龍と春樹、ふたりの村上

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先日、市内の「はこだて観光情報研究会」のイベント(と言っても少人数のものだが)が蔦屋書店であり、「函館本」を各自一冊持ち寄り話し合う、という内容の会に参加した。

今だから言えるが、実はこの会、facebook上で招待があり、その内容を調べようとあるラーメン店で、片手に箸を持ち、もう片方の手で携帯を操作したところ、ラーメンに気を取られて「詳細」の部分を押すところが、「参加します」を間違って押してしまった。まぁ、知人が主宰しているものだから、たまには出席するのもいいかと安易に考えた。ましてその日は私の休日で特に予定もなかったため、お気楽な気持ちでいた。

ところが、その後主宰者からメールが来て、「何を選びましたか?」との問い合わせがあった。その時もお気楽に「村上龍のコインロッカーベイビーズです」と答えた。きっと、イベントの進行上、参加者各自が持ち寄る本を知っておく必要があるのだろう、と簡単に考えていた。

ところが、イベントの前日、自分が持参する本について、その本の内容と紹介する理由を5分間で発表してくれとの知らせがあり、途端に何を話せばいいのだという強迫概念にも似たような思いで、発表内容を急遽考える羽目になった。

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まぁ、そんなわけで苦し紛れに発表した内容を、持ち時間が10分くらいあったらできたであろうバージョンに拡大して以下の通り述べてみます。

まず、コインロッカーべーズを選んだ理由は、単純に、自分が読んだ小説で初めて函館が登場したのがたまたまこの本だったからです。(意外とこの小説に函館が登場しているとはほとんどの方が知らなかった)当時世間で頻発した、生まれたての子供をコインロッカーに置き去るという事件をモチーフにして、村上龍が作ったものです。
コインロッカーに置き去りにされた双子、ハシとキクが、発見され孤児院で育てられ、その後数奇な運命を歩むことになるのだが、そんな人生の環境によってなのか、キクがある時、拳銃を撃って収監されることになったのだが、それが函館少年刑務所であったのです。
また、キクの恋人であるアネモネも面談がすぐできるように函館に引っ越してきて、ケーキ屋さんでアルバイトしながら刑務所に面会に行ったりしていたのでした。

だが、物語を読むと、それが函館でなければならない特別な理由があるわけでもなく、また、実際、函館の風景描写もなされていなかったのです。

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当時、ほぼ似たような時期にふたりの村上が文学界に登場しました。ひとりは、この村上龍で、「限りなく透明に近いブルー」でデビューし芥川賞を受賞しました。また、春樹は、「風の歌を聴け」で群像新人賞を受賞し、今ではノーベル賞候補となるまでの作家となっています。

私は、このふたりのデビューからリアルタイムに発刊した本を読み漁っていました。ふたりには共通点があったからです。それは、ふたりともアメリカ文学で育った、ということです。龍は言葉の表現を、春樹は文章全体の内容をアメリカ文学的に表していました。
私はこのふたりの作家の出現に、「やっと日本にもこのような表現をする作家が誕生したか」と、二十歳そこその若造のくせに生意気に思っていました。でもそれくらい嬉しい出来事でした。

そして、もうひとつの共通点は、これは全くの偶然だと思うのですが、ふたりともデビュー3作目に、小説の中に登場する舞台に北海道を選んでいるのです。龍は、「限りなく・・・・」、「海の向こうで戦争が始まる」に次ぐ3作目の「コインロッカーベイビーズ」で函館を。春樹は、「風の歌・・・・」、「1969年のピンボール」に次ぐ「羊をめぐる冒険」で札幌や(たぶん)小樽、(これまたたぶん)士別方面の羊を飼育しているところなどが登場してきます。

余談ですが、春樹のこの「羊をめぐる冒険」で私は完全に彼のファンになってしまいました。この作品はベストセラーになった「ノルウェイの森」よりはるかに面白く、どうしてこの作品が芥川賞を受賞できなかったのか、不思議でたまりませんでした。また、ベストセラーにならなかったのも不思議でした。それほど面白い小説であったのです。

それはともかく、この有能な作家の若くて感性が鋭い時期に、奇しくも同じ3作目の舞台に北海道を選んだということは、人はどうして北を目指すか、北に魅力を感じるかという設問を与えているのではないかと思われます。それを解明すると、函館の観光にも役立つのではないかと考える次第であります。


まぁ、こんな感じの内容でした。
それはそれとして、このふたりの作家は、日本の文学を変えた、と言っても決して過言ではないと私は考えております。ここで言うアメリカ文学的なというのはどういうことなのか?それは村上春樹がある文章にこんな内容のものを書いていました。
「僕は、一度出てきた言葉や文章を、ミキサーの中に入れ、その原形がわからなくなるほど砕き、それを再び違う形にして言葉や文章にしている」
この方法を、龍は言葉の表現で、春樹は小説全体の構成で使用していたのでした。




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by jhm-in-hakodate | 2014-01-22 23:57 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)