旧幕府軍が見た駒ヶ岳

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駒ヶ岳は、見る場所によってその形が全く変わる。どの山もそうだが、だいたいはその山のイメージを大きく崩すことのない変化だが、いつも函館側から見ている者にとっての駒ヶ岳の変貌はただ驚いてしまうばかりである。

その観察地点による変化の模様は以前駒ケ岳の七変化(1)赤井川~旧沼尻駒ケ岳の七変化(2)鹿部~大沼公園という記事で各所からの写真を交えてご紹介していますので、そちらをご参考いただきたいと思います。

上の写真は、森町鷲ノ木の旧幕府軍上陸地標のある地点から撮影した。旧幕府軍が北海道に足を降ろして最初に見た駒ヶ岳の姿がこの形だったのだ。

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函館は旧幕府軍の進駐によって大きく変わった。庶民の中には旧幕府軍の傍若無人な行為に辟易していたとも聞くが、後に起こる箱館戦争によって膨大に金を掴んだ人間がいた。
相馬哲平氏である。氏は単なる一商人であったが、戦争前に米を買い占めて、それを高額で両軍に売りつけたことによって、全国にも名を轟かせる豪商となる礎となったと聞く。

そう考えると、箱館戦争がなかったら、今の函館の風景も変わっていたかもしれない。ひょっとしたら公会堂は未完成のまま建築中止になっていたかもしれない。末広町の旧銀行街の風景も変わっていたかもしれない。

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その歴史の、偶然の妙はこの風景から始まった。


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by jhm-in-hakodate | 2013-04-09 09:48 | 函館の歴史 | Trackback | Comments(0)