斜陽館~やっと太宰治に少し触れた(2)
前回は全て斜陽館(津島邸)の1階部分をご紹介した。今回は一部だけ1階で、その他は2階をご紹介します。上の写真と下の写真は太宰治が実際に産まれた部屋とされている「小間」である。
そして、大人になった時によく着ていた二重マント。本人が本当に着衣していたかどうかの説明はなかった。
そして表玄関そばにある階段を上ると、
階段室吹抜け部分は洋風となっていた。その流れで2階に上るとすぐに応接用と思われる洋室があった。
廊下は洋風に作られているが、その他の部屋は和風だった。
さて、私にとっての太宰治について少しだけ話をさせていただこう。
私は偶然にも、太宰の数ある小説を後期→初期→中期という順番で読んだ。これが、今でも生きていられる順番だったと思っている。もし最後に後期作品を読んでいたら、今生きてこんなブログを書いていることもなかったかもしれない。
太宰を読み漁ってしばらく時間が経ってから、そんなことを考えたことがある。自分は幸運な人間なのだ。
ふと、2階の廊下から外を見ると、道路を挟んで向かいに青森銀行とみちのく銀行の支店があった。昔、この辺りは街の金融街だったのだろうな、その中でも最もこの津島家が大きなシェアを占めていたのではないか。
そんな想像をしてしまうような風景だった。
今度は彼の作品「津軽」を読んでから改めて津軽を走ってみたい。そんな気持ちになった。
余談ではあるが、勤めている会社の取引銀行の元課長(現在は転勤してしまったが)の名字が津島で青森から転勤してきたと話していたので、ひょっとした太宰治の親族ですかと尋ねたことがある。
彼はこう言った「確かに親戚ですけど、だからと言っていいことなんてひとつもありませんよ」
その言葉には説得力があった。
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