キティとミッフィーの無表情

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まちセンから見た十字街。

無表情という言葉がある。つまり、表情が無いということである。私なりにより正確に言うと、
「無表情という表情の状態」である。
だが、違う意味で捉えることができる。仏教の「無」の表情、という意味だ。一応、国語辞典では、「表情に変化がないこと」と、その意味が記されている。ということは、時間の経過が必要になるのだが、一時的な表情でも無表情と表現されることがある。ということは、やはり無の表情なのか?

その言葉の定義を追究するために、この記事を書こうとしたわけではない。
以前にも似たような意味合いで、「無と仏像」という記事を記したことがある。無に至った時の表情はこのようなもものだろう、という意味で仏像の表情を示した。
ところが、最近になってあることに気付いた。長い年月、女の子に衰えぬ人気を博している、キティとミッフィーの両キャラクターも、よく見ると無表情なのである。確かに、これらのキャラクターの表情も、怒っているわけでもなく、喜んでいるわけでもなく、考え込んでいるわけでもなく、快楽におぼれているわけでもない、そんな表情をしている。

その表情がもたらすもの。それは、見る側の心理によって異なってくる。無表情であるからこそ、その時の気分によって表情の捉え方が変わってくる。自分の都合のいい捉え方ができるのだ。
これが、例えばキティが明らかに笑っていると誰もが思える表情をしていたとしたら、人の色々な気持ちを投影することはできない。例えば、悲しい気持ちの時に、笑ったキティを見たとして、その笑顔で気を取り戻すこともあるかもしれないが、反面、人が泣いているのにへらへら笑いやがって!と憎く見えてくることもあるだろう。
ところが、キティやミッフィーにはそれがない。怒る対象とはならないのだ。自分のその時の気分によって変幻自在に表情の意味合いがかわってくる。だが、本当はキャラクター自体は何も変わっていない。見る側の心理状態が変わっただけなのだ。

何か、同じような意味合いのことを何度も述べた気がしたが、だからこそ、感情の起伏の多い小さな子供に人気があるのだろう。

そんな結論を得た、10月最後の日である。


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by jhm-in-hakodate | 2011-10-31 23:53 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)