食べ物の好き嫌いが多い人は、人の好き嫌いも多い

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東川町海岸から見た立待岬。

このことは40代になってから、ふとしたきっかけで気付いた。物凄く人の選り好みをする上司が、食べ物にも極端な好き嫌いを持っていた。それから自分の過去や他の人の関連性を見ていったら、やはりそうだった。

自分の場合を話そう。私は特に思春期頃から食べ物の書き嫌いが多くなった。魚はほとんど食べれなかった。その頃、好きな人間は全く問題なく付き合っていれたが、嫌いな人間は徹底的に嫌いだった。そんな状態がしばらく続いた。
24歳になり、まともな仕事をしようと入社した会社に入ってから、先輩たちとよく飲みに行くようになった。すると、居酒屋などではまとめて注文するため、自分の好きな物ばかり食べれなくなったのだ。困ったが食べないと腹が満たされないし、仕方なく嫌いだったものも食べ始めた。それを繰り返していると、嫌いなものが食べれるようになったのだった。
その背景には、会社の人たちと仲良くやっていきたい、意味のない拒絶はする必要も無いという考えがあった。というより、年齢的にももう子供でもないため、社会というものを受け入れて見てみようという考えが基にあったのだ。
それから、嫌いな食べ物の種類は年々減っていった。もちろん、未だに嫌いな食べ物はある。しかし、10代の頃に比べると大差がある。

自分のそんな経験や、他人の特徴を長年見ていくと、タイトルのような考え方になっていった。この関連性について、自分なりのきちんとした分析ができていないため、ここでどうしてかということを自信を持って言えないが、ただひとつ言えるのは、自分が物事を受け入れる姿勢になっていないと、好き嫌いは変わらないままだ。つまり、心の問題であるということだ。

余談であるが、現代はこのような好き嫌いが激しい者や、自らが病に倒れ入院してしまうタイプの者が、役職者になることが多い。つまり、健全でまともな人間は昇って行けない、不健全な世の中であるということの証でもある。
by jhm-in-hakodate | 2010-04-06 23:50 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)