激動の歴史、八幡坂の旧函館無尽
この建物は、旧北洋相互銀行や旧函館無尽として紹介されることが多い。函館市景観形成指定建築物である。ところが、銀行の変遷を調べると、さながらバブル崩壊後の銀行再編を思わせるような歴史を知ることができる。
まず、「無尽」という言葉を知らない方のために、簡単に説明を。無尽はの発祥は遠く鎌倉時代に遡ると言われている。有志が金を出し合い、相互扶助という形で集まった金の中から融通していたのが始まりとされている。それが、江戸時代には大衆金融機関のひとつとなり、明治に移ると営利を目的としたものとなっていった。そのため、無尽は会社組織となって、函館無尽は後ろに株式会社が付いた名称となっていた。
以上が簡単な無尽の説明だが、函館無尽の前身は大正貯金株式会社という名称で大正2年にスタートしている。大正5年に函館無尽株式会社と改称され昭和15年までその名称で営業されていた。この建物は大正12年築であるので、その当時の銀行名で「旧函館無尽」と称されるのは間違いではない。だが、北洋相互銀行となるまでの変遷がすごい。
昭和15年に拓殖無尽株式会社を合併し、同名称となるが、すぐさま昭和19年には小樽無尽と合併。他の5無尽と併せて北洋無尽株式会社となった。その後、戦後の銀行法の改正により、昭和26年に北洋相互銀行株式会社となり、平成元年に北洋銀行となったわけだ。
そして注目したいのは、この建物の上部にあるモルタルか何かで消したと思われる、銀行名の最後がいったい何だったのかというところだ。字数からいったら北洋相互銀行ではないことは確かだ。では何だったのか?それを想像してみるのも、建物を見る上での楽しみのひとつである。
いつもお読みいただきありがとうございます。
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商業施設に生まれ変わる歴史的建造物もいいですが、個人宅になっているところが函館らしいです。
どうみても重厚なオフィス建築。個人の方がどのようにお住まいになっていらっしゃるのかずっと気になっていました。想像して楽しむことにします。
この建物の内部が気になりますね・・・裏側が貸部屋に
なっているようで,左横がカフェですからね・・・
向かって右となり,八幡坂角の現在元歯科医院跡地が
北海道写真の祖・あの土方歳三の写真を撮影した
「田本研三」の写真館であった事はけっこう知られておりません。 その後大火により南部坂に移転しましたが・・・(*^^)v
すいません 関係ないお話で失礼しました。
密かにみんなの憧れになっているのですね。私も中の様子が気になります。
田本研造にほんのちょっとだけ身近になったような気になりました。ほんのちょっとだけですが(笑)
オシャレな家に住んでみたいです。。。