函館人の軽さ
先日、会社で雑談をしていたら、話の流れで私が相馬哲平のことに触れた。話し相手の20代の社員はきょとんとした表情をみせた。相馬氏が何者なのか全く知らなかったのだ。すると周りで聞いていた社員たちから笑いがこぼれた。
30代の管理職社員は「今の若い人はそんな古い人のことは知らないよ。私もおばあちゃんから話を聞いたから知っているけど、親からは一言も聞いていない」と、まるで私が大正時代の人間かのように揶揄した。私をフォローする者は誰もいなかった。
私は危惧を覚えた。ある程度は予想できていたことだし、私の年齢からいって古い人間と言われても仕方ない部分は確かにある。
問題は「今の若い世代」に函館の歴史を何も伝えない一般家庭と教育機関である。私自身函館の歴史的事実を知り関心を持ち始めたのは30代後半からだった。やはり、10代の頃には何も教えられてはいなかった。だから、相馬氏を知らなかった20代社員や笑った周りの社員自体を批判するつもりはなかった。
危惧を覚えたのは、私の話が古いという認識を持つ風潮のことだ。
人間、多かれ少なかれ自分のルーツというものに関心を抱くものである。信じるかどうかは別として、あなたの前世はと言われたらなぜか聞き入ってしまう。それは、今ここに存在している自分というものを確かめたいという意識から生じるものである。社会という大きな世界の中で自分の足で歩こうとする時の心の支えとしようとするものである。
函館の歴史を知ろうとすることは、自分のルーツ、すなわち家系図を辿っていくのと同じ意識から自然に生じてもおかしくない現象であるはずだ。また、それを伝えて行くのが中高年世代の役目であるはずである。
ところが、函館の人(北海道全体に言えることだが)は、まるで生まれたらすぐに自分の力で立ち上がり、一人だけで生きて来れたかのように「歴史」というものを軽く扱う。数々の環境という外的要因にも影響を受けながら今の自分に至ったということを認識する風潮はない。だから次の世代にも伝えようとしない。
本州では、北海道人にはきっと理解できないであろうと思うほど地元に対する歴史の意識が強い。甲州では今でも武田信玄のことを悪く言ったら喧嘩になるという話を聞いたことがある。また、信州とか備前のような江戸時代の呼称を今でも大切に守っている。北海道を蝦夷と日常的に呼ぶ人間はいない。
確かに北海道は本州からの移民によってできた土地だ。(この表現は多少自分でも疑問を感じる。先住民族がいたからだ)そのせいか、あまり過去に囚われない自由な風潮があるという側面もある。しがらみが無いということだ。しかし、歴史を語り継がないということとは別のことである。悪い意味での「軽さ」である。
美瑛の丘を見、帯広近郊の牧場や畑を見て、綺麗だとか広大だとか感じることはあっても、その地を何十年にも亘って耕したすさまじい労苦を想像する人間はどれだけいるだろうか?明治時代にトラクターが既にあって、1~2年で作られた風景として見てはいないだろうか?
そんなことに危惧を感じた私は、笑った社員たちに向かって思わず少しむきになって話した。
「今まだ函館が30万人近い人口がいるのは、北洋漁業やドックが駄目になっても、相馬哲平の時代の人たちが建てたものを見に来る観光があるからだ。もしそれが無かったら、今頃函館は10万人台の都市になってしまっていたかもしれない。その観光で継続している仕事があるから市中に金が回って自分たちが今働くことができているのだ」と。
私のような考えの者は、もしかしたら函館において少数なのかもしれない。確かに私の母方の祖先は遠く室町時代かそれ以前から道南に居住していた家系だ。それも私の無意識のどこかにあるのかもしれない。
次回は非常に個人的なことで恐縮だが、私の祖先のことについて話します。
高田屋嘉兵衛を知っているか?という質問を函館の20歳の人たちに尋ねたところ、知らないという返事が返ってきたのです。
驚きとともに、これではいけないと思いました。
jhmさんの同僚ってことは、「ゆとり教育」の影響ではないでしょうが、私らの小学校の頃は社会科の授業の中で「函館の歴史」についての時間がありましたが今はないのかな?
相馬さんについては函館ローカルかもしれませんが、高田屋嘉兵衛は全国区でしょ?
最近の若い人は本を読まないと言いますが、司馬遼太郎も読まないのかな?
地元の歴史上の偉人となると人が変わったように熱くなる人たちを沢山知っていますが、地元のエスタリブッシュメントとも言える人の名前も知らないというのは・・・・ですね。
市内にも歴史を熱く語る方はいます。しかし、若くなればなるほど名前すら知らない人が多くなるのは事実です。これは私たち中高年層の人間の責任であると痛感しております。
行政に限らず民間企業であっても「効率一本やり」よりも「多少非効率でも情のある」やり方の方が長い目で見るとbeterなんですがね。
>小学校での勉強 教科書とは別のガリ版刷りの副読本があって、江戸時代〜近代までの歴史を勉強しました。
学校前にある「天皇行在所跡」の碑から当時は未だ祝祭日でなかった「海の記念日」に函館が深く関わっていた話や、本の短い期間でしたが啄木がここで教えていたことがあるってこともその時間に知ったことです。
クラスの中にはエスタブリッシュの係累もいたりして、次の授業まではヒーローだったりもしましたよ。
在函の皆さん、声を大にして小学校に「函館の歴史」の時間を作るように働きかけてください!
地域の為に貢献してくれた人の名と業績は後世まで伝えることが大切ですね。
だからこそ、全市的な取り組みが必要と思います。こんなにすばらしい歴史と物語が詰まっている街はそうざらにないのですから。
私も写真大好き、古い建物も好きで、ガンガン写真を撮るタイプです。憧れだけでなくて、色んな面が見れて上っ面だけで無い「函館」を知ることが出来ていいブログに巡り会えて嬉しいです。少しうっすらと「?」だった謎が「!」なるほど・・・と。これからもお邪魔したいなぁと・・・どうぞよろしくお願いしますね。
お身体の方はどうですか??大変でしたね。
こちら、関西でも「胃腸風邪」が流行ってますよ。同僚がダウン!家族5人がノロにやられたそうで・・・。(怖い~(ー_ー)!!)
小説!!楽しみです!!(*^_^*)
本も大好きなので!長い文章も読みますょ!!
でも、最近は、専門書ばかり・・・ですが・・・。
なんか、色んな事が面倒になってしまってる自分がいます。
お休みの日は、お昼寝が一番の幸福に!
「するめ女」みたいになってますね。いかん!!楽しい事想像します・・・ね。
☆函館のクリスマスのツリ-・・・綺麗でしょうね☆
金森倉庫あたりをウロウロしたいです!!絵になる風景が一杯でしょうね(*^_^*)
まとまりがなくなっちやいましたが・・・スイマセン。
こちらこそ!これからもよろしくお願いします。
相馬哲平氏は、箱館戦争の際に巨万の富を得て、その後豪商として一時は日本のベスト20に入った資産家です。
函館の街に対する「報恩」の事業も数々実施し、有名な話としては、資金不足でとん挫しそうになった公会堂建設の費用を、哲平氏個人の借り入れを日本銀行からおこして寄付したという逸話もあるほどの人です。
青森、いいですね。私はまた8月に行きます。奥入瀬をたっぷり歩き、透き通るような写真を撮れたらいいなと思っています。
知る人ぞ知る函館の恩人ですね