カテゴリ:函館の現状について( 189 )

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つい先日、「私が函館のことを話さなくなった理由」という文章を書いた直後で何ですが、少しだけ話します。

色々な街に住んでから函館に「定住」して7年を超えましたが、住み始めて函館での社会生活を開始した頃に感じ、今でもずっと変わらない函館のイメージがあります。それは、函館という地域社会は学校と似ている、ということです。
どういうことかと申しますと、地域社会を構成する人々の関係が、学校での生徒の関係と変わらないということであります。それは学生時代の大部分を函館で過ごしたからそう思うのでは?疑問を呈する方もいらっしゃるかもしれません。確かに他の街よりはるかに同窓生と遭遇する確率が高いのは間違いないのですが、単純に、だから学校のように感じるというわけではありません。いくら同じ学校に通っていた者でも、何十年も社会で様々な経験をしていますと、それなりの人間関係の作り方というものを体得して、親しき仲にも礼儀あり的なお付き合い、より正確に言えば、ちょうどいい距離感を保って人間関係を構築するということを覚えるはずなのですが、函館の社会は、相手に学校的な関係を求めているのではないかと思われて仕方ないのです。

学校的な人間関係の真っただ中にいる方々の間では噂はあっという間に広がります。ほんのちょっとしたどうでもいいことまで、当の本人があまり知らない人間にまでその噂が広がっていることがあります。それも事実とは異なった内容で伝わったりとか。人口が26万人以上も住んでいる街の中でのことです。5000人くらいしか住んでいない町の中でのことではありません。
こんなことは、100万人以上住んでいる街の中では、当人がよほど著名な人物であるとか、特定の狭い業界内での話以外はあまり考えられないことです。確かに中途半端な人口であることは理由のひとつとしてあげられるでしょう。しかし、私が思うのは、函館の人々は「学校的な人間関係」を望んでいるということです。学校と言っても、せいぜい高校までのことです。大学生になって全国各地で新たな生活を始めた人とは全く違った、1学年何クラスで何百人というコミュニティを人口26万人の社会にも求めているということです。

もう少しと詳しく話しますと、函館でずっと住んでいる方々は、函館という「学校」で何らかの成果を収めると(例えば社会的地位や名声・経済力など)、もうそれから上を中々見ようとはしない人が多いような気がします。それはそうです、「学校」中には限られた数の生徒しかいないわけですから。その中での立場を確立すると、「学校」の中でいい成績を取ったのだから凄いね、満足してしまうのです。後はその地位を失わないようにすることが最重要課題となってしまい、「学校外」のことはわからなくなってしまいます。「学校外」のことがわからないから、「学校外」ことは自分には関係のないことだと処理をして、注目しないようにしてしまうのです。

たまに大都市からの転校生がやって来ると、「えー、札幌の○○高校からなの?東京から来たの?」とちょっとした話題になって、すぐ関心がそちらに移って何となく田舎者っぽくなりたくない人は、転校生をもてはやします。転校生がもたらす「今までの学校内では知らないこと」には興味津々で、何となくそれが「学校外」での全てを知るかのような関心を示します。ですが、その転校生は全国各地どこにでもいるような生徒なのです。転校生は全国各地に散らばっている同じ学校の出身者なのですが、そういう者に憧れてしまうのです。だから転校生がいる場所にみんなが集まって来ます。今まで1組と2組が安定的な人間関係を築いても、転校生が来た3組や4組に関心が移ってしまうのです。
しかし、学校全体の基本的なコミュニティは変わらないため、結局3組も4組もいつしか今までの「学校」という枠内での価値判断をしてしまうわけです。この「学校」の中でちょっと音楽が上手だと、この人が一番だと盛り立てます。例えわざわざ「学校外」から優れた技術を持った方が演奏に来ても見向きもいないことがあります。「学校外」のことにはあまり関心がなく、ともかく学年テストで上位の成績を取れば何となく「できる人」となってしまうのです。
これでは、全国各地あるいは世界各地の「学校外」で生まれている新しいものには目もくれずに、あくまで「学校」での自分の立ち位置が重要となってしまいます。

