市民それぞれの函館山の意味

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函館山は、言うまでもなく函館のシンボルである。
そう思っていたのは、どうやら私だけのようだ。

先日、日吉町で生まれ育った人と話している中で、私が「函館山がいつも見れる家はいい」と話したところ、それのどこがいいのか、という意味の言葉を返された。
私は驚いた。
私は勝手に函館市民はみんな函館山を大なり小なり愛していると思っていたからだ。

「函館山の上から夜景を見たりするのはいいけれど、下から見ても特に何も感じない」と、彼は言った。
そうか、考えてみると日吉町からは日常的に函館山が見えるとは限らない。西部地区に住んでいると、嫌でも視界に入ってくる。その違いなのか。私はそう自分を納得させた。

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だが、この違いは、そのまま西部地区に対する思いの違いでもないだろうか?そんなことも連想させた。つまり、市民にとっても西部地区は観光地であるのではないか。

だが、函館山の麓で育ったものにとっては、函館山はまるで引力でも持っているかのような魅力を持った山だ。
西部地区に辿り着くと、母親に抱かれた赤子のような安堵感を抱く。帰るべき場所に帰ったのだ、というような気持ちになる。

だから、私にとっての函館山と山麓の街並は、観光や、車を初めて運転した時に大沼にドライブに行くような遊びのためのものではなかった。
ただただ自分の体内にある組織のひとつであるだけだった。

他都市に住んでいた時、帰省した時にめに飛び込んでくる函館山の姿にどれほど心が安らかになっただろうか。
札幌に住む妹も、無意識のうちに山とロープウェイが見れる藻岩山山麓のマンションを買った。
それは函館を離れてみて強く思い知ることだ。

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育った場所によって感じる、この違いは仕方ないことだろう。
だが、この違いを持ったまま人々が混在しているのが、函館だ。
そして、もっとも危惧するのが、市街地の拡大によって、私たちのような山麓育ちの人間が酸くなることだ。
住まなくては理解できない、この感覚を言葉で伝えるのは難しい。
ひょっとしたら、その難しさは、西部地区の日常的な魅力を伝えることと同じくらいのものなのかもしれない。

そして、最も伝わりづらいのが、観光や仕事で訪れた人々ではなく、日常的に函館山や山麓に接していない市民なのかもしれない。
そう考えたくはないが。


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by jhm-in-hakodate | 2012-03-20 23:51 | その他雑感 | Trackback | Comments(1)
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Commented by まーしー at 2012-03-21 23:19 x
函館山はシルエットがいい山だと思っています。一度、函館を離れた人なら、なおさらそう思うのではと思うのですが、ずっと函館だけに住んでいる人には、その感慨はうすいのかもしれません。自分の街にどれだけ誇りを持てるのかということは、どれだけ愛しているのかということでしょう。愛すればこそ、批判もしたくなる。しかし、そういう声が聞かれなくなりつつっていうことになったら、、、と思う今日この頃です。