忘れてはならない、「ばんだい号」墜落事故

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ばんだい号が墜落したと思われる横津岳の山の斜面。

昨日は群馬県の御巣高山に日航ジャンボ機が墜落して25年経った日であった。単独航空機事故としては世界最大となる520名もの死者を出した凄惨な事故は記憶に残っている方もかなり多いだろう。
この事故で顕著に伝えられたこととして、事故現場近くに散乱していたダイイングメッセージが、その殆どが家族宛だったことだ。会社や仕事のことを記したメッセージは全くなかったという。悲惨な事故の結果と共に人間の本質を教えてくれた。

だが、私たち函館のすぐ近くにも「凄惨さ」という点では決して忘れてはならない航空機事故があったのだ。若い方や他都市から移住してきた方は知らないかもしれない。そこで簡単に事故の概要を記す。

昭和46年7月3日午後6時過ぎ、札幌丘珠空港発函館空港行き東亜国内航空(当時)の63便のYS-11型プロペラ機が、管制塔との通信が途絶え横津岳山頂付近の山腹に墜落した。乗員・乗客計68名は全員死亡。捜査に協力した人から漏れ伝えられた話によると、遺体が木の枝にぶら下がっていたり、人間の原形を留めていなかったりと、現場は悲惨そのものだったという。
その日の天候がちょうど昨日のような雨に加えて強風が吹き、飛行としては限界ぎりぎりの状態であったという。

実は、私はこの事故があるまでは横津岳という名前の山があることを知らなかった。事故発生当日は墜落場所が特定されず、翌日になってやっと横津岳で発見された。繰り返されるニュース報道で知った横津岳の方向を見やりながらこんな近くでとんでもないことが起きたのかと、中学生ながらに事の重大さを噛み締めていた。それまで、航空機事故のニュースは北海道以外で起きていたものばかりで、どこか別世界の出来事に思っていた。というより、現実感を把握できなかった。

この事故により、どこにでも事故は起きるのだと実感した。ひょっとしたら今いる家の部屋に飛行機が突っ込んでくるかもしれない。そんなことは絶対無いという保証はどこにもない。と同時に乗客乗員も犠牲となる。
最近の飛行機や航行システムの整備によって昔よりも事故は激減した。だから無用に飛行機の危険性を伝える意図はない。だが、その安全性は数々の事故と数多くの犠牲者によってもたらされたものであることを私たちは忘れてはならない。その犠牲者の魂は、今日快晴でよく見える横津岳に眠っている。ご冥福を祈る。

下の写真は昨日、似たような天候状態の横津岳に車で登り撮影したものだ。物事は机上で考えても伝えられない。だから現地に行って写真撮影をした。
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横津スキー場への道路をひたすら山頂に向かって行くと、このような看板と出会う。ここで車停める。
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慰霊碑に続く坂道。道が細く歩いて行くしかない。何か重い空気を感じる。
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スキーリフト乗降所附近から見る雲海。昨日は雲が二層以上になっていたことがこれでわかる。
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ばんだい号慰霊碑。碑附近にはロープが張られ、近づくことができなかった。
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下山途中に見た雲。ばんだい号はこのような雲の中を航行中に墜落したのだろうか。
by jhm-in-hakodate | 2010-08-13 11:53 | 函館の歴史 | Trackback | Comments(0)
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