「学校」の中では、「学校外」のことを知っている人をよく馬鹿にします。それは「学校」で当たり前のことを「学校外」の人を「学校内」の基準に合わないおかしい人と思うからです。あくまで「学校内」での基準をもとにしていますから、「学校外」のひとの言動は受け入れがたいものとして一笑に付すのであります。そんな学校を卒業したい人は函館という「学校」から転校します。「ここにいても狭い学校内のことしかわからないから」と。そうすると残された者は余計に「学校内」の基準でしか物を考えなくなります。
「学校外」の人は、日本全国や世界を知っています。広い世界を知って、自分より数段優れた人が星の数ほど世の中には存在していることを嫌でも思い知らされます。ですら、謙虚につまらない自己顕示をせずに、自分の進む道を全うしようとします。目が日本全国やせかすに向いているからです。しかし、「学校」の中ずっといる人は、情報としては入って来るけど、それは別世界のものであって自らがそれに類似した世界を作ることができないと、最初からあきらめています。

もちろんそうでもない人もいます。そういう人は「学校外」で活躍しています。決して「学校内」には留まったりしません。残された「学校内」人たちは、あいも変わらず噂橋で誰かがへまをしたとか、めくでもないことをしたとか、そんな「失敗者」の噂をすることで、相対的に自分は「善良なる学生」であることを確かめるわけです。ですから、函館の人は、他人をよく馬鹿にしたかせるのです。人を馬鹿にすることは、同時に自己への肯定という祖業をしているわけですから。

私は、進学校と呼ばれる函館の高校を卒業してから、大学・社会人として生活を重ねているうちに、それまで「学年でちょっといい成績」をとって優秀だ、と自己暗示にかかっていた妄想みたいなものを木端微塵に粉砕されてしまいました。世の中には自分より優秀な人間が数えきれないほど存在しているのだと。でも、だからこそ、目は「学校外」の広い世界に向いてしまうのです。
例えば、小説を読んでいると、この作者以上の作品を作ることができないか、そのようなことを頭に浮かべしまい、「学校新聞」にお願いして載せてほしいなどとは思わないのです。「日本の新聞」に取り扱われるようなものを創りたい。そんなことしか考えません。
「学校内」で評価されていた者が全て実社会でも活躍しているとは限りません。ちなみに、高校で3年先輩の方が、今ある道内大手銀行の副頭取の役に就いていて、次期頭取候補となっているようですが、高校時代は全く地味で目立たない生徒だったそうです。きっと密かに「学校外」ことを頭に入れていたのでしようね。だから「学校内」ではおとなしくしていたのではないかと、勝手な想像をしてしまいます。

久々に長く書きましたが、学校の関係を求めていては、「学校」という枠から飛び出すことはできません。どんなに「学校内」で人を比較したとしても、それはやはり「学校内」にしか通用しないものなのです。函館がよりよい街になるためには、「学校を卒業」することが必要だと思います。
まぁ、学校であれば、「港内新聞」に載るとちょっと別の目で見ていただけるというのはありがたいことですが、それでも「学年で一番優秀」だと言われるよりも、やはり私は日本で「ちょっと面白い奴だ」と思われるのが望みであります。そういう人間がたまたま「学校」に住んでいる。私の7年はそんな感じでいつも過ごしてきた毎日であります。




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このブログを昔からご覧になっていただいている方は気付いていると思いますが、私はここしばらく函館のことについて話すことを控えていました。それどころか、函館の写真を撮る数も滅法少なくなりました。
もう函館のことはどうでもいいと思っているのではないか、函館のあるべき姿という理想を諦めたのではないか、まぁ色々なことを推測できると思いますし、それ以前に、こんなブログはもうつまらないと思って既にご覧にならなくなった方もいるのではないかと思います。それはそれで受け入れるべき事実と思っていますし、そうなっても仕方ないとも思っています。

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ですが、まぁ懲りずにずっとブログを更新しているのは、ある意味があります。それを話すのは恐らくこのブログをやめようと決めた時であると思います。それまでは、核心の話はしないでおこうと考えています。まぁ、かと言って実際に話したところで「何だもったいぶって結局くだらない内容ではないか」と思う方もいらっしゃるかもしれませんし、事実としてそんな大層なものでもないかもしれません。

