函館を語る(4)

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船見町で見つけた工事標。いったいいつのものだろうか。

前回、資産家が街の形成のための金を出さなくなったと述べた。これはある意味、時代の流れだ。自由競争資本主義社会では「自分さえよければそれでいい」という本質を持っている。業績悪化した企業が、人員削減策を打ち出したら株価が上がる。ただでさえ不景気な世の中に失業者が増えたなら、余計に消費が鈍化し、不景気のスパイラルに世の中全体が陥ってしまうのに、株式市場ではその会社の株価は高くなる。
理由は簡単だ。投資家は自分が投資している会社の株さえ上がればいいからだ。世の中のことを考え、たとえ苦しくても雇用を継続している会社は評価されない。それが市場経済だ。
企業は会計上、有価証券などの資産も時価で計上しなければならないから、投資家に評価される方法を選ぶ。株価が下がれば営業利益があったとしても、赤字決算になることは多くある。それを避けなければならないのだ。また、決算上少しでも黒字にならなければ、金融機関からの資金調達もできなくなる。それも、投資家に喜ばれる手段を講じてしまう理由だ。

函館も例にもれず同じだ。それは形を変えた「自分さえよければ」の特質を持つ人々が有している。
『アンタッチャブル』だ。

それらの人々は、函館が栄華を誇った時代に所有地を広げていった。その時代はそれで良かった。不動産取引の主要資金調達が現金であった時代には、土地建物両方を購入できる人は限られていたからだ。借地に家を建てるのであれば、少しまとまった金ができた者にも自分名義の家を建てることができる。その時代はそれで上手く回転していたし、結果的に借地契約上の「建物を解体したら借地権の返上をする」という条件が、西部地区に古い建物が残存することにもなった。

だが、世の中全体が土地建物の個人所有を望む時代になると、借地は大きな障害となってきた。昔の地域への貢献者は、代が変わると借地料を主体に収入を得ようとする不労所得者となった。だが、アンタッチャブルだ。
また、旧亀田市への街の広がりをみせた時代にも、同様な傾向があった。昔は畑であった土地が住宅用地と変貌する中で、一部は売却して現金を作ったが、一部は子供に残すために売却をしなかった。彼らもアンタッチャブルの一員となった。

個人という視点で考えると、彼らは別に法を犯しているわけでも何でもなく、個人が持つ権利の中での自由意志の行動をとっているだけだ。そういう意味では非難される必要はない。
だが、結果的に函館市内には所々に大規模な空地を出現させることになった。その最も顕著なのが現在の西部地区であり、亀田本町地区であり、富岡地区だ。このような空地が残されたまま、今後函館の人口が減少を続けたら、よりその周辺には人が住まなくなるだろう。なぜなら、人口が少ない地区には商業施設ができないからだ。

そうなると、どうなってしまうか?函館の中で商業施設が比較的集中している地区、すなわち大門駅前、五稜郭、湯の川、美原、昭和桔梗だけが残り、その間にある地域は空洞化する。
函館にいくつもの「村」が誕生してしまうのだ。そう、私たちが郊外の町村地域を走っている時によく見るあの風景だ。まぁ、そこまで極端ではなくとも、その時はもう都市機能がどうのこうのというレベルではなくなってしまう。村と村を行き来しなければならない、「市内の郡部」が誕生するのだ。

そんな恐れのある中、現在建設中の外環状線周辺の市街地開拓などは間違っても行わないことだ。ただ村を増やすだけにしか過ぎない。まして市街化調整区域の指定変更などはもっての外である。
人口や経済が拡大していた時代にはそれも必要であっただろう。だが、これからはそうではない。大きな経済成長も見込めず、人口の減少が確実な時代では、ただいたずらに自然環境破壊を行うにすぎないのだから。

私たちが体験した経済成長は、自然を犠牲にして成り立ったものだ。私が札幌に住み始めた昭和50年代にはまだ地下鉄沿線の地域に住んでいても、窓を開けていると蝿が室内に侵入してきたものだが、いつしか気付くと蝿も蚊も入らなくなった。下水道の整備もあるだろうが、虫すら住めないほどに自然が無くなったということだ。そして、その傾向は函館にもある。
これもまた、地球環境という視点で言うと、「人間さえよければ地球なんてどうでもいい」ということになる。それが現在の経済の基本論理からの副産物だ。自由経済という薬物を注入し続けた結果の副作用だ。

経済論理は転換期にある。世界は今までの経済論理から生ずる歪みを現在体験している。世界も日本も函館も、「自分さえ良ければ他はどうでもいい」という論理から脱却しなければならない必要性がある。

現在、旧亀田市と合併する前の旧函館市(本庁管轄、湯の川支所管轄、銭亀沢支所管轄)の人口と旧亀田市(亀田支所管轄)に七飯町・北斗市の生活圏内人口を加えた人口はほぼ同じくらいだ。ところが、商業圏は旧亀田市に機能が大きく移っている。これもまた、ひとつの歪みなのだ。

次回に続く。


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by jhm-in-hakodate | 2011-08-18 04:00 | 函館の現状について | Trackback | Comments(6)
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Commented by hirune-neko at 2011-08-18 11:41
あくまで私見なのですが、
再開発や活性化を主導する人たちに
一番求めたいのは、感性でありセンスです。
つまり、目に見えるものを組み合わせて
開発や活性化を考えるのではなく、
目に見えないもの、即時の換金性、商品化に
結びつかないもの、実はそこにカギがあることに
気付いて欲しいと思っています。
もちろん難しいことであり、主導者の歴史や
文化に対する見識に、大きく左右されますので
正直言って、悲観的に見ていますが
でも、諦めてしまうのは、さらに
いけないことだと考えており
私なりに、自分の守備範囲で努力しています。
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-08-18 23:31
hirune-neko様、いい点をついていらっしゃいますね。私も次回以降にその点を柱にして書く予定であります。
Commented by アンテナ at 2011-12-10 23:37 x
唯でさえ人口が減っているのだから、地方である函館もその影響を直に受けるのは当たり前。ざっくり言って、今は中央集権国家から、地方分権へ移行しようとしている最中。あまり悲観的になっても疲れますよ。
Commented by おおきな オセワ at 2011-12-15 09:28 x
「資産家が、街の形成にお金を出さなくなった」との指摘。文化、芸術、スポーツ等々にも同様な事が散見されるような気がします。
企業活動の目的は、利益を上げることが唯一であり、手段としてどの様な方法を取ろうと、目的は利益です。「金は、汚く集めて、きれいに使え」との言い方があります。人間の価値は、集める時ではなく、使う時に評価されます。評価される人間が少なくなったのですね・・・。
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-12-18 12:16
アンテナ様、金の使い方については同意します。ですが、人口減については、日常生活と都市機能に絡んで来ますので、誰かが声を上げていなければならないと思っている次第です。
Commented by jhm-in-hakodate at 2011-12-18 13:22
おおきなオセワ様、全くの同意。街を守ることは自分も守るということだと思います。