個人攻撃主義
本日の日本シリーズは酷かった。誤審も当然だが、「一度下したジャッジは変えない」というのが美談だったのはテレビのない時代のことだ。これだけ明らかな誤審を訂正しないのは、ジャッジメントの能力がないと視聴者に思われるだけだ。
今の時代は間違いを認める審判の方が、「勇気ある行為」として評価されるのではないだろうか?これはスポーツだけに限らない。上司と部下の関係もそうだ。上司が立場上間違いを認めないのは、時には哀れに見えてくる。それだけしか自分を認めてもらう手段を思いつかないのだろうか?そんな風に思う。
会社の上下関係だけではない。明らかな失策を犯した企業の記者会見などでもそんな場面がよくある。過ちを認め、それでも新たな方策を立てて人を説得できるのが本当の「力」だと思うのだが。
さて、本日の題材はそんなことではない。
もう10年近く前から感じていたことだが、現代の日本は、個人主義ならぬ個人攻撃主義になっているのではないかと思う。ということだ。
こう感じるのは、SNSの広がりによって多くの国民の声がはっきり聞こえるようになったせいもあるかもしれない。確かに、かなり以前から、何か過ちを犯した者へのマスコミの病的な集中砲火は目に余っていた。話題性が欲しいマスコミにとっては恰好の材料が見つかったということであるのかもしれないが、それにしても、そこまでやるかという取材・報道が数多くあった。
だが、それも実は民意の反映であると思う。
つまり私たちは誰かを責めたくてしかたない、ということだ。
なぜそうなるのか?
バブル崩壊以降、個人能力主義というリストラに便利な考えが導入されたあと、サラリーマンは自分が首切りにあわないよう戦々恐々として毎日を送るはめになった。
「仕事があるだけでもまだましだ」という不況の中、言いたいことも言わずにただ我慢して会社の指示する業務をこなすしかなかった。
我慢をするということは、当然フラストレーションが蓄積されてくる。心も不安定になってくる。だが、会社には言えない。下手に会社と喧嘩して職を失い、自分や家族を路頭に迷わせるようなことができないから。
そこでモヤモヤの捌け口となるのが、何か過ちを犯した「個人」となる。それも日常的な人間関係のない相手だったらやりやすい。一部のネット上では汚い罵倒が交わされ読むに堪えないやりとりが続いてしまう。
それに嫌気の差した人々は、相手がはっきりわかるFacebookに逃げ込んだ。
しかし、みんなFacebookではいい子にならなければならない。当然だ。本名と顔写真が公開されているからだ。まだ日本には、自分の考えを率直に述べても人格を認め合うという風習はない。だから当たらず触らずの文言の羅列に終わってしまっている。
ここでもフラストレーションは積み重なってしまう。どこにも逃げ場がなく、行き着くところは、「責めても関係のない第三者」に行ってしまう。それか明らかに弱い者。つまり個人だ。
誰かの非を責めるとどのような効果が得られるか?正義ではない。自己正当化だ。自己満足だ。
「こんなに自分は真面目に耐えて頑張っているのに、とんでもないことをする奴は攻撃してやれ!」そんな心理が働く。そしてその時、周りを窺う。誰か他にも自分同じことをやっている者はいないか?いたらそれに乗じてやってしまえ。
これが個人への集中砲火のシステムだ。
何かと似ていないだろうか?そう、いじめだ。
どんなに正論っぽく語っても、このシステムの中での心理構造は単なるいじめなのだ。
個人は弱い。だから同意を求めたがる。「常識」や「正論」と思われるものにすがって生きていくしかない。だが、「常識」や「正論」は多数の人間が思っていることを差す場合が多い。その多数がいじめの心理構造の中での思考をしていたとしたらどうなるのか。
いつまでもいじめや児童虐待のニュースはなくならないだろう。
人間は弱い。やはりシステムの中でしか生きていけない。システム大きく外れてしまうことを恐れる。
問題なのはシステムなのだ。しかし、そのシステムは私たちがつくっている。自分たちが作ったシステムに自分たちの首が絞められていて、かつ、自己正当化をしながら自分の立ち位置を確保しようと思えばシステムに乗っかるしかない。
何とも悲哀に充ちたものだろうか。
そして嘆く。もっといい世の中になれば。だが、何度も言うが社会は私たちが作っているのだ。
社会を変えたければ自分が変わるしかない。自分は変わらず社会だけが変わって欲しいなどとは虫がいい話だ。
そうしなければ、この歪んだ社会を私たちの子供や孫たちに与えてしまうことになる。
そんなことを自分に言い聞かせる。
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