会社は誰のためのもの?

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ハリストス教会の階段。

何年前だろうか?会社は誰のためのもの、という議論が盛んに行われたことがあった。有識者たちは、株主のためのもの、社員のためのもの、などの意見に分かれた。この時、私はある意見が出ていないことに気が付いた。
そんな折、新聞にある大学の教授の意見が掲載された。その方の考えは、「会社は社会のためのもの」というシンプルなものだった。私もそう思っていた。そうあるべきだと強く考えていた。

だが、現実はやはり違う。
本日、電力会社の株主総会が実施され、質疑応答の動向がニュースで報道された。焦点は脱原発であった。株主の一部が脱原発を訴え採択が実施されたが、反対多数で否決となった。
当然の結果だと思った。株主総会で脱原発が採択されるとは全く思っていなかった。ある投資コンサルティング機関(?)の者のコメントでは、原子力の代替発電方法が確立していない時点で、脱原発を謳ったら、その電力会社への経営不安が増幅され、必然的に株価が下落するからだ。

もし、私が電力会社の株を保有し、資産の配分上大きなウェイトを占めているものだったら、原発継続に賛成してしまうかもしれない。やはり、自分の資産価値を下げたくないからだ。
社会に対する影響よりも自分の財産を守りたい。それも無理もない話だ。このような心理はどんな場合においても働いてしまう。それが人間の業だ。

本ブログでは何度も何度もくどくど言っているが、資本主義は「自分さえ良ければ、人などどうでもいい」という考え方だ。だから、冒頭の事案で議論しても、「会社は社会のためのもの」という意見がなかなか出ないのだ。
しかし、それでもあえて言う。この社会で能動的に影響を与えている組織は、全て社会のために存在しなければならない。小さな単位が集合して社会を構成している。小さな単位でも、同じ方向へのベクトルを共有すると、大きな力となり、社会に大きな影響を与える。だから、会社は社会のためのものでなくてはならないのだ。

自己の利益という利害に挟まれて物事を考えると、公共性を失うことが多い。もちろん、未熟な私にはそんな誘惑に負けてしまうことが数多くあるため、偉そうなことも言えないのだが、どうせ貧乏なのだから、同じ貧乏なら世の中が安心できて、より平和な貧乏の方がいいと思ってしまうのであった。


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by jhm-in-hakodate | 2011-06-28 23:02 | 社会・経済について | Trackback | Comments(0)