学校のような函館

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つい先日、「私が函館のことを話さなくなった理由」という文章を書いた直後で何ですが、少しだけ話します。

色々な街に住んでから函館に「定住」して7年を超えましたが、住み始めて函館での社会生活を開始した頃に感じ、今でもずっと変わらない函館のイメージがあります。それは、函館という地域社会は学校と似ている、ということです。
どういうことかと申しますと、地域社会を構成する人々の関係が、学校での生徒の関係と変わらないということであります。それは学生時代の大部分を函館で過ごしたからそう思うのでは?疑問を呈する方もいらっしゃるかもしれません。確かに他の街よりはるかに同窓生と遭遇する確率が高いのは間違いないのですが、単純に、だから学校のように感じるというわけではありません。いくら同じ学校に通っていた者でも、何十年も社会で様々な経験をしていますと、それなりの人間関係の作り方というものを体得して、親しき仲にも礼儀あり的なお付き合い、より正確に言えば、ちょうどいい距離感を保って人間関係を構築するということを覚えるはずなのですが、函館の社会は、相手に学校的な関係を求めているのではないかと思われて仕方ないのです。

学校的な人間関係の真っただ中にいる方々の間では噂はあっという間に広がります。ほんのちょっとしたどうでもいいことまで、当の本人があまり知らない人間にまでその噂が広がっていることがあります。それも事実とは異なった内容で伝わったりとか。人口が26万人以上も住んでいる街の中でのことです。5000人くらいしか住んでいない町の中でのことではありません。
こんなことは、100万人以上住んでいる街の中では、当人がよほど著名な人物であるとか、特定の狭い業界内での話以外はあまり考えられないことです。確かに中途半端な人口であることは理由のひとつとしてあげられるでしょう。しかし、私が思うのは、函館の人々は「学校的な人間関係」を望んでいるということです。学校と言っても、せいぜい高校までのことです。大学生になって全国各地で新たな生活を始めた人とは全く違った、1学年何クラスで何百人というコミュニティを人口26万人の社会にも求めているということです。

もう少しと詳しく話しますと、函館でずっと住んでいる方々は、函館という「学校」で何らかの成果を収めると(例えば社会的地位や名声・経済力など)、もうそれから上を中々見ようとはしない人が多いような気がします。それはそうです、「学校」中には限られた数の生徒しかいないわけですから。その中での立場を確立すると、「学校」の中でいい成績を取ったのだから凄いね、満足してしまうのです。後はその地位を失わないようにすることが最重要課題となってしまい、「学校外」のことはわからなくなってしまいます。「学校外」のことがわからないから、「学校外」ことは自分には関係のないことだと処理をして、注目しないようにしてしまうのです。

たまに大都市からの転校生がやって来ると、「えー、札幌の○○高校からなの?東京から来たの?」とちょっとした話題になって、すぐ関心がそちらに移って何となく田舎者っぽくなりたくない人は、転校生をもてはやします。転校生がもたらす「今までの学校内では知らないこと」には興味津々で、何となくそれが「学校外」での全てを知るかのような関心を示します。ですが、その転校生は全国各地どこにでもいるような生徒なのです。転校生は全国各地に散らばっている同じ学校の出身者なのですが、そういう者に憧れてしまうのです。だから転校生がいる場所にみんなが集まって来ます。今まで1組と2組が安定的な人間関係を築いても、転校生が来た3組や4組に関心が移ってしまうのです。
しかし、学校全体の基本的なコミュニティは変わらないため、結局3組も4組もいつしか今までの「学校」という枠内での価値判断をしてしまうわけです。この「学校」の中でちょっと音楽が上手だと、この人が一番だと盛り立てます。例えわざわざ「学校外」から優れた技術を持った方が演奏に来ても見向きもいないことがあります。「学校外」のことにはあまり関心がなく、ともかく学年テストで上位の成績を取れば何となく「できる人」となってしまうのです。
これでは、全国各地あるいは世界各地の「学校外」で生まれている新しいものには目もくれずに、あくまで「学校」での自分の立ち位置が重要となってしまいます。

