八幡坂でショパンを想う

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元旦の本日、所用を済ませた帰りに元町・八幡坂にある「元町珈琲店」に立ち寄った。実は、以前から元旦営業をするということは聞いており、店主さんが絶対お客さんはちらほらしか来ない、と話していたのだが、初詣帰りに立ち寄る人もいるはずだ、と私が強調したため、その結果も知りたくて訪問したのだった。

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私がいた時間帯では、最高4組のお客さんがおり、大きな店ではない元旦の客数としては悪くはないのではないかと思った。(これは傍から見た勝手な考えですが)

そんな店内から外を眺めると、観光客なのか初詣なのかわからないが、中年のカップルが思いの外八幡坂を上り下りしていた。その風景は、高校時代、窓枠が絵画の額となってその中に描かれた風景画を見ているようだった。

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そんな絵画を見ている時には、BGMはクラシックが相応しい。私は頭の中でショパンの楽曲を奏でた。



知人のあるクラシック奏者が面白いことを言ってくれたことがある。クラシックは当時のニューミュージックだったと。なるほど、だから色々な作曲家が新しい表現の曲を次々と誕生させたのだな、と。

ショパンもそのひとりだろう。ショパンの旋律は日本の音階に似ているので私もとても無理なく入って行ける。元々ピアノの楽曲が好きなのだが、やはりショパンは自分にとって別格だ。最も風景を絵にするBGMになる音楽だ。

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でも、素朴な疑問がある。
「今、どうして世界的に有名なクラシック作曲家が誕生しないのだろうか?」というものだ。もちろん、私のような者はそれほど研究熱心にたくさんの音楽を聴いているわけではないので、実は凄い人が世界にはいるのかもしれないが、少なくても世界中が大騒ぎするような作曲家は聞いたことがない。
どちらかと言うと、その時代の曲を演奏する技術・表現力の方に重きが置かれているのではと思った。

では、例えばビートルズが200年後には、ビートルズ風な曲を生み出す作曲家が出現するのではなく、いかにビートルズを表現できるかという演奏重視になっているのだろうか。私の想像では、そうはなっていないような気がする。

その違いは何か?ショパンやモーツァルトやベートーベンなどは楽譜しか残していないのに対して、ビートルズは彼らの演奏そのものを録音されている、その違いではないかと思う。
楽譜しかなければ、音符からどのように生の音として再生したらいいのか、という作業が生じる。だが、ビートルズはCDで簡単に聴くことができる。つまり、ショパンには正解はないが、ビートルズは彼らの演奏が正解であり、その証拠となるものが録音されている、この違いではないだろうか。

そんな、考えても仕方のないことを、八幡坂を眺め、珈琲を飲みながら考えた。




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by jhm-in-hakodate | 2014-01-02 01:40 | 函館で出会ったもの | Trackback | Comments(0)
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