函館を語る(2)

函館を語る(2)_a0158797_22173338.jpg
函館港のカモメ。

私が以前住んでいた苫小牧市には、しばらくの間ある都市計画が毅然として存在していた。「職住分離政策」というものだった。大雑把に言って、苫小牧駅より東側は工業地域、西側は住宅地域と分け、都市計画事業が進められた。東側の事業はご存知の苫東開発であった。国家的プロジェクトに乗り、苫小牧市は昔もてはやされた都市理論である「職住分離」を、都市の魅力のひとつとして掲げていた。住宅地開発のほとんどは市が行った。土地区画整理事業組合を市が設立し、西へ西へと土地区画整理を実施し住宅地を拡大させていった。
職住分離するべき理由の大きな要因は、工場により空気汚染であった。つまり、工場から排出される汚染物質は東側に集中させ、その影響を受けない地域に住宅街を作る。これはある意味、正しい方針であったと思う。実際、東側のマンションに居住していた方が、定年退職を機に、西の外れに家を建てて引っ越すと、持病だと思っていた喘息がなくなったという方を知っている。また、苫小牧市の中心的存在のある企業の方から聞いた話では、その会社では大気中の汚染物質を独自に測定したら、東側と西側では大きな結果の差が出たという。もちろん、その会社も汚染物質を排出しているため、公表はされていないのだが。

そのように、理想としては素晴しい計画であったが、大きな誤算があった。ひとつは、苫東開発が頓挫したことだ。バブル崩壊と工場の海外流出によって、目標を大きく下回る数の企業誘致しかできなかった。今や、苫東は壮大な道路つきの原野となっている。それはそれで見物としては面白いのだが、経済ということを考えたらとんでもない無駄使いである。
もうひとつは、その苫東開発によって市の人口が30万人に達するだろうという予測のもとに、前述の住宅地開発がされた。当然こちらも予想を下回る住宅数しか建設されなかった。だが、とんでもないことに、苫東開発の頓挫が明らかになっても、住宅地の整備は着々と進められたのだった。
理由は何だろうか?これは想像だが、土地区画整理事業は今年計画して来年実施というような容易な事業ではない。準備だけでも何年もかかる。そういう類のものなのだ。計画を立ち上げると、そこから地権者との利害関係が生じる。そうなったら、もう止めたくても止めれなくなってしまう。仕方なく事業だけは進めて、自然を壊し、あまり使われない上下水道を敷設し、宅地開発を進めた。

そんな土地開発に転換期がやって来た。トヨタの苫小牧進出計画であった。市は大喜びで歓迎した。そんな市の足元を見たのかどうかはわからないが、トヨタは勤務地の近くに従業員が住むことのできる住宅地域を作ってほしいと要請してきた。
そこで、苫小牧市はそれまで湿地帯で住宅地に適さないとされていた沼ノ端地区の大規模な土地区画整理事業を実行した。過去の苫小牧市のひとつ土地区画整理事業の中では最大のものだった。そして、もうこの時点で職住分離はなし崩し的になってしまった。人の健康より、企業誘致による経済効果、税金収入が優先されたことになる。先程の空気汚染の話は昔の話ではない。つい近年の話だ。

沼ノ端地区で供給された土地は人口5万人分である。つまり、今苫小牧市には人口17万人のところに、35万人分の住宅地があることになる。そのおかげで市内にはいたるところに空地があり、街全体が物寂しい雰囲気を漂わせている。特に新しいはずの東側地区(沼ノ端に隣接する地区)は空虚なものを感じざるを得なかった。それでも人は東側に移り始めた。
その要因として挙げられるのが、この沼ノ端地区開発の後を追うように、沼ノ端に続く国道沿いに大型郊外型店舗が建設され、その中でもイオンショッピングセンターができたことだ。これが決定的だった。人々は、勤務場所にも近いし、買物も便利であるし、新しい街だということで、東側を居住地として選んだ。一戸建てやアパートが次々と建設され、JRの特急列車も沼ノ端駅に停まるようになった。

私が以前いた会社から苫小牧転勤を命じられて、アパート探しに街をあちこち回った時に、この東地区には住みたくないと思った。先程も述べたが、空虚な新しさを感じた。陸の孤島のようにも感じた。苫小牧に関しては特別の想いも事前情報も何もなく白紙状態で見て回ったのだが、直感的にそう思った。だから棲家は昔からある住宅街のアパートを選んだ。
なぜだろうか?近年の利便性というものは、工業製品のスペックと同じようなものではないのだろうかと思う。例えば、車のカタログを集めて比較する時、馬力であるとか、トルクであるとか、燃費、エンジンの種類、標準装備のものなどのスペックを見比べたりする。より良い数値を持ち合わせている車の方が優秀で、それによって車選びをする。携帯電話もそうだ。カメラもそうだ。スペックで選ぼうとする。
だが、スペックと愛着を持てるものかどうかは別である。数値的に劣っていても、愛着を感じて手放せないものはいくらでもある。そこに投影する感情が、文化を作る。

はっきり言う。地方都市において、「現代のスペック的」な利便性を追求したものからは、文化は生まれない。もしあったとしても、中央で作られたものをいいと思って消費し、何となくテレビで見たものを手に取れたかな、という程度の文化である。
独自の文化は、それらを無視するわけではないが、一線を画し、孤独に自問自答した中から生まれるものだ。ただ全国的に均一に与えているものからは、そのようなものは生まれない。生まれるのは消費するだけの文化だ。生産できる文化ではない。

地方都市が、その特性を生かせるのは大きな意味での文化以外にない。これも以前私が住んでいた街のことであるが、新潟県の燕市・三条市には金物製造という世界に誇る技術を有している。これも、突然降って湧いたものではない。
この地域を流れる信濃川は毎年のように洪水が起き、両市の稲作は壊滅状態になることが多かった。そこで、窮地を救う手段として、最初は釘、次に農具と金物製作で生活の足しとしていた。ところが、金属物の使用が全国的に広まると製造物の種類も増やし、それと共に技術も熟練され、近年では英国王室に献上される洋食器を作ったり、ノーベル賞授賞式の晩餐会にも使用されるカトラリーの製造もされるほどの水準の高さとなっている。
そして、この両市合わせてたった19万人ほどしかいない地域に、アークランドサカモト、コロナ、オーシャンシステム、三條機械製作所、北越工業、遠藤製作所、ツインバードという上場企業を輩出している。函館市の人口は28万人であるが、上場企業は登記簿上で本社所在地となっているジャックスと再建中のテーオー小笠原だけである。上場すれば何でもいいのかという問題は別として、自分たちにはそれしかないという思いから、街独自の文化を研鑽していった結果がそのような形で出ているのは確かだ。

独自の文化とは生産から生まれる。中央から来た画一的な店舗で消費するだけでは文化は生まれない。私が、郊外型店舗に依存する街が典型的な衰退型地方都市と述べたのはこのためである。燕・三条市にも一部にそのような地域があるが、町の一部にできた遊園地程度の拡がりしかない。それよりも圧倒的な存在感を誇示しているのが、地元企業であり上場企業でもあるアークランドサカモトの「ムサシ」というホームセンターだ。
どこにでもある郊外型店舗に行くより、ムサシに行く方が、私は数段楽しかったし、カルチャーショックを味わった。そう、そこは生産できる文化を持った独自性という強さと魅力があったのだ。

さて、これらのことを踏まえて、次回はいよいよ函館のことについて述べたいと思う。


いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ
 
by jhm-in-hakodate | 2011-08-06 01:07 | 函館の現状について | Trackback | Comments(0)