ただ、ひとつだけ申し上げますと、このブログを始めた時から目指していもの(と言えばまた大袈裟になってしまいますが)は、世界の人々が見ても何かを感じてもらえるもの。そこまでの力はなくても、函館地方の方に限らず全国の方の誰かが何かのきっかけでこのブログをご覧になった時にちょっと関心を持つ、それは、例えば色々なお店を紹介して「カタログ的」に便利なものではなく、文章の底に潜んでいる何かを感じてもらえるようなものを表現できたらいいなという願望を持って続けてまいりました。
それは今も変わりがありません。常に「会ったことも見たこともない人」を頭の中に入れて、決して仲間内を満足させるためのものではなく、薄っぺらい「函館LOVE」みたいなものを発信するわけではなく、耳触りの良い言葉を選ぶわけでもなく、常にその時の自分に正直に自分なりに「函館に住んでいるある人間が考え感じていること」を発信してまいりました。

それを以前は直接的な表現で話してまいりましたが、ある時期あたりから控えようと考えたわけであります。ひとつには、直接的に話すことはもう既にやっているのだから何度も同じことを言っても、話している自分自身が嫌になってしまうからであります。書いている本人が嫌であれば、読んでいる方はもっと嫌になると思います。
もうひとつは、私の文章力の無さが原因なのかもしれませんが、前述したような「底に潜んでいるもの」を読み取っていただけなくて、全く別の方向で解釈されることが多々あったからであります。

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また、正直な気持ちとして、函館ばかりに目をやってばかりいると、どんどん小さくある範囲の中でしか考えれなくなる自分を感じるようになりました。
函館はとても魅力的な街です。ですが、やはり日本という国のある一部の地方しか過ぎないし、世界から見るとほんの小さな、たぶん世界の人口と比べるとかなり少ない割合の人しか訪れることのない街であるのではないかと思っております。
それを痛切に感じたのは、自分が旅をした時、あるいは外国の方と話した時、または、外国を旅した方から話を聞いた時であります。そのような規模で考えると、函館のことをあれこれ話しても結局内側に向かっているだけなのではないかと思うようになったのです。

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実際、先日旅した仙台も魅力的な街でありました。青森も面白いところがたくさんあります。以前住んでいた新潟も、そこに住んでいる方々はとても素敵な人たちばかりでした。大阪もとても面白そうです。どっぷりと大阪に浸かってみたくなります。京都は言うまでもなくやっぱり京都です。長野の山奥にある意味での「日本」を見ました。
そう、函館はそんな広い日本のひとつの街にしか過ぎないのです。でも、訪れてみたら何とも言えない魅力を感じる街でもあるのではないかとも思っています。

では、函館の魅力とは何だろう?それはきっと底に流れている、言葉だけでは表せない何かであろうと思います。その「底」は函館市民も近付いてみなければわからないものです。底を見ようとしない(あるいはその機会のない)市民は、それに気付かずにどこにでもあるような「便利な」ものに走ってしまいます。
そこで何が自分にできるか?それを無理矢理言葉で表現しようとするとどこかで限度が来てしまう。そんなことをやっているうちに「底」はどんどん薄くなってしまう。

だから直接的な言葉で話すことを控えるようにしたのです。

これだけで私が言いたい意味をわかっていただければとてもありがたいのですが、恐らくわからない方の方が多いのではないかと思います(笑)
ですが、結局どの世界でも、どの分野でも、最終的には結果が伴うかどうかが重要なのでありますので、私はその結果に向かってただ自分なりにできることをやって行くだけであります。そのようなことで、これからも「読んでもつまらない、便利ではない」記事を毎日アップする予定であります。




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昨日、平成28年の基準地価が発表された。函館は一部地点が横ばいで大半は下落という結果が出た。私はそれでいいと思っている。いや、もっと下がるべきだと思っているのです。
これは最近考えたことではなく、ずっと前から頭の中にあったのですが、確信できるとは言い切れなかった部分があるところもあったし、このことについてお話しすることに若干躊躇しなければならない理由もあったのですが、もう話してしまおうという気になって今回述べることにしました。

