僕がアメリカ映画が好きだった頃は、ロバート・デ・ニーロの全盛期だった時(シェアーズ・ヒシイにて)
今ほとんどアメリカ映画を観なくなった。
今というよりここ20年以上前からと正しく言った方がよさそうだ。なぜ観なくなったかという明確な理由は思い浮かばないが、たぶん作品そのものより製作費に比重を重くした頃からだろうか。とにかく派手に金を使って製作し、それを謳い文句にした頃からだったと思う。
それまでのアメリカ映画は面白かった。アメリカは今以上に病んでいた。それが映画にも表れていた。
その中で、印象に強く残っている映画にはロバート・デ・ニーロが出演しているものが多かった。「タクシードライバー」はもちろんのこと、「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」「アンタッチャブル」等々。いわゆるアメリカの裏の世界を描き出した映画でのデ・ニーロの渋さは抜きん出ていた。とにかくカッコ良かった。いつか自分も年齢を重ねたらああいう風になりたいと心のどこかで思っていた。危ない男。
そして探偵はバーにいた、ではなくて危ない男はバーにいた。
とりあえずバーに行くようにはなった。しかし、話すことと言えば笑い話。とてもではないが渋い話には発展しない。
20代の頃の予定では、50歳を過ぎたら、バーカウンターに少し寂しげにしてひとりで飲んでいる見知らぬ女性に、「彼女に1杯を」とご馳走しているはずだった。
だが、そんな場面は何十回行っても訪れることがなかった。そして、もしそんなことをしたら、その女性から「お気持ちはありがたいのですが、けっこうです」と拒否される可能性が高いことを知らず知らずのうちに自覚していった。
でも、もしロバート・デ・ニーロの映画を観ていなければ、そんな妄想さえも抱くこともなかっただろう。人にそんな妄想を持たせてくれるくらいロバート・デ・ニーロはカッコ良かった。
元町の「シェアーズ・ヒシイ」で、実際にそんな風に見知らぬ女性にご馳走した男がいたかどうか訊いてみた。
ほとんどそんなことはないけれど、一度だけカウンターで飲んでいた年配の男性が、ボッスにいた2人の女性にそれをやったそうだ。しかし、受け取った女性もどうしらいいのか戸惑うだけで、店内には妙にアンバランスな空気が流れたそうだ。
うーん、やっぱりこれからもやらないのが正解だろう。
でも、やっぱりロバート・デ・ニーロはカッコ良い。そして、ふと思うと、アメリカ映画界で好きになるのは男優ばかりで女優は特別に好きな人が思い浮かばない。
カッコ良さはアメリカの男性を求め、女性はやはり日本人がいいのか。
そんな妄想も、酔ってしまえば、眠気に勝てなく、さあそろそろ帰ろうと店を出る男にはもう無関係なのだろう。
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