開発と公共事業

a0158797_038269.jpg
11月の大三坂

公共事業と言えば、建設・土木関係の分野が圧倒的に多いイメージがある。具体的な数値を把握していないためどのくらいの比率になるか解らないが、特に北海道ではそうだ。しかし、これはエコロジーと相反関係にある。

このことを強く感じたのは苫小牧に住んでいた時のことだった。
夏のある日、私が管理していた土地の隣地の方から、雑草等が伸びて虫が多く発生して困っている、草刈をして欲しいとのクレームがあった。通常は土地所有者に事情を話し、所有者負担で業者を手配させてもらうのだが、その土地の所有者が連絡の取りづらい方だったため、気乗りのしないまま私が行くことになった。

草刈機で刈っている姿は見ていると楽そうだが、実際に70坪の土地の全てを刈ろうとするとけっこうしんどい。まず腰に来る。次に全身から汗が噴き出てくる。最後に腕が痺れる。けっこうな肉体労働だ。そんなハードな作業を続けている最中にあることに気付いた。

「ここは元々原野だったのだから虫がいて当り前ではないか」

その土地は苫小牧市の端にあり、市の土地区画整理事業によってできたものだった。苫小牧市は苫東開発の企業誘致によって人口が30万人になると想定して住宅地を目まぐるしいペースで開発して行った。ところが、実際に乗り込んできた企業は市の思惑より大きく下回った。次にトヨタが工場を新設する話が持ち上がった。トヨタは苫小牧市に工場のより近い地域に住居地域を設けて欲しいと要求してきた。これを受けて市は沼ノ端地区に大規模な土地区画整理事業を実施し、市には計35万人分の土地ができあがった。
ところがである、結局トヨタや関連会社の工場が稼働しても人口は17万人台止まりだったのである。用意した丁度半分しか利用されていない計算になる。半分は未利用の空地になっている。

これを単なる市の失政と片付けてはいけない。ある意味、今の公共事業の象徴的な結末だからだ。

北海道は長い日本の歴史の中では未開の地だった。だから、本州で地方整備局にあたるのが北海道では開発局と名づけられた。道路やダムなどの整備は壮大な公共事業だ。小さな国一つ分の開発規模だ。当然その数と規模に見合うだけの建設・土木会社が存在していた。産業分野での比率もかなりのものとなるはずだ。行政はその業者を潤わすために数々の事業を企て、仕事の分配を行なわなければならなかった。つまり、永遠に「開発」を続けなければならなかったのだ。それが本当に必要かどうかは別として。

「開発」は自然破壊を伴う。そして、一度計画したら不必要とわかったとしても中止できないのが公共事業だ。とどのつまり、業者を生かし続けるためには自然破壊する面積を増大させ続けなければならない。
エコロジーはエナジーやCO2だけが対象ではない。アイヌ人は自然を神と崇めた。私もそう思う。自然界の絶妙な生態バランスは神の領域に属する。人間は神の領域を侵してしまっているのだ。公共事業による不必要な自然破壊を止めることも「エコ」なのだ。

人間は必要な分だけ、自然からその一部を謙虚に借り受けて生きていくべきだと思う。苫小牧の例も勿論のことだが、函館もこれ以上市街地を拡げてはいけない。人口が減少するのは明らかである以上、既存市街地を再開発等で整備して快適に居住できるようにすることが「エコ」であるし、また、観光都市として、来訪者を迎えうるような街並にすることが急務だと考える。

最後に余談だが、国家規模の最大の公共事業が戦争である。
by jhm-in-hakodate | 2010-01-20 00:39 | 函館の現状について | Trackback | Comments(0)
トラックバックURL : http://jhm1998.exblog.jp/tb/9707497
トラックバックする(会員専用) [ヘルプ]
※このブログはトラックバック承認制を適用しています。 ブログの持ち主が承認するまでトラックバックは表示されません。