私が猫を飼って動物虐待していると感じた時

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たまにはきちんと何かを話そうと思う。
いや、これから話すことが「きちんとした」ことに分類されるのかどうかはわからない。それは読んだ方が判断することであろう。私が言う「きちんと」というものは、自分の考えをきちんと話そう、という意味だ。

だいぶ前に書いたかもしれないが、本人でさえその確かな記憶がないので、ある部分まではもし重複していたとしてもとにかく書いてみることにした。
それは私が20歳から22歳くらいまでの間のどこかで起きた話だ。時期などの細かい記憶はないけど、出来事は今でも鮮明に覚えている。

私は札幌北区のあるボロアパートの1階に住んでいた。当時はもちろん昭和だったが、その中でもとびっきりの昭和的なアパートだった。玄関・トイレが共同で、電話も玄関先に1台公衆電話があり、電話がかかって来ると音に気付いた住人の誰かが出て対応するという、今では信じられないようなシステムが当たり前の時代だった。
台所、というより「流し」はレバー式、と言っても今のキッチンにある混栓式のようなお湯と水が混じり合うといったレバーではなく、単に水を出すためにレバーを右から左に回すという代物で、冬になるといつも管が凍結していた。ところが幸いなことになぜか凍結しないトイレの水をやかんに汲んで、コンロでそれなりの高温のお湯にして、レバーからゆっくり下にお湯が流れるようにかけて辛抱強く金属管内で凍結した氷を少しずつ解かしていく原始的な手法を使わなければならなかった。
一度のトイレで組んだ水で解凍できたらまだましだが、何度も繰り替えさなければならない時は、水が出るまで1時間以上かってしまったこともある。

ともかくそんな昭和でも古代に属するアパートに流れる空気はゆっくりしていた。金もなく特別やりたいこともなかったその頃は、夏になると窓の半分を全開にして空気を入れ替え、本人は布団の中でだらだと横になっていることが多かった。音楽を聴きながら布団に入ってボーと天井を見ていることもあった。そんな時期、必ず夕方近くに窓の敷居にひょいと現れる猫がいた。あるいは窓の下で「にぁぁ~おん」と啼き、自分の存在を示すこともあった。最初、当然のことだが私にとってはstrangerであった。
どこかから辿り着いた猫なのだろう。きっとどこかに塒があって、ちょっとした散歩の途中に私の所に立ち寄っただけかもしれない。

だから、その猫が来た時は、「よう、ようこそ」「ちょっと一休みしていくかい?」のような声をかけていた。
猫は怯えもせずにじっと窓の敷居に座って室内の様子を眺めていた。私は、ある時まるで自分の家に訪問したお客さんにするように、「せっかくだからソーセージでも食べるか」とおやつを差し出した。すると猫はそれを美味しそうにしっかりと食べた。むしゃむしゃむしゃ。口からこぼれたら落ちた室内の床に下りて拾って食べ、また窓敷居の定位置に戻った。

そのようにしてかす猫は時々私の部屋をたびたび訪れるようになった。さすがに何度も遊びに来るようになったらシーチキンの缶詰くらいは私も用意することにした。貧乏だったが、私の部屋を訪れる数少ない「お客様」だったので、せめてご馳走くらいは、というきもちだった。
そして、猫と私の関係は、たまにはちょっとふざけて猫を抱いたり、キャット空中3回転の実験をしたりする以外は、ただそれぞれ自分の過ごしたい時間を過ごしていた。私が本を読んでいる時は、その猫には一切構わなかった。そんな状況に退屈したのか猫は帰って行くのだが、また懲りずにそのうちに訪れてくる。
シーチキンをあげる時は、窓の下の地面に缶詰を置いて食べさせた。
一応、窓敷居までが君に許される位置であり、それ以上は勝手に踏み込まれても困るし、猫もそれを察しているかのように自分「定位置」を変えることはなかった。

我々の関係は、ただ偶然知り合った人間と猫、それ以上でもそれ以下でもなかった。
ところがある時から事情が一変した。ありえないことが私の身に起こったのだった。
(次回に続く)




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by jhm-in-hakodate | 2017-04-14 00:41 | その他雑感 | Trackback | Comments(0)
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