カテゴリ:社会・経済について( 143 )

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昨日の報道番組で、陸前高田市の造成された「新市街地」に津波によって店舗とその経営者である父親を失った方が新しい店舗で営業を始めたという内容のものを見た。その映像を見て、いても立ってもいられなくなった。

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そうだ、私は約1年1か月前にそこに行ったのだ。正確に言うと、その新市街地には行っていない。そもそも新市街地が私が見た風景のどこに位置していたのかもその時はわからなった。

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だから私には「新市街地」について語る資格などまったくないのだが、なぜかその時自分が撮った写真を改めて見たくなってしまった。そしてその写真は公開すべきではないと思っていた写真だった。<br>

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写真を撮るには何らかの理由がある。その風景がきれいだったから、とか、その一瞬を記録しておきたかったから、被写体をこう撮ったら編集・加工して自分が想定している写真に仕上がるからとか。ただ何となくでも立派な理由だ。

だが、私が撮った陸前高田の風景は、せっかくここまで来たのだから何かを撮っておきたいという不純な理由からだった。それは、見事に写真に反映されてしまった。この写真をご覧になった方は、きっと何も感じないでしょう。ただの土木工事風景だと思うかもしれません。それは当然だと思います。撮った人間の心が不純だったからだ。

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陸前高田に着いた時、私は愕然とした。何もないからだ。それは津波によってそのあたりの全てのものを奪い去られたから、というのは頭では理解できた。だが、感覚としては全く理解できいなかった。私は混乱した。こまで来ていったい何を自分の頭に記憶し、写真に記録したらいいのだろうか。まったくわからなかった。またその必要はあるのだろうか。被災地という名を持った街を訪れることだけに意義を持っていたのではないだろうか。色々考えた。その混乱がそのまま写真に出ていた。

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それはもちろん陸前高田という街のせいではなかった。撮る側の問題だった。何もないもの撮るという心のレベルに達していない人間の問題だった。だから被災地から帰って来てから陸前高田で撮った写真を公開したのは「奇跡の一本松」だけだった。それしか出せなかった。

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だからこれらの写真はずっと封印していた。今回やっと公開しようとしたのは、津波の恐ろしさを知らせるためでもなく、被災地の惨状を伝えるためでもなく、ニュースを見た時に感じた、自分はもとよりたぶん多くの人々が「何もない」ということを心から実感できていないだろうと思ったからだ。

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そもそも複数の被災地を1日で駆け巡ることが大きな間違いだった。そのことで自分を責めた。今度被災地に行く時は、車をどこかに停め、自分の足で街を回りそこの底流にある事実を把握しなければならないと痛切に反省した。

あっ、そう言えば南三陸町のさんさん商店街のお土産さんのご主人に約束していた。また来ます、と。今度は時間をかけ、自分が理解までとはいかなくても、心に何かをおさめることができるまでその場に時間の許す限りいつづけようと思った。

1年以上経ってやっとそのことが言えた。



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しばらく体調を整えることを優先してブログの更新は鈍くなりますと言って間もなくですが、どうしても述べさせていただきたいことができ、今日はちょっとだけ無理して投稿したいと思います。

みなさんニュース等で既にご存知であると思いますが、衆議院が解散する前後から政界に大きな動きがありました。
その内容については、私よりもみなさんの方が詳しいかもしれませんので説明は省きます。でも、実は3か月くらい前から解散総選挙が近いことはわかっていました。その理由を具体的に述べることはできませんが、ひとつだけお話ししますと、実にわかりやすい行動をした方がいらっしゃったからです。しかし、具体的にいつ、どのような大義名分で解散をするのかまではわかりませんでした。

