小さな嘘
誰でも嘘をついたことはあるでしょう。
嘘はその場の便宜的な対処方法として使われる場合が多いものです。また、どうしても必要なケースもあるでしょう。本当は好ましくない人と話をしなければならない時、自分の気持ちをまとも話すとその場がとんでもないことになってしまうと予想できる時などはそのひとつでしょう。
例えば、好意的に思っている人、良好な関係を続けなければならない人との間において、どうしても嘘をつかなければならないこともあるかもしれません。
その他、様々な場面で嘘を登場させなければならないことが、生きている間ではあるでしょう。
でも、その場しのぎの小さな嘘の積み重ねはいずれ暴かれてしまうものです。自分でもどんな嘘をついたかも忘れて、つい本当のことを話し、矛盾を露呈させてしまうのです。
そんな人を見ると、なんて小さな人生を送っている人なんだろうかと思ってしまいます。小さな嘘でその場をしのげることが癖になり、そのような生き方しかできなくなってしまっているのではないかと思います。
そんな風に生きていて、自分がみじめではないのだろうか?その場だけの小さな「好感」を受けるために、あるいは会話から逃げるために、自分という大切な人格を小さなものにしていないだろうか?
また、その人がそんな小さな嘘をついていたと分かった時、嘘をつかれた人は場合によっては馬鹿にされたと思うでしょうし、当然相手を信用できなくなります。
どうせ嘘をつくなら、決してその後も矛盾が発覚しない「永遠の嘘」をつくしかないのではないでしょうか?
「嘘も方便」ではなく、「嘘は一生をかけて」ではないかと思います。
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