「学校」の中では、「学校外」のことを知っている人をよく馬鹿にします。それは「学校」で当たり前のことを「学校外」の人を「学校内」の基準に合わないおかしい人と思うからです。あくまで「学校内」での基準をもとにしていますから、「学校外」のひとの言動は受け入れがたいものとして一笑に付すのであります。そんな学校を卒業したい人は函館という「学校」から転校します。「ここにいても狭い学校内のことしかわからないから」と。そうすると残された者は余計に「学校内」の基準でしか物を考えなくなります。
「学校外」の人は、日本全国や世界を知っています。広い世界を知って、自分より数段優れた人が星の数ほど世の中には存在していることを嫌でも思い知らされます。ですら、謙虚につまらない自己顕示をせずに、自分の進む道を全うしようとします。目が日本全国やせかすに向いているからです。しかし、「学校」の中ずっといる人は、情報としては入って来るけど、それは別世界のものであって自らがそれに類似した世界を作ることができないと、最初からあきらめています。

もちろんそうでもない人もいます。そういう人は「学校外」で活躍しています。決して「学校内」には留まったりしません。残された「学校内」人たちは、あいも変わらず噂橋で誰かがへまをしたとか、めくでもないことをしたとか、そんな「失敗者」の噂をすることで、相対的に自分は「善良なる学生」であることを確かめるわけです。ですから、函館の人は、他人をよく馬鹿にしたかせるのです。人を馬鹿にすることは、同時に自己への肯定という祖業をしているわけですから。

私は、進学校と呼ばれる函館の高校を卒業してから、大学・社会人として生活を重ねているうちに、それまで「学年でちょっといい成績」をとって優秀だ、と自己暗示にかかっていた妄想みたいなものを木端微塵に粉砕されてしまいました。世の中には自分より優秀な人間が数えきれないほど存在しているのだと。でも、だからこそ、目は「学校外」の広い世界に向いてしまうのです。
例えば、小説を読んでいると、この作者以上の作品を作ることができないか、そのようなことを頭に浮かべしまい、「学校新聞」にお願いして載せてほしいなどとは思わないのです。「日本の新聞」に取り扱われるようなものを創りたい。そんなことしか考えません。
「学校内」で評価されていた者が全て実社会でも活躍しているとは限りません。ちなみに、高校で3年先輩の方が、今ある道内大手銀行の副頭取の役に就いていて、次期頭取候補となっているようですが、高校時代は全く地味で目立たない生徒だったそうです。きっと密かに「学校外」ことを頭に入れていたのでしようね。だから「学校内」ではおとなしくしていたのではないかと、勝手な想像をしてしまいます。

久々に長く書きましたが、学校の関係を求めていては、「学校」という枠から飛び出すことはできません。どんなに「学校内」で人を比較したとしても、それはやはり「学校内」にしか通用しないものなのです。函館がよりよい街になるためには、「学校を卒業」することが必要だと思います。
まぁ、学校であれば、「港内新聞」に載るとちょっと別の目で見ていただけるというのはありがたいことですが、それでも「学年で一番優秀」だと言われるよりも、やはり私は日本で「ちょっと面白い奴だ」と思われるのが望みであります。そういう人間がたまたま「学校」に住んでいる。私の7年はそんな感じでいつも過ごしてきた毎日であります。




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by jhm-in-hakodate | 2016-11-16 00:06 | 函館の現状について | Trackback | Comments(1)
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Commented by しの at 2017-01-30 22:35 x
はじめまして。先週、函館を観光し、函館の街に魅力を感じ、興味を持ったものですから(福島市より北に
行ったのはこの旅が初めてです)、どこかに函館の光と影が書かれてはいないかと思いネットサーフィンを
していたところ貴殿のブログを見つけました。様々な考察を大変興味深く拝読しました。

私は現在、日本企業(大阪本社)で海外駐在(営業職)しているのですが、日本に帰国しなければならない
ことになれば、現在の会社を辞め、地方都市(美味しい魚を食べたいので内陸以外)に移住したいと考えて
おり、そのこともあり、移住地の視察を兼ねて函館を旅行した次第です。

もしもご迷惑にならなければ、函館への移住希望者の職探しについて(率直に言えばどこまで妥協すべきなのか)
ブログで取り上げていただければ幸いです。

しの

函館に来て非常に驚いたのは、どこもかしこも中国語圏(中国本土、台湾、香港etc)からの旅行者だらけな
ことでした。体感値ですが、宿泊したホテル、観光地にいた旅行者の7割は中国語圏からです(彼らの散在ぶり
をみていますと函館に落とすお金の八割は中国系で占められるのではないでしょうか)。恐らく、函館の
観光業は中国(語圏)からの旅行者なくして立ち行かない状況にあるのではないかと推測します。