有名な話ですが、函館の地価は高い、それも北海道の地方都市としては「異常に高い」という状態です。それに伴って家賃も高い。札幌に匹敵するほどの高さだ。これがどんなことを意味するのか、たぶん函館だけしか住んだことのない人にはわからないかと思いますが、街全体へ多大なる影響を与えることとなるのです。

よく地価が下がれば所有者の財産価値も下がるので好ましくはない、という話を聞くのですが、これは土地所有者だけしか見ていない論理です。これから土地を購入する立場で見ると、地価が高いと土地と同時に購入(建築)する総費用が当然の如く高額になります。たとえそれが高額になっても、住宅ローンを支払うに充分な収入が高ければ問題ないのですが、残念なことに函館市民の平均収入はそれほどではないのです。
北海道内の他都市の一部をご紹介しますと、旭川・苫小牧双方とも市民の平均収入は高いのですが、一般住宅地の地価は函館よりも数段低いのです。坪当たりの金額にして5万円は違っています。つまり、函館市民は他都市より高い住宅ローンを組み、当然月々支払いをしながら暮らしているわけなのですが、例えば購入した土地が60坪として(建築費用は変わらないという前提)で坪当たり5万円違うと、総必要資金<で300万円違ってきます。これは金利1%35年何支払の内の当初5年間だけでも月々の支払いが8,468も異なって来ます。
この差は、3年固定・5年固定等が期間が終了すると、それ以上に確実に増額するのです。つまり、函館市民は少ない報酬に対しての住宅ローンの支払い割合が高くなってしまうということです。そうすれば一般市民は支払いを済ませたお金を余裕を持って使えなくなります。だから、安くて量があるというものに飛びついてしまいます。しかし、そのようなものを販売しているところは薄利多売がモットーですので、従業員の賃金を高くすることができない。そんな悪循環に陥ってしまっているのです。

街全体の「金の回り方」を考えると決していいことではありません。いつまでも貧しい収入の中で暮らさなければならないわけです
土地という個人財産のもののために一般市民氏の生活の水準が低くなってしまうのは本末転倒のような現象です。ですからね土地はどんどん下がるべきなのです。





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いつものことながら、本文と写真は全く関係ありません。しつこいようですが、そう断っておかないと、一部の方でも関連付けて考えられたら、被写体となっていただいたお店に大変申し訳ありませんので・・・・・。

さて、もうすぐ(9/4)に西部地区バル街が開催されます。今回は、おそらく「カウンターの中の人」としては最後のバル街になると思います。1年前あたりから服用している薬の副作用でめまいがしやすくなっていたところに、疲労蓄積(あるいは回復がしづらい)のために、前回のバル街は一般客として参加していたのですが、今回とあめ理由によって再び「カウンターの中の人」になります。ですが、これが最後となるでしょう。次回からは一般客として飲み歩きを楽しむこととなります(笑)

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さてそのバル街ですが、実は2年くらい前から「異変」を感じておりました。それは単純に参加者数が少なくなったこと。とりわけ男性が少なくなったと実感しておりました。それはどうしてでしょうか?正直言って断言できるデータはないのですが、感覚的に申しますと、女性が減らないのは、女性は各店舗の「メニュー」に魅力を感じるからであり、参画店舗数が増えたなら、それなりの楽しみも持てるのでしょう、
しかし、男性はメニューそのものより、雰囲気あるいは盛り上がりを大切にするのではないかと思います。
実際私が一般客としてバル街を回った時、函館にこんなに若者がいたのか!と思えるほど西部地区は盛り上がっていました。しかし、その賑わいを今は感じることができません。

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その原因は何なんでしょうか?一言でいえば、バル街がただ店を回るだけのイベントになってしまった、ということではないだろうか?私が最初に参加した時は、あちこちで路上ライブや大道芸が披露されて、客の多さも相まって「祭り」とう様相になっていたように思えます。ところが今は、そのようなストリートライブや大道芸などもなく、(正確に言うと、ライブはどこかの店内だけでやっている)「祭り」という意味での盛り上がりに欠けるような気がしてしまいます。

