函館貧乏スパイラル
函館に限ったことではありませんが、デフレスパイラルと同じように、街には貧乏スパイラルが発生します。似たようなものだと思うかもしれませんが、ちょっと違うのは、デフレの場合は、インフレの華やかし頃を知りつつもデフレに我慢するために起こる事象ですが、貧乏スパイラルは華やかしいことすら知らないという点であります。
以前、函館にもバブルが到来しましたが、残ったのは建物の残骸だけです。バブルの頃にしか味わえなかった良質なものを嗜む感覚は結局残せなかったのかもしれません。
そこで、それなりの給料をもらっている人が函館の貧しい部分を語っても説得力がないと思いますので、正真正銘の貧乏人である私が函館の貧乏スパイラルについてお話ししてみます。
函館の一般庶民、特に地元企業に勤める市民は貧乏だ。所得が低いのに、地価や家賃は高い。おまけに、車がなければ不便だとわかっていても、車が必要不可欠になってしまう場所に住んでしまう。また、都市形成をそのようにしてしまった。
当然、家賃や住宅ローンと自動車ローンの給与に占める割合が高くなる。そうなると、その他の出費を抑えなくてはならない。つまり、衣食でバランスを取ろうとする。
函館貧乏層にとって、最も必要な食事のパターンは、「安くて量がある」だ。味はある程度のものでも仕方ない。他の街で色々な食事をして来た者からすると、そんなに美味しくない店なのにどうして繁盛しているか、不思議に思うが、大切なのは安くて量がある基準をもってすれば、そんなものは関係ないのだ。
次第にそのレベルの慣れてしまうと、美味しさというものがわからなくなる。だから、一念発起して高級志向の店を出した料理店でも、えっ、この料金で・・・・という味になってしまう。
そうなると、ますますちょっと高額な店には行かなくなる。しかし、ちょっと高いけど本当に美味しい店でも、美味しくない店に慣れてしまった市民は、食の楽しみを堪能しようとしない。
給料の低さに嫌気がさし、独立して料理店を営もうと思っても、そんな食環境で過ごしてきたのだから、当然美味しいものは作れない。せっかく出店したのに、いずれ廃業となる。廃業した者は貧乏人となる。その人は、金を使えなくなる。スパイラルだ。
そして、繁盛しているかに思える「安くて量がある」店は、当然利益率は低くなる。すると、その店の従業員の給与は決して高くならない。当然、従業員が普段の生活で使う金は一般貧乏人とそれほど変わらなくなる。
貧乏であると、ファッションに費やすお金も小さくなる。いいものよりも安いものになってしまう。そうなると、これまた利益率の低い物だけが売れることになる。当然デパートで服を買うなんて滅多になくなり、経済だけではなく、街全体のファッションセンスの問題にも発展する。
食もそうだが、志が高い者は函館を諦め、他の都会へと流出する。そこで、正当に評価されたいと考える。するとますますハイセンスな衣服はなくなり、また、そういう服が欲しい人は札幌や東京で買うことになり、函館には金が落ちなくなる。
これはアートにも言える。他の街では評価されるであろう作品も、函館では「高い!」と言われ、地元の作家の良品を買おうとはしない。感覚まで貧乏になってしまっている。
そのような感覚になっている貧乏人は、函館が持っている良さなど眼中にない。今の生活が大事、今日一日生きることが大事になる。
だから、函館の街全体ということを考える余裕も無くなる。街がどうなってもいい、大事なのは今現在の生活だ。観光客が直接自分に金をくれるわけではない。観光客が喜ぶかどうかよりも、自分の目先の生活が大事だ。
人は人間の営みを敏感に感じる。そんな函館に魅力を感じなくなる。観光客は年々減少し、市民はますます貧乏になる。
貧乏な市民は、少しでも地価が低く福利厚生が充実している所に住みたいと思う。そこで、隣町に引っ越してしまう。それでまた函館は貧乏になる。人口分布がばらばらになると、商業施設が集中する地域も分散してしまう。するとやはり車が必要となる。車が必要であれば、その他の消費は抑えられる。
以上で全ての「スパイラル」を語ったわけではない。まだまだある。しかし、長くなってしまうので、ここらへんにしておくが、まぁ、ともかくそんなこんなで、みなさんも私も、見事にスパイラルに嵌ってしまっているようです。
そんな函館ですが、野村証券はなぜかあるのですね。
そんな金、いったい函館のどこにあるのでしょうかね?
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すごく気に入りました♪
お食事の贅沢は、確かに都市部と比較すると質素かもしれません。私も田舎と都市部、どちらにも住んだことがありますが、私は双方別の良さがあると思っています。田舎には素材そのものという贅沢品があり、市街地では少ない素材を上手に調理できるシェフがいるのかな~と思うのです。
今度はjhmさんがおすすめしたいと思う函館の一面をもっと知りたいです(*^^*)
某激安量販店のレジに並ぶ長蛇の列の中で見たのは、パジャマなのか服なのかわからないようなスウェット系、冬なのに裸足にサンダル・・、汚い言葉使い、大きな声で子供をどやす親・・。その店のレジ係は無愛想・・。商品を袋に詰めるテーブル台にあるクロスは茶ばんでいる・・。
これが最近私が感じた函館(道南)の残念なところです。
それと同じ列に並んでいる私も・・みすぼらしく見えているのだろうな・・・と。
見ていても、函館に対して非常にツボを得ており、同感することが多いです。見ていて痛快な感じもします。
私は仕事で函館を離れ、今は関西地方に住んでます。よく函館から来たと言うと「良いとこだよね~」「住んでみたい」と言った声を良く聞きます。しかし、私は「住むのは絶対止めた方がいい街」「観光だけなら良い街」「廃れたド田舎」と表現します。現状ではそうとしか言えません。
こちらの地方でよく「北海道物産展」を開催してますが、函館の企業のブースだけは何だか異質さを感じます。函館のポスターを大々的に張りだし、積極的な呼び込みもせず、来た客に対して「馴れ馴れしい上から目線」の言葉使いで話し、客には「これが浜言葉」という認識を覚えさせ、その「間違った浜言葉」に感動させて商売してる感じします。私も行って見ましたが、それは非常に不快なもので、ついつい私も「こっちも函館から来てるけど、その言葉とやり方おかしいのでは?」と言ったことあります。そういう輩が街のイメージも活気もダメにしてるんだな、と思います。いや、そんな輩で溢れてる街なんだなと、改めて理解しました。