平和なカフェにいて思うこと

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この頃しばらくの間社会的なことはあまり話さないようにしていたのですが、決して何も考えなくなったわけではありません(笑)ただ、話す時はじっくり考えた末での発言をしたいと思っていたわけであります。
本日は終戦記念日であり、先日天皇陛下が「お気持ち」を述べられたこともあり、また、参院選や東京知事選の際にSNSなどで様々なリツイート・シェアなどされた知識人(と思われる人)の意見を拝読するにあたって、根本的な部分をどうして誰も議論しないのだろうかと疑問に思っていました。本日はそのことについて述べさせていただきたいと思います。

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まず、平和とは何か?それがもし戦争のない状態を指すのなら今の日本は充分平和です。いや、そうでもないのではないか。北朝鮮も日本海にミサイルを撃って来ているし、中国も尖閣諸島で領海侵犯しているのではないか。その危機感はないのか。平和ボケしているのではないか。もし攻めてきたらどうするのか。そのようなご意見もあるでしょう。
ですが、例えば(今の子供にはないかもしれませんが)私が10代だった時代、ガラの悪そうな今や死語となっている「不良」たちがよくやっていたのですが、「ガン」を誰かにつけると相手は「何だこの野郎」と喧嘩になってしまったことがよくあります。どうしてそうなったのか、それは自分は強いとイキガりたい人が、似たような強いと思われたい人に対して、まず目で威嚇して(これが「ガン」をつけるということです。現代人はわからないでしょうが、笑)、「ガン」をつけられた方が、「なめんじゃねぇぞ」と「ガンヅケ」を返してやると、「おら~、やるか」という感じで喧嘩になってしまうわけなのですが、今の北朝鮮や中国は「ガン」をつけている状態であるのではないかと思います。
「ガン」をつけてビビッてしまえばもうけもの、という感じなのでしょうか。それに対して日本は今、「なめんじゃねえぞ」という気配を出そうとしているのです。ちなみに私は若い頃、(私にそんなことをする暇な人はあまりいませんでしたが)「ガン」をつけられても全く無視していました。なぜなら喧嘩したくなかったからです。暴力が嫌だったからです。もちろん喧嘩をしたことはあります。しかし、あの程度の年齢になったら喧嘩をする時は、相手を殺すか自分が死ぬかくらいの怒りで心をコントロールできなくなった時と思っていたものですから、「ガン」のつけ合いくらいで喧嘩はしたくなかったのです。
ところが、今日本は「ガン」の飛ばし合いをしようとしています。

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それは現政府の憲法解釈の変更を行ったことに象徴されています。ところが、その対象としているのが安保条約にしているのが不思議なのです。

さて、若い方は安保条約といってもわからない方もいらっしゃるかもしれませんが、日本が安保条約を締結しているのはアメリカだけで、安保条約といえばすなわち日米安保保障条約のことを指します。どうしてこの条約ができたかと申しますと、(私の想像ですが)戦後の憲法によって軍隊を持たないということになった日本に、当時の朝鮮戦争などの間接的なソ連との戦争の火種を抱える極東地域において、アメリカにとっては貴重な「基地」を設けたかったのです。しかし、植民地でも自国でもない日本に基地を置くためにはどうしたらいいのか?そうだ、軍隊を持たないことになっている日本を守るという理由を付けると基地が置ける。日本も迫りくるソ連の脅威に対抗できると考えたのでしょうか、ともかくそんな条約ができたのです。しかし、朝鮮戦争で米軍が手薄になった日本国内の軍事力を補うために後に自衛隊と呼ばれるものを日本は憲法第9条があるにも拘らず作ったのです。
ちなみに安倍政権は、この第9条はアメリカによって押し付けられたと話しておりますが、それが実は当時の日本の首相であった幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)氏によってアメリカに提案されたことが証明されています。つまり、第9条は日本人が作った世界的にも画期的な条文であったわけです。
横路の逸れましたが、ともかく米ソの冷戦下において、日本もアメリカも日本に於いての「軍事力」を強化していったわけなのですが、ソ連が崩壊し、そのうちアメリカが訳もわからない「湾岸戦争」を勃発させたあたりから、経済・軍事双方において「強いアメリカ」は次第に影が薄くなってしまったのです。それはEUの誕生も無関係ではないでしょう。
経済的にそれほど強くなくなったアメリカは日本に対して駐在するアメリカ軍に対しての補助金をどんどん大きく要求するようになりました。また、今は活発な議論がなくなりましたが、TPPによってEUや共産圏以外の国を巻き込んで経済を復活させなければまずい、というくらいにアメリカは経済的にも「強い国」ではなくなったわけです。
そんな状態ですから、日本を守るために軍隊にお金をかけるのはもったいない、日本もどうせのことなら自分で軍隊をちゃんと持った方がいいのではないか、あるいは敵地に行けるようにした方がいいのではないか、ということを日本に要求するようになったのではないかと想像しています。なぜなら、かなり前ですが、米議会においてある議員が堂々と「日本も核保有国になるべきだ」と発言したこともあるくらいですから、水面下では自衛隊の軍隊化を望んでいたのは容易に想像できます。

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そんな状況の中、アメリカに「協力」したい自民党政権は、「友達が今まで守ってくれているのに、困った時に助けることができないのはどうなのか?」という独自の理論を作って、なぜなのか日本人のかなりの数の人々が「そうだ、そうだ」と合唱してしまったわけです。ですが、よく考えてみてください。日本が敵国に行ってアメリカと共に戦うということは、これはもはや安保条約ではなく、軍事同盟なのです。そして、そのアメリカは常に「正しい戦争」をしているのかどうか。湾岸戦争のように「正しくない」戦争をやってしまったアメリカが今後「正しい戦争」をやり続けるとは限らないのです。
その「正しくない戦争」に日本が加担したら、それは今度は世界を敵に回すことになるのです。その兆候は、日本人もテロの標的になったということでもおわかりになるでしょう。それは、戦前の日伊独三国同盟のようなものです。私たち日本はその同盟による戦争でどうなったでしょうか?

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答は言わずともわかっていますよね。
私は、もしどうしても日本が正式な軍隊を作るなら、その時は安保条約の破棄とともに本当の意味でアメリカからの独立が必要であると考えています。それがなければ、日本はアメリカと心中しますと言っているのと同じなのです。このことを誰も議論していないのがとてもとても不思議で仕方がありません。
では、アメリカから離れた時にどのようにして日本を守っていくか。その国の世界的な位置を確保する手段は決して軍事力だけではありません。頭脳明晰な日本人ならきっと見つけ出すことができるでしょう。

私たちの子供や孫がいつまでも平和にそれぞれの命を全うできるようにするためには、もっともっと根本的なことを考えていかなければならないと思います。どのようにしたら日本の世界における「平和的な位置」を築き上げることができるか。天皇陛下は「日本の象徴」であることを強調しました。そして、その象徴であるための具体的仕事として、被災地を巡ったり、弱き者たちを励ましに行ったり、多くの命を犠牲にした沖縄に何度も訪問しました。日本が第二次世界大戦で侵略した国にも訪れました。戦争を「深い反省」としました。
そして、この度の天皇陛下の「お気持ち」は私たちに大きなヒントを与えてくれたと思います。

戦うことは簡単です。戦わずして自分の位置を確保することの方がはるかに難しいことです。その難しいことを考えて行くことが、世界で唯一核を落とされた国の国民の責務なのではないでしょうか。



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by jhm-in-hakodate | 2016-08-15 22:27 | 社会・経済について | Trackback | Comments(0)