スケッチ・オブ・ミャーク

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「スケッチ・オブ・ミャーク」制作・監督・撮影の大西功一氏と。

先日市内で上映会が行われた同映画を観た。
宮古島でいにしえより伝えられている歌と踊りをテーマに、その存続の危機を危機を訴えるというのが大まかな内容だが、島の人たちが歌い伝えてきた歌は、ゴスペルであり、ブルースであり、レクイエムであったりと、その素となる魂の調べが強く観ている者に伝えられていた。

ただの記録映画では決してない。口伝えで残してきた島の歌を継承するものがいないくなってきている無常さと危機感をこの映画は強く伝えている。
それらを否定し、過去のものに変わる新しいくソウルフルなものは生まれていない。

宮古島の歌は住民から自然に生まれ出たものだ。今のように、中央から電波を介して押し付けられたものではない。だから、独特の文化がある。

この頃常に思うのだが、街づくりも、ものづくりも、音楽も、楽にそれなりのものを簡単に手に入れることができるのは、人間の進化ではなく、創造力という点において、退化を促しているようにしか見えない。

私たちは消費に美と快楽を感じ、創造・生産の意味合いを考える習慣を持たなくなってしまった。
街も文化もどんどん消費され、配給制の味気のないものしか触れることができなくなったことに、すっかり慣れてしまったのだ。
得る者は簡単で軽いものだ。そして失うものは、手が込んで重厚なものばかりだ。

宮古島に行くことができたなら、島の人たちと一緒に歌を歌い踊ってみたい、それが当たり前ではないかと思わせてくれた映画だった。




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by jhm-in-hakodate | 2015-01-26 00:39 | 函館で出会ったもの | Trackback | Comments(0)
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