「はだしのゲン」をリアルタイムに読んだ世代

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元町のある店の座り物。

今日は広島に原爆が投下されて65年目の日に当たる。広島では平和記念式典が執り行われた。毎年式典の模様をテレビで観る度終戦記念日が近いのだと確認する。そして、どうして私たちの日常会話の一部にこの原爆のことが出てこないのか不思議に思う。
私のツイッターのフォローをしている人々は主に函館の人が多いが、原爆の話をしたのは僅かであった。函館は広島や長崎から遠く離れているとはいえ、まるで広島・長崎が別世界の出来事のようにツイッターは続いていた。普段はつまらないことを呟く私でも今日はとてもそんな気分になれなかった。

それには理由がある。
私が中学生の時、毎週欠かさず読んでいた「少年ジャンプ」に「はだしのゲン」という楽しくも笑えもしない恐ろしい漫画が連載され、それを読んでしまったからだ。

とても怖かった。原子爆弾というとんでもない兵器によって、人々の体にガラスが幾つも刺さり、眼球が垂れ落ち、皮膚が溶けて水を求めて歩いていく。「みず、みず」と最後の力を使って川に向かい、そこで朽ち果てる。川には水を求めて力尽きた死体が重なるように並んでいた。そして夏の高温ですぐ腐敗した死体の臭いが鼻をつく。友達と出会っても顔が溶けていてすぐわからなかった。どこを見ても希望を見出せるものはない。地獄以外の光景を見ることは決してなかった。

こんな漫画は初めてだった。最初は作り話だと思った。だが、想像力を使って描いたものとしてはあまりにリアルであったため、この漫画は本当に作者が見たものを描いているのだと思ったら益々怖くなった。
この世にこんなに恐ろしい出来事が実際に起きたのだ、と初めて知った。

10代の多感な時にこの漫画を読み、本当に戦争は嫌だと思った。きれい事を並べる平和主義者を気取っているわけではない。本当に嫌なのだ。

自分や家族や友達や好きな人々が悲惨な死に方をしてしまうのが本当に嫌なのだ。

ただそれだけだ。戦争とは、狂った状態の中で殺人を正当化してしまう。正義になってしまう。

想像してみてほしい。
あなたの胸に弾丸が命中し、皮膚を突き抜け、骨を砕き、肉を一瞬にして裂き開き、血が噴水のように飛び出していく自分の姿を。

想像してみてほしい。
あなたの家族の足元に爆弾が落ち、原形がわからなくなった肉片がその辺りに散らばってしまう瞬間を。

想像してみてほしい。
あなたの愛する人が船や飛行機で撃墜され、あと僅かの間に確実に訪れる死を待っている時に何を想い何を考えて最期を迎えるのかを。

想像してみてほしい。
避難先から家に帰ってみると、そこには誰もいなかった。そして、それが永遠のことだとわかった時のことを。

広島は遠く離れた別世界のことではない。たまたま広島だっただけのことだ。
by jhm-in-hakodate | 2010-08-07 00:27 | 社会・経済について | Trackback | Comments(2)
Commented by sy-f_ha-ys at 2010-08-07 06:04
私の父方の家は代々東京で暮らしていますが、昭和20年5月の空襲で小学校に入ったばかりの父の妹を亡くしています。
幼かった父の妹は当時女学生だった叔母たちに手を引かれ、爆弾をさけるように逃げていたそうですが、焼夷弾の破片が頭に刺さり命を落としたそうです。いつもは凄く元気な叔母したが、その話になると「どうして私じゃなくてあの子に爆弾が落ちたのかしら」と涙ぐみながらこの話をしていたのを思い出します。その空襲で父の家は全焼してしまったそうで、空襲で亡くなった父の妹の写真は残っておらず、墓碑に名前が刻まれているのと祖父が荼毘したという小さな骨壷が家の墓地に葬られているだけです。
戦争を知る私の親族も殆どが亡くなってしまい、もっと子供のころにそういう話を聞くべきだったと後悔しております。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-08-07 22:46
sy-f_ha-ys様、大変貴重なお話をお聞かせいただきありがとうございました。
私もそんなに多くの話は知りませんが、戦争の悲惨さと悲しみは少しだけでも誰かに伝えれるのではないかと考えています。
東京はそのような話が多くあると思います。お互いに機会があれば若い人に伝えていきましょう。