銀座と函館西部地区

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既にご報告した通り、私はお盆休みに東京に行き、その大半を銀座で過ごすことになった。と言っても、ほぼただ街をぶらぶらするだけの「銀ブラ」状態だったのですが、函館に帰って来てからふと思ったことがあった。

それは、そのブランド店舗名に銀座という文字が入っているケースがとても多いということだった。
私がまとめてお土産を買った「松屋」の紙袋にも「MATSUYA GINZA」という文字があった。街を歩いても「〇〇銀座」という店舗名を飽きるほど見た。また、そのブランドの日本の本店機能を持たせているものも銀座には多い。ある有名ファッションブランド店では、銀座通りと並木通りにわざわざ2店舗も持っているところもあった。

それほど銀座という地名は魅力的なのか?はっきり言って私はそう思う。それは東京の繁華街の人気がその時代時代で流動したとしても、凛として銀座の「立ち位置」は変わらず、常に日本の最高峰の街として存在し続けたことにあると思う。高額の商品を購入する者、高額の料理を嗜む者、高額のお酒を飲むことができる者の目は厳しい。そのような人たちの評価を得ることをできる商品・料理・サービスを銀座に出店した者には求められる。ちょっとした成金や親の遺産で多額の金を得た者たちを満足させることができる街や店は全国どこにでもある。だが、(おそらく)研ぎ澄まされた眼を持っている者を満足させることができる店舗がこれほど多く存在している街はやはり銀座だろう。
ごまかしはきかない。だが、そのようなお金を使える人に認められる商品・料理・サービスを提供できたら、彼らは躊躇なくお金を出すだろう。そして、認められたお店はその金で潤い、同時に知名度も得る。だから銀座に店舗を構えることを目標にして努力する者が現れる。もちろんそれは一人や二人ではない。一社や二社ではないだろう。また、従前より評価されている店舗も、その地位を失わないように努めるだろう。その互いのパワーが、とても静かに水面下で蓄えられ、いつまでも銀座が銀座であるという街のスタンスが保たれる。絶妙なパワーのバランスや世代交代がその位置を不動のものとしている。
そのような場所は東京でも銀座しかない。
だから、〇〇GINZA、〇〇銀座という名称を自らの店舗に付けるのだろう。

では、函館にはそのような場所はあるのだろうか?もちろん規模やグレード等は銀座と比べることなどできないが、少なくともその街の名を冠した店舗名が人から違和感なく受け入れられる町はあるだろうか。例えば、今多くの市民が「便利」だとして利用されている(同時に居住されている)美原・昭和・石川という名前を冠した店舗があったとしたらどうだろうか?おそらく多くの人が違和感を感じるだろう。カフェ○○美原、レストラン○○石川、○○屋昭和というような名前の店舗があったとしても重みと高級感を感じるだろうか?
もちろんこれは私の感覚であるが、函館で唯一町名を冠して許されるのは元町だけだろう。それはおそらく多くの人が最も違和感を持たない名称となるだろう。だから、自分が高いレベルで挑戦したいと考える者は元町やその周辺の場所に店を構えようとするだろうし、そのようなパワーがあるうちは、函館は全国的にも評価される函館として存在するだろう。しかし、観光客だけで経営を維持するのは実際には難しい。地元の人々が好んで利用できるような店舗にならなければならない。

店舗だけの問題というわけではないが、函館の中での元町の「位置」がもし失われたら、おそらく函館は函館でなくだろう。また、そのようにならなければただのどこにでもある街になってしまうだろう。元町をいつまでもその位置づけできるかどうかは、決して観光客がするものではない。既に遠くてなかなか行けないと言ってしまっている私たち市民によって左右されるものだと思う。



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by jhm-in-hakodate | 2017-09-12 22:30 | 函館の現状について | Trackback | Comments(0)