ただいくつもあるお店の中から何軒が選んで飲み食いする。それって、やろうと思えば普段でもできることではないでしょうか。バル街にしかないもの、それは西部地区を歩いている若者たちが一体感のある大騒ぎをしている、その賑わいではないでしょうか・

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内容が伴わずに店舗数だけで増える。これはデータに出て来ない「実態」であるでしょう。西部地区バル街は決してなくしてはいけないイベントです。日本のバル街の元祖なのです。ですから「変化」はすることはあれ、自然消滅などはもってのほかでございましょう。
そのためには、各店舗の思惑はあるかもしれませんが、まず、原点である「祭り」というものの再現をしてみてはいかがでしょうか?
夜の西部地区を黙々と歩いている女性グループを拝見しますと、そう割わらざるえません。



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本日函館に「ライオンロック」がやってまいりました。台風10号のニックネームだそうですが、まるでライオンが岩山から行き良いよく疾走して降りて来たような迫力のある台風でした。自宅は微妙に揺れ続け、外を見ると鍋やらトタンの一部やらが私の車付近まで飛んできて、「何でこんなものがここに」というものをいくつも発見しました。

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光の採り入れ方を考える間もなくシャッターを押したのでひどい写真となりましたが、市内では、倒木・停電が相次いだようでして、幸らの被害が気になってしまいます。

ともかく、ライオンは急ぎ足で日本海の方に走り去ったようです。




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函館には数多くの物語が存在します。だが、それは歴史上の記録としての物語です。
その物語を色々な方々が研究し、記録として残しています。ですが、小説の物語としては私たちがすぐに思い付く物語はありません。

もちろん、函館の一部分の物語にスポットを当てて小説にしたものはあります。でも、函館の誕生という壮大なストーリーを物語にしたものはありません。

どうして誰も書いていないのか?箱館という小さな村だった地域が、後に全国でも屈指の繁栄を迎えた都市に変貌したストーリー。また、そこに至るまでのストーリー。それは、江戸時代が終わり明治維新後の西洋化が進んだ日本そのものの姿が函館にある、というストーリーなのです。そして、江戸時代がまさしく最期を迎えたのが箱館戦争だったのです。

函館には、日本の大きな転換を見届けた人々の物語があるはずなのです。でも、どうして誰も書かないのでしょうか?書いても面白くないから?そう考えている人もいるでしょう。
私は、明治時代以前の歴史の物語がないからだと思っています。

例えば、現代でも甲府で武田信玄の悪口を言うと喧嘩になる、と聞いたことがありますが、それが本当に喧嘩になるかどうかは別にして、それほど甲州での武田信玄への寵愛は強いということを物語っていることだと思います。
函館にそれがあるでしょうか?函館という港町の礎を作った高田屋嘉兵衛のことすら知らない市民が多くいます。そのような土壌の中で、函館の物語が生まれる可能性は低いような気がします。

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私にはまだ(たぶん)誰も書いていないだろうと思う箱館戦争のドラマを書にしたいという夢があります。恐らく誰かが既に書いているかもしれませんが、私が書きたいのは、榎本軍からの視点でもなく、官軍からの視点でもなく、戊辰戦争というものに翻弄された松前藩からの視点で書きたいと考えています。

松前藩士は私にとって遠い祖先であります。江戸幕府によって自らの領地を直轄にさせられたり、やっと戻ったかと思ったら榎本軍に侵略される。そして、官軍に合流して自分たちを追い払った榎本軍と先方役として自らの領地の奪還のために闘う、松前郡から見た箱館戦争の物語を書きたいのです。
まだ詳細は調査していませんが、恐らく私の祖母方の祖先も祖父方の祖先も、その戦いに加わっていたのではないかとの仮説を持っています。