ともかく自民党の中では着々とその時に向かっていたのだろうと思うのですが(もちろん推測しかできない)、まさか国会の休会中に今回の臨時国会で何の審議もせずに、首相の権限を利用して解散するとは夢にも思いませんでした。しかし、よく考えてみると、私ごときがそれを察していたのですから、その前から当然小池東京都知事も解散はあるとの前提で自らの政治塾を作り国会への進出(知事自らかどうかは別として)を画策していたと思います。
恐らく水面下での駆け引きを私ごときで想像できないほど緊迫していたのではないかと思います。安倍首相としては、森友・加計問題や度重なる自民党議員のスキャンダルから国民の関心を逸らそうと画策していたのかもしれません。でも、それが目的であるならば、昨今の北朝鮮問題は格好のエスケープのための題材となり、より戦略的にそれを強調すれば済んだはずです。実際に私たち国民はかつてないほどの危機を感じているのですから。まだまだ寝ていたい早朝のエリアメールは、効果としてはそれはもう絶大なものでしから(笑)ところがそれを思っていたほどせずに、「よくわからない解散」をしてしまいました。ひょっとしたら安倍首相は北朝鮮よりも小池知事の方に危機感を感じていたのでしょうか。つまり小池体制が整う前に選挙をやってしまえ、という単なる戦略だけのための解散だったのでしょうか?もしそれが本当だったとしたら、私たちの税金の600億円を超える額を、「都合」だけで使われてしまうことになります。

もう、これは政治ではありません。税金を使って演じる茶番劇です。そして、その茶番劇のドタバタに、より効果的に加わったのが小池知事であり民進党でした。解散対策として(あるいは既に計画していたものを急遽前倒しして)小池知事は新党を立ち上げました。自らの都知事当選に加えて都議会選での圧勝を受けて恐らく小池知事は「私は人や政界を動かせることができる」という「おごり」を持ってしまったかもしれません。ですから、国会にも自分の影響力を知事という立場でも充分効果的に発揮できるのとでも思ったのでしょう。ですが、実際小池「人気」はそのドラマの脚本の作り方によって、より国民の話題となり(あるいは話題となるように発言をして)想定に近い進行でことを進めているのだろうと思います。その「おごり」の段階に入りつつある小池氏に民進党は身を任せることを決断しました。
政策で合意できるかどうかもじっくり話し合わず、小池氏に立候補者の選択を事実上一任してしまったわけであります。これで茶番劇の登場者が全て揃ったわけであります。(これからも増えるかもしれませんが)

この茶番劇を見ることになってしまった私たちは、この劇の流れのままでは、多額の税金を使う選挙に投票という観覧料を支払ってしまうことになります。私たち国民を愚弄した策略家同士の戦いに結果的に料金まで払ってお付き合いしてしまうことになるのです。正直言ってくだらない映画を強制的に見せられて入場料を取られるようなものです。

ではなぜこうなってしまったのでしょうか?もちろん一つの要因だけではなく、私たちが知らないような永田町の事情もあるのでしょうが、根底には日本国が採用している政党政治というものの欠陥部分が具象化された結果ではないかと考えています。政党が支持を多く集めると、どんな無能な議員でも当選してしまう可能性があるからです。それは、どこの党にも共通する欠陥です。私たちが一生懸命考え、国の議会での代弁者として「代議士」を選ぶという民主的行為は、その政治家が所属する政党の方策によって歪められることも多数あるでしょうし、そもそもその政党に所属していたから政治的主張がほとんどなくても「国会議員」に就職できてしまうという、おかしなことが起きてしまうのが政党政治であります。

大きな党を作ってしまえばいいんだ、そして、大きな党に所属していればいいんだ、そういう動機が生じてしまうのが、この国の大きな欠陥であります。また、国民の直接投票による最高責任者(日本では首相・他国では大統領)を選ぶことができないということも大きな欠陥であります。今の法律では多数勢力を作ることが大切で、健全な国会議論は場合によっては「たわごと」にしかならないのです。
しばらく野党に勢いがないとみた自民党は「独裁的」に物事を推し進めました。しかし、突然「希望の党」という小池氏の独裁政党が誕生すると、自民党という独裁政党はあわててしまいました。しかし、冷静に見ると、独裁同士が争うという構図はとても非健全的なのではないかと考えてしまいます。
最も理想的な政治形態は、保守とリベラルの力が均衡し、それぞれのいいところが国策に反映されるというものがとても健全であるはずなのです。しかし、現実ではそうではありません。保守と保守