祖先をたどる探索
上ノ国町役場から少し松前方面向かい、天の川の橋を渡るとすぐに小公園があり、そのすぐ横に花沢館跡地への登り口がある。
これは1400年代に道南にあった12館のひとつで、その科でも有力だったのが花沢館と茂別館だと言われているが、前者のある地域が上ノ国と呼ばれ、校舎を下ノ国と呼ばれていた。上ノ国はそのまま地名として残り、下ノ国は松前藩の家老下国家となり名を遺した。
人一人分しか歩けないような細し土地の坂道を登っていくと冒頭の写真の広場に辿り着く。しかし、ここは館の本殿ではないのだ。その跡地はもっと上にある。
上を眺めてみると、まだけっこう杞憂な坂道を登らなければならないようだ、その道が下の写真だ。
軽装で行った私にはそこまでの根気がなく、この広場どまりとした。
しかし、母方の祖母が出た蠣崎家の出発点とも言える場所の懐まで行ってみたのは正解だった。その後蠣崎家は洲崎館を経て、最も高台に位置する勝山館と拠点を移している。その頃にはアイヌ人との闘争も終え、共存関係になったのではないかという遺品がたくさん出土されている。
花沢館探索を途中であきらめ(次回に順延)、蠣崎家がほおむられている上國寺に向かった。重要文化財の笹波家の主屋のすぐ隣に位置しているその境内に蠣崎家の墓があると聴いていた。それも、参拝者の高齢化によって、本来斜面の最も上の場所にあった墓を、お参りに来る者の高齢化により、墓を下の方に移動させたという話を聞いている.
重要部家財となっているこの本堂の横の上り坂を歩くと墓地がある。その中で見つけたこの墓は祖母の家(蠣崎家別家)のものだろうか?
真偽を確かめるヒントは、従前にあった「最も高い場所」ある松前家の墓も見なければならないとおもったが、そこに至る(だろうと思われる)通路には幾多の蜘蛛の巣が張りめぐらされていたため、これも断念した。
今度は時間をたっぷりとり、軽装ではない服装でしっかり歩いてそれぞれをしっかり確かめてみたいと思った。
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