明治時代になってから領地が回復し、一時的に藩に再びなり、その後廃藩置県で士族となり、士族解体で農民などになった祖先は、江戸から明治への移り変わりを象徴しているように思えてなりません。
松前藩側から見ると、当然榎本軍(新選組も当然入っています)は侵略者であり、箱館を拠点とした彼らが食糧確保のために、住民から食べ物を脅し取っていたことも書かなければなりません。
また、戦争時に米を買い占めて膨大な利益を得た相馬哲平氏が豪商となった経緯も書かなければならないと思います。今まで悲劇や美談となっていたものを場合によっては覆させなければならないでしょう。
しかし、それが歴史の流れの一場面であるのです。

それを物語にして、私は死んで行きたいと願っています。



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5月2日の北海道新聞の道南向け地域情報版「みなみ風」でやっとわかったことがある。
その「みなみ風」の1面(上の写真)には、小見出しで「ネパール人らがシェフを務める本場カレーの店が、函館や近郊に続々登場している。ネパールやインドで愛されるスパイシーなカレーを提供。日本人の胃袋を魅了する。・・・・・・・」とある。

私は過去何度かカレーのことについて書いてきたのだが、どうもしっくりきていなかったことがあった。
そのことをお話しする前に、もう一度カレーについて整理してみよう。
まず、カレーと言っても3種類あって、イギリスがインドから持ち帰って独自の料理法で作ったカレー(函館で代表的なのが五島軒のカレー)と、札幌の地下鉄北18条付近が発祥とされるスープカレー、そしてインド料理。このように分けていたのだが、そのインド料理の中でも北インド料理と南インド料理に分かれている。自分はずっとそう思っていました。しかし、函館でそのインド料理を食べても、どうも私が思う北インド・南インドのどちらの味とは違ったものが多かった。

「みなみ風」によると、函館で開業されている「インド料理店」のほとんどが、ネパールの「インド料理店」だったのだ。つまり、北インド・南インド料理の他にネパールインド料理があったということだ。
何だ、そんなことも知らなかったのか、と言われそうだが、少しだけ言い訳をしますと、私が30年以上前から札幌などで食べていたインド料理は北インド料理だったため、ネパールインド料理という存在を知らなかったのです。
もっとわかりやすく言うと、私が食べていたのは、インド人が作ったインド料理だったということで、たまたまネパール人が作ったインド料理を食べていなかったということになります。それが私にとって最もしっくりこなかった原因だったのでした。

「みなみ風」の記事を読むと、ほとんどがネパールインドカレーで、ネパール人でいわゆる「北インド料理」を作っているのが「HOT POT」であったことがわかった。ということは、函館で広がったインド料理とは、ネパールインド料理であったということになる。しかし、私の知っている限りにおいては、「日本人の胃袋を魅了」し、インド料理を日本に広めたのは北インド料理であって、決してネパールインド料理ではない。おそらく30年以上前からインド料理を食べて来た人は異論をはさまないであろう。
そのために私はどこか違和感をもったのだろうと思う。

これらのことをまとめると、日本にインド料理として認知され、全国で広がったインド人が作る「インド料理(北)」は、函館には一部にしかなく、函館において広がったのはネパール料理であり、函館市民の「インド料理」の味覚のベースとなっている、ということだ。
これで、今回の記事のタイトルの意味がお分かりになれましたでしょうか?

まぁ、味の好みは人それぞれですので、自分が好きだと思えばそれでいいのですが、やっぱり私は、慣れ親しんだ(北)インド料理を食べ比べしたいと思ったら、札幌に行くしかないと思っています。札幌にはインド人が作ったインド料理を食べることができるお店がいくつもあります。もちろん東京にはもっとたくさんあるでしょう。

その中で、今まで食べた中で最も美味しかったのが、北南インド両方を食べ比べできる札幌円山の「ジャド・プール」であります。これからも機会があればインド料理をあちこちで食べてみたいと思っていますが、こんなにインド料理の奥が深いとは、まだまだ私は修業が足りません。



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先日教育大学函館校で、西本伸顕さん(ふらのまちづくり株式会社代表取締役)の講演があった。
正直言って、この講演があることを全く知らなかった。ところがある日、知人である北海道大学水産学部准教授の松石隆さんから、「函館に来ますよ」というメールをいただき、これは絶対にはずせないと、当日をとても楽しみにしておりました。

