「杉の子」取材余話
以前報告した、函館市公式観光サイト「はこぶら」での取材記事が公開された。
舶来居酒屋 杉の子
この記事では、サイトとの性格上あるいは字数の関係で完結にまとめながら特徴を出すという執筆を行わなければならなかったが、そこではおさめる事のできなかった余話をここで少し話そうと思う。
まず、杉の子は一般的には移転ととらえていられるようだが、実は違った。以前の店の大家さんから退去の告知があってから、少なくとも柳小路での「杉の子」は終了と決めていたそうだ。つまり、一旦解散だ。
そこから、選択を模索し始めたそうだ。ひとつは永遠の廃業。もうことつは、「杉の子」という雰囲気を維持できる店舗での営業再開。
つまり、気に入った店舗が見付かなければ、永遠に「杉の子」は幕保閉ざしていたままになっていたかもしれないということだった。
しかし、幸に閉店した「汪(わん)さん」はどうかという゜話が転がり込んでで来て、そ最初は広すぎでやって行けるのか疑問を持っていたのだが、店主の青井元子さんが幼いころから食べた想い出のある店舗を何とか利用したいという気持ちが勝り、現在の店舗での営業を決意したようだった。
この建物にはいわくつきである。元々は国鉄購買部の倉庫であった建物をその後「汪さん」が改造して長年に亘って営業たのだが、実は汪さんの創始者は、満州鉄道の出身者でった。そして、杉の子の元子店主のご主人も国鉄出身た、巡り合わせというもは本当にあるのだ。
そして、杉の子の先代のマスターが教えていた言葉で、「肩書のある人もない人も関係なく飲んでもらう」という言葉が有名になっていたが、実はそんな言葉は故泰郎からは一度も話されていないということだった。杉の子の基本スタンスは「来る者はこばまず、去る者は追わず」というものだそうで、だからこそ、来店した人はみんな同じように応対していたのだった。それがいつの間にか「肩書の・・・・・」という解釈で語られるようになったそうだ。
そして、元子さんが強調したものは、「杉の子」の第二章が始まった、ということだつた。新店の壁にはまだこざっぱりしていて、以前のような息遣いが伝わるような雑多さがない。しかし、これは案ずることはないだろう。すと何年化もしたら、昔のように壁には他のものを貼るスペースもないくらいに「雑然」となっていることだろう。
それは、全て新しい杉の子の歴史となって行くのだ。
樹の色も壁の模様も時の流れで杉の子らしさを取り戻すことになるだろう。
それを作るのは私たち客だと元子さんは言う、いや、正確には杉の子は客によってつくられた店だということだ。
Peepsで開店時間が18:00よりとなっていたが、正規には18:30からであるので、あまり早く行っていても開店していない場合もあるかもりしれませんので、どうご注意を。
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