人生の季節の中での出来事

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もともと我ままで自己中心的な私ではありますかが、この年齢になってそれをより増幅させようと思っている次第であります。

いきなり何を言いたいのだろう、と思った方もいらっしゃるかもしれませんが、今まで生きてきた中での出来事を振り返ると、その時は必死になってもがいていたり、たいしたことのないものに大袈裟に反応したり、喜んだり、焦ったり、快楽を得ていたりしていたことが、全て人生のひとつの季節の中での出来事だったように思えるからです。もちろんその時はそんなことなんか考えることもせず、または考える余裕もなく過ごしていました。それはそうでしょう、嵐の真っただ中にいて自分の身の安全を確保するので精一杯の人間が「これも人生の一つ」なんて悠長なことは思えませんよね。これは私だけではなく皆さんもそうだと思います。

でも、何とか運良くそのような出来事が過ぎ去ってみると、辛いことも嬉しいことも哀しいこともこの上ない快楽も全て人生という中でのある季節のひとつの出来事だったのかな、と思えてくるのです。もちろん今だから言えることには違いがありません。
ですが、そう思うと、これからの起きる出来事も死期が近付いてから思うと、実は小さな出来事の連続なのではないか、そんな風に思えます。

私は30代40代とほとんど働きづくめの毎日を送っていました。朝起きて仕度をし、会社で夜遅くまで働き、家に帰って遅い晩御飯を食べて寝る。ほとんどそんな日々の繰り返しでした。ところが50代になったある時、自分は仕事しかしてこなかったことに気付きました。心身ともに大きな疲労を抱えながらも、とりあえず生活のためにそれまで通りに働き続けていましたが、その結果として残ったものがお金でしかなければ寂しいものだと思うようになりました。もちろんお金は必要です。今でもいくらでも欲しい。でも、そのために全てを犠牲にしていいのか?他にも自分がしたいことはないのか?このまま「何も仕事以外のことを知らずに、何も出来ずに」気が付けば実は何もない男として死んで行くのか。そんな疑問が次々と湧き上がりました。

そんなこんなの自問自答(他にも考えることがあったのですが)の結果、故郷である函館に戻ることにしたのです。その人にもよるかもしれませんが、転勤族には「根を張る」場所(街)がないのです。結局会社に「根を張る」しか無くなり、会社人間になるしかなくなるのです。自分の心の支えは会社(仕事)となってしまったとすると、定年退職したと同時に「支え」が無くなってしまうのです。もちろん家族という大切な支えはあるでしょうが、だからと言って退職後のたっぷりある時間を全て家庭で過ごすということはないでしょう。

話が逸れてしまいましたが、人生という全人類に間違いなく平等にたった一回しかない舞台で何を演じるか、それは人それぞれで違うでしょうが、どんなものを演じても、結局結末はどのように死んで行ったか、ということになるのではないでしょうか。そのスケールで考えますと、ひとつひとつの場面は、季節の中で「今日は暖かい日だった」とか「晴れたり曇ったり雪が降ったりと訳の分からない日だった」のようなものになるのではないかと思います。でも、確実に季節は変わり、それぞれの季節の記憶を人に与えてくれます。

さて、あなたはこれからどんな人生の季節を迎えるのでしょうか?私の季節は、何となく秋の台風シーズンになるような気がしています(笑)



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by jhm-in-hakodate | 2016-11-29 22:04 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)