ソニーと太刀川家
最初に断っておくが、この話は人伝えと一部ネット上で調べたものであるので、どこまで正確かはわからない。だが、全くの信憑性がない話でもない背景があったため、本ブログにて掲載することにした。
また、当初は実名を挙げるのもどうかとも思ったのだが、ソニー創業者の一人の盛田昭夫氏の語録にもあるようであるし、ネットでも調べることが可能であったため、きっと知らない函館市民も多くいるのではないかと思い、記載してみることにした。
ソニーの創業者は前出の盛田氏と井深大氏である。この井深氏の父親の従兄弟にあたるのが、太刀川米穀店の太刀川善吉氏であった。ところが、井深氏の父は早く亡くなり、早稲田大学在学中であった大氏は、底をついた井深家の財産では賄えずに、善吉氏から送金を受けていたようだ。
つまり、太刀川家と井深氏は単に親戚であったということだけではなく、金銭的な関わりももっていたということだ。この関係はソニーの前身である、東京通信工業時代にも繋がっている。
何と、東京通信工業の株の55%を太刀川家が所有していたのだった。これは、先代の妻が亡くなった時、葬儀に自家用ジェットで駆けつけた井深大氏が周囲に語ったとされる話だ。つまり、ソニーは太刀川家の出資によって始まったと言っても過言ではないのだ。
また、東京通信工業の創業時には経理関係の取締役として太刀川正三郎氏が就任している。銀座のソニープラザの経営も太刀川氏が携わっていたという。それほど太刀川家とソニーは密接な関係にあった。
それだけではない。東京通信工業時代に資金の工面のために、東京から幹部が何度も太刀川家を訪れたという話もある。
ソニーが上場して大企業へと変貌していく過程のどこかで、太刀川家は株を売却して金銭利害関係はなくなったようだが、井深氏は恐らく太刀川家に足を向けて寝ることができないくらいの恩があったのだろうと想像される。
これらのことは伝聞とネット情報からのものであるので、どこまでの信憑性があるかわからないが、全くのでたらめではなさそうだ。そう考えると、太刀川家がなかったら、「世界のソニー」は今存在していなかったということも充分考えられる。
このあたりが、函館が繁栄していた時代の豊富な資金力を表す逸話の一つであるのだろうか。知らなかった私が恥ずかしい。
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そのようなつながりが真実であれば、息子さんがそこにお勤
めで、一介のサラリーマンが到底住めないような場所に住まれてるのも納得納得。
息子さん、そうだったのですか。うーん、やはり。
新卒研修後に第三製造部次長の太刀川卓爾氏に呼ばれ、機械系大卒4名、高卒2名、中卒勤務経験5年位の者計7名は以後2年間実習生として一切の業務は行わず、機械技術習得に努める指示を受けました。
私達は4期生と呼ばれ、この制度を確立された太刀川次長の元で研鑽しました。
創立21年目入社で既に成長企業として成果を上げていた企業でしたが、太刀川次長は機械系技術者・技能者不足を指摘され、自ら実習生制度を設けられました。
入社後、太刀川3兄弟のご長男はソニー倉庫社長、ご二男はソニー診療所耳鼻科医師、ご三男が我々の上司で有る事を知りました。
本年11月4日付け日経新聞プラス1にて、文化財カフェ東3位に「函館タチカワカフェ」紹介記事を読みまして、太刀川次長のご実家を知りました。
ソニーの出資者として盛田家は知られておりますが、太刀川家の存在の大きさに驚きました。
太刀川次長は日大文系ご出身とお聞きしましたが、在学中よりソニーを訪れ、機械系の助言をしたそうです。大賀元社長も東京芸大在学中より出入りされて音質系に意見を述べられていたそうです。
芸大卒業生の藤山一郎氏も同様に音質系統に助言され、ソニー社歌を作曲されまして私も入社式では歌唱指導を受けました。
ソニーの成功には井深さんの電気開発者頭脳と盛田さんの営業努力の結果と評される事が多いのですが、太刀川家の資金援助とご子息達のサポートも知らしめてください。
今後のご活躍を期待しております。
ソニーの中での太刀川家の存在はやはり特別であったようですね。資金のみならず実務での貢献もご教示のようにしたとなれば、本当に太刀川家がソニーの縁の下の力持ちであったということが名実ともにあったのだと知らされました。
もっとこのことは函館市民も世間も知ってもいいと思っています。何か新たなことがわかりましたら、このブログでお知らせしたいと思います。