都市と文化の関連性について

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日和坂。この界隈には古い家が多く、色々な角度から撮影することが楽める坂です。

私は学者でも何でもないので、詳細な調査や高尚な理論に基づいてこの題材について話すわけではない。約半世紀の経験を繋ぎ合わせて一つの形になったことを言葉で表現するだけである。

この命題を考えるきっかけになったのは、北海道生まれの人間で、北海道のあちこちを訪れたことがあるということが原因となっているのかもしれない。何故なら、長い年月と領主の変遷によって街が様変わりした歴史を持つ本州の街では、ややこし過ぎて気付きもしないことが、この歴史が浅くてややこしくない北海道に住んでいると、明瞭な形で見えてくるからである。

以前書いたことがあるが、私は苫小牧に住んでいた。この街はご存知のように工業や物流の拠点として拡大してきた街だ。特にトヨタや関連する事業所の労働者の収入は、他事業所の同年齢のそれに比べ高い。飲食店での彼らの金の使いっぷりは別物、とスナックのママから聞いたことがある。市にも収入が入る。生活保護費は全道でもトップクラスだ。そのためなのだろうか、離婚率も高い。逆に貧富の差が歴然としているからなのだろうか、犯罪発生率も全道トップクラスだ。そして、この街には美術館がない。書店に人が入っていない。人口と書店数の割合から進出して来た書店はいつもがらがらだ。
この街で早くから開業したある老舗企業の社長は「本屋なんかやってもこの街では儲かるわけがない」と断言した。苫小牧には文化が根付いていない。

何故なのか?それは、この街の住民の多くを占める人間が、この街が好きだから住んでいるのではなく、稼ぐために住んで働いているからだ。

街に愛着心を持たないと文化は産まれない。これが私の持論だ。

もし、大手企業が幾つか苫小牧から撤退したら、物凄い数の人間があっという間にこの街から去っていくだろう。かつて、高収入を魅力とした移住者に溢れた炭鉱地が閉山によってもぬけの殻となり、廃墟だらけとなったように、「金の切れ目が縁の切れ目」だからだ。
どのような街でも存亡の危機はあるはずだ。基幹産業が斜陽化し、失望に街が覆われた時だ。その時、街に愛着を持っている者は何とか再興できないかと必死に考える。より楽しい街にしたい。これからも自分が住んで行く街だから。

そう、「自分が生きて行くべき街」と思う人が多く住んでいる都市に文化は産まれるのだ。

そういう意味では、函館はまだ救われている。正確に言うと、その分岐点にあるのかもしれない。しかし、ここに住んでいることが必然的であって、その暮らしの中で自己を表現して行きたいと思う人がまだたくさんいるのも確かだ。私はそういう人々が失望せずに、その想いを具現化していけば函館は文化だけではなく、産業においても「廃墟」状態になることはないと信じている。
だから私もこの街に住んでいる。
by jhm-in-hakodate | 2010-01-27 01:56 | 函館の現状について | Trackback | Comments(2)
Commented by ayrton_7 at 2010-01-27 02:33
僕も分岐点にあるように思います。
今ならまだ間に合います。
Commented by jhm-in-hakodate at 2010-01-27 17:54
ayrton様、このようなことに関心を持っている方が相当数いることが救いの部分です。街の様々な事柄に無関心であることが、その街を衰退に追いやる大きな要因であると思います。
即効的なものなどはそう簡単にはないかも知れませんが、何かを発信し続けることが大切であると信じています。