この西本さん、実は私のリクルート時代の上司であった方なのです。
はい、それはもう仕事はできました。そして多くの人に好かれました。私もその一人でした。
男が惚れる男、と言っても過言ではありません。外見の問題ではないのです。やっている仕事がかっこいいのです。誰もが納得するようにスタッフの意見をまとめ、あるいは納得するような指針を示し、次の仕事に向って行く。その姿に職場の人間からとても敬愛されていました。

背中をまげてがに股で歩く独特の姿もなぜかカッコよく見えて、夕方近くなると、綿100%のオックスフードシャツに仕事でできた皺が、激務で自然に出来た仕事の後足のように見えて、これもまた似合っていたのでした。
私が綿100%のワイシャツをいまだに着ているのは、はっきり言って西本さんの影響です。ワイシャツにいい皺ができたら、その日はいい仕事ができたのかもしれないという、変な自己満足を与えてくれる皺。

そんな元上司に約30年ぶり以上に顔を合わせることができた。

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西本さんがリクルートを退職することが分かったのは突然だった。ある日の朝礼で突然退職の辞を述べたのでした。このまま会社にいれば、間違いなく上に上がって行くような能力を持った人間がどうして?そんな疑問しか浮かびませんでした。しかし、その時の説明では、実家富良野の農業系の会社の手伝いをしなければならなくなった、というのが退職の理由だったと記憶している。

でも、こ方は、富良野の小さな会社だけにおさまっている人ではないはずだ。若くて未熟な私にもそんなことを考えさせてくれる方だった。
それが、今では富良野に観光客を200万人呼び込んだ仕掛け人のひとりであったとわかっても、西本さんならやるでしょう、という当然の感想を持ったくらいでした。

ただ、今回の公演の中で最も心にグサッときたのが、「評論家になってはいけない、行動する者になれ」という言葉でした。
私を含め、函館には夥しい数の「評論家」がおります。ちょっとしたことに批判を集中させ、それによって自分の立ち位置を確保しようとする人々。でも、自らはそれほど動かない。
こらような実態を知るにしたがって、私は函館を論じることを控えるようになりました。語るのではなく、自分に何ができるか、何をしなければならないか、そちらの方を考えるようになりました。でも、やはり考えているだけだったんですね。

西本さんは、自ら動いて、人口がたったの2万3千人の都市の寂れてしまうかもしれない駅前地区を見事に変えてしまったのです。人が集まるようにすればいい。観光客というのは、人が集まっているところに行く傾向にあるから、と大学の先生に教えられ、それを実践しました。
「人が集まる場所」というのは「地元民が集まる場所」でなければならない。それがなければ運営が成り立たない。よく考えてみると当然のことです。

人口28万人の都市で観光客が484万人(平成26年度)訪れているという実感を、はたして函館市民は持っているでしょうか?そして、その観光客方々が訪れているのは、人が集まらない場所なのです。だから富良野のように人口の100倍の観光客数にはならないのではないかと思います。
あと、そのような地元を元気になってもらおうと活動している人は、ほとんど出戻り組だそうです。昔からの地元民はなかなか腰を上げないそうでした。外から見える自分の街、これは最も函館市民に欠けている見方だと思っています。
函館のことについて語るのは、今後も少ないままだと思います。行動できなければいくら話しても仕方ないのですから。

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左が、西本伸顕さん、右が松石隆さん。見事に顔に焦点が合わない失敗写真でした。面目ない。



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映画「海炭市叙景」の中の強烈な個性で観客を釘付けにした、(あの映画の中で最も優れキャスターではないかとも言われている)トキさんの住んでいたことになっていた家が、人知れず解体され更地となっていた。

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それを今日知った。恐らくもっと前に解体されていたのだろうけど、気が付いたのは今日だった。

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この家は、ロケのために特別に貸し出したもので、ロケが終わったら本来の住人は静かにさせてほしいと、ロケ地マップにも記載されなかった。知っているのは地元函館市民と関係者だけだっただろう。

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解体された板の外壁の一部なのだろうか、木の枝に引っかかっていた。

