函館の持つ文化の力
ここ1ヶ月、いわゆるカルチャーショックを受けている。といっても、とてもいい意味でだ。
そのきっかけを作ってくれたのが、東京から長期滞在した阿形佳代さんであることは間違いない。
私もいつしか文化的なの創造物は、雑誌や美術館などで見るものばかりと自分の中での位置づけになってしまっていた。だが、日常的に「文化に接しているか?」と言われたら決してそうではなかったと思う。
まるで著名な作家や高尚なものを鑑賞することが文化に接しているかのように思い違いしていたと思う。
思えば10代の頃、芸術家は身近にたくさんいた。ミュージシャンは勿論のこと、銅線を曲げたアクセサリー作家、劇団に所属しながら詩を作っていた人、絵を描きながらロックボーカルをやっていた者。そのような人々に触発されながら、自分もギターを弾き、詩を書き、小説を書いていた。
文化は飯を食べるのと同じくらい日常的な身近にあった。
作品は手に取って見た時に一番その力を感じる。作品を作った者の傍に寄り、「ちょっと見せてください」と間近で見ると、作者と作品から何かを感じさせてくれるものだ。雑誌の写真でどんなに上手に美しく紹介されていても、実物には決して敵わない。
阿形佳代さんは東京では幾つもギャラリーでの展示の他、東急百貨店本店でも個展を開催されたほどの人であるが、私にとっては、彼女と話をしながら作った工芸品を手に取って見せてもらうのがとても楽しい。そして親しみを感じる。
同じように、丹崎真由子さんの作品の撮影会も、とても心がうきうきした。自らの作品を真剣な眼差しで並べている彼女を見ていると、それだけで何とも言えない力を感じてしまう。背景と作品がぴったりマッチした時、彼女は子供のように大喜びし、一緒に並べ方を考えた自分もまるでその空間が共同作品であったかのような、作った彼女には大変失礼な錯覚を覚えてしまった。
丹崎さんの作品が写真撮影されたのは始めてであったという。私はハンドメイドフラワーのみならず、もともと彼女の専門分野であるラッピングという、日常的には注目されずに当り前のように取り扱われているものを追求している彼女が気になり、声を掛けた。
ちょっと目を凝らして周りを見ると、このような素敵なものを作っている人はいるのだ。今後、そのような「素敵な感性を伝えてくれる」人に出会ったら、私ができる範囲でどんどん紹介していきたい。そして、それを見た方は作品を手に取り、肌で作者の感性を感じ取ってほしいと思っている。
阿形佳代さんは来年函館に移住してくるという。函館には文化が次々と生み出される土壌があるのだ。感性のある人は函館のそこに惹かれる。だから、建物のみならず文化全般も廃れさせてはいけない。埋もれている素晴しいものを作る人はまだたまだいるはずだ。
それはものを創ると言う事は自分をさらけ出す事だからです。
本来の魅力を理解していない市長や市民の代表者による、方向性の誤った行為を改めさせなければならないでしょう。
もちろん本人が嫌がるのであれば仕方ありませんけど。
だから、行政の過ちは市民として正していかねばならないと思います。