass』は店主が替わっていた。そしてスピーカーからはマイケル・ジャクソンの「スリラー」が流れていた。
もう何もかも終わったのだとつくづく思った。

ある意味、私の時間はその時から大きく動いていない。いくら遠ざかろうとしても惹きつけられる街「函館」で育った私が背負った「函館の人は嫌いだ」という何人からも聞いた言葉を払拭できずにいる限りは。
by jhm-in-hakodate | 2010-02-22 23:53 | 函館で出会ったもの | Trackback | Comments(3)
Commented by nob at 2012-09-03 11:38 x
House Of ...をここまで語れるのはすご過ぎる。感動して読ませていただいた。

あの店がなくなってからず~っと経っておじさんになったころ界隈を歩いてみた。そこは当時の建物のままスナックになっていた。入ってみると店内の構造は変わっていない。トイレのドアを開けてみた。壁のポスターが3Dのように目に入ってきた,まったく同じカルロス・サンタナだった。その狭く臭い空間だけはHouse Of そのもの。まるでそのドアがタイムマシンの入口に思えて空間がぐにゃりと歪んだように感じた。そしてそのドアを閉めた。もう今は立て替えられて過去に戻るドアもないけど。
Commented by jhm-in-hakodate at 2012-09-05 20:12
お返事遅くなってすみません。読みごたえのあるコメントでしたので、こちらのコメントも考えてしまいました(笑)。

ただひとつ私が言えるのは、閉店した以上、面影は無くてもいい、それだけです。自分や仲間の記憶の中に永遠に残っていればいい。
Commented by 同級生だったロック仲間 at 2012-11-13 10:34 x
偶然・・・拝見して感動いたしました・・・想い出したくても思い出せなかった過去・・・HOUSE OF ・・・ボルシチ(笑)ありがとう!もう1軒、高校の近くにロックのお店があって そこも長髪マスターと素敵なロングヘアーの女性が・・・2階に暮らしてて・・・が Green Grass だったかな?・・・よく通った 悪い高校生でした(笑)・・・
きっと お会いしてますね・・・覚えております・・・エピフォン・・・札幌でワールドロックフェス・・遠い昔・・・またいつか!