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動物を飼っていたところの奥側、その辺りには可愛い花が咲いていた。

私たちは、静かに消えて行った家や人を、知らないまままた明日も生きて行く。
いつしか、まるでそこには最初から何もなかったようにと、思いながら。

家は人だ。家は街だ。それらが無くなることによって、また、歴史がほんのわずか変わって行く。




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えー、気が付けば最近色々なお店のことなんかを書いたりしているのが続き、グルメブログではないと言いながら、そのような傾向になっているついでに、今日は先日体験したおる料理店のお話を。

そのお店は、海岸線にある和食系の料理店だが、日常的にはあまり行かない所で、そこがオープンしてからも3~4度しか利用していないお店だった。
ところがある日、たまにはそのお店の料理でも食べようと、お昼時に入ってみたら、満席状態。まぁ、仕方ない.カウンターの一人掛け用の席もそのうち空くだろうと待つことにした。係員の指示に従って、順番待ちの雹に私の名前と人数を書いたのでした。

ところが、その直後、2人用のテーブルが空きました。と同時に店に男女2名のお客さんが入って来たのですが、係員は、空いたテーブルにその2人組のお客さんを案内したのです。
私が先に待っているのに、2人組を優先して案内したい気持ちはわかります。2人用の場所にひとりで占領されたらお店としたら1一人をとって二人を犠牲にする可能性があるからです。私のようなサラリーマンが外出先でひとりで食べるということには、そういうどちらかというと「後順位」に位置されているとは比較的小多くの店でも感じることができるので、ある程度は慣れている部分もあるのです。

少しすると、また2人用のテーブルが空きました。食器等を下げても、そこは空席のままでした。私への案内はありませんでした。すると、またまた2人組のお客さんが入店してきて、係員は待っている私には何も言わずにその2人組を案内した。
さすがにこの時は、もうだめだと判断しました。2人組を席に着かせた後、係員が私に「すみません」と言ったのですが、もう遅いです。私は「やめます」と言って、そのお店を出ました。

私が不快感を覚えたのは、祖気に待っている客に、「すみません、この方々を先にご案内してもいいですか?」ということばをひとこともかけなかったことだ。先ほども言ったように、2人用のテーブルには二人を着席させた方がいいという店側の気持ちもわからなくない。
だから、先ほどの一言を言っていたなら、もう少し待っていたかもしれない。その言葉が全くないまま当然のように2人組を優先するという、このお店の姿勢が最も不愉快だったのです。

私がよく行く蕎麦屋さんではこのようなことはありません。待っているお客さんには、必ずご了承をいただくための一言をかけます。よくあるのは、カウンターの一人席が空いた時、先に二人組が私より先に待っていたときの場合。一人分しか空いていないのだから二人は座れないことは誰が見てもわかるのですが、それでもちゃんとお断りとご了承を得てから席を案内するのです。だから私は、待っているお客さんにお辞儀をしてカウンターに座る。
また、逆に私が席を動くことによって、後から入って来た複数のお客さんが座れるなら、何の躊躇もなく席を移動しています。それは、自分がちょっと得したことへのささやかなお店に対する恩返しなのです。

そのひとことを言わないお店は、今や函館を代表する寿司店の系列店なのですが、その企業はそういう客の扱い方をするようにしろと社員教育をしているのだろうか?前々から私が入ったお店の従業員の客に対する応対が雑だなと思っており、好印象は持っていなかったのですが、頻回のことで決定的になりました。もうそのお店にはいくことは決してないでしょう。

かたや、比較として出した蕎麦店は今後も利用させていただくことになるでしょう。
その違いは、たったのひとこと。「こちらを先にご案内してもよろしいでしょうか?」これを言うか言わないかの差だ。

もうひとつ疑問。その不快感を覚えた店はいつも混んでいる。函館の人はそのような客への対応をしている店に何の疑問も感じずに行き続けるのだろうか?行くとすれば、函館スタンダードというのは、「気遣わずということになるだろう。
それを第三者(観光客など)が感じたら、函館の印象はどうなるのだろうか。

単なる一つの店の出来事ではないのです。



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