哀しき大町

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その名前とは裏腹に、西部地区で最も小さい町が大町だ。
常盤坂から基坂、バス通りから西浜までという狭さだ。

この狭い町も、かつては函館の水産業の要となる地域だった。小熊倉庫があり、日本水産や大洋漁業の事務所があり、現在のJOEは海産商、MOSSTREESは船具屋、そして新島襄の渡航出発地、相馬㈱、数々の名士たちの邸宅等、間違いなくまさに「古き良き函館」の中心のひとつであった。

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それが現在では、こんな小さな町ながら、西部地区で最も上の写真のような「空地が続き、1本向こうの道路(電車通り)まではっきり見える」箇所が多い町となっている。
上の写真の手前側は、つい先日また解体によって空地となった場所だ。

そして、この通りは明治時代馬車鉄道が走るほどの賑わいをみせていた。だから、旧堤商会(現在はロマロマが入る佐藤商会)や太刀川米穀店、旧遠藤梅吉商店(現JOE)などの名だたる名建築物が並んでいる通りとなっているのだ。

その馬車鉄通りを擁する大町は、今ただ哀しさだけを漂わせていると言っても過言ではない。

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今の西部地区が持つ問題を凝縮して抱えているのが大町だ。それが何か?それはいずれ別の機会に述べようと思う。

ただひとつだけ言うと、どんなに西部地区を良くしようと語り合っても、大町を何とかできなければ、他の町も出来ないだろうということだ。いくらベイエリアや元町などの一部の西部地区を着飾っても根本的な解決には至らない。

ある程度知っている方は、その問題を容易に話せるだろう。しかし、それは陰での話だ。誰も声をあげて語ろうとはしない。

西部地区を良くしようと考える人たちは大町の実態を見てから話し合うべきだと思う。西部地区を愛するカメラマンは、元町やベイエリアだけではなく大町も積極的に撮るべきだと思う。
きれいな部分だけしか取り上げないのは現実逃避しているのと同じだ。

私は、西部地区の持つ「きれいな部分」とその陰にある「切ない現実の部分」を行ったり来たりしている。どちらも函館だ。

私はその両面を持つ函館の西部地区を愛している。


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by jhm-in-hakodate | 2012-11-03 23:43 | 函館の現状について | Trackback | Comments(4)
Commented by toro at 2012-11-04 22:42 x
jhmさんお久ぶりです。いつも写真ありがとうございます。
先日帰省してきました。ちょうど10/31 16:50~18:03 Hakodateの写真をjhmさんが撮られていた時に函館にいました。
三日月が残念ながら改装でお休みでした。 
あまり時間がなかったのですが、西部地区を見てきました。
子どものいない小学校、空き地の目立つ街並みなど、さびしいものもありましたが、西中下の以前jhmさんが紹介した蔵が新しくなっていたり、西中の斜向かいの緑の建物も街並みを意識して改築されたのかな、と思いました。 
その反面、できあがった弥生小を見ましたが、歴史的な価値は全くなくなりましたね。
平日午前中の大門に、今までよりも人の動きがあったり、函館の皆さんも頑張っているのだな、と感じました。
今後もjhmさんの写真をみて、函館の今を知りたいと思います。
大町もどんどん昔の建物がなくなり寂しいですが、それを記録してくださるjhmさんをこれからも応援しています。
Commented by jhm-in-hakodate at 2012-11-06 12:55
toroさんお久し振りです。
確かに大門も一時より人が多くなっているように感じます。また、基坂より西の方面にも観光客の姿を以前より見かけるようになったと思います。

いい傾向だと思っています。
どうか、これからも応援よろしくお願いします。
Commented at 2013-09-25 16:17 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented at 2013-09-25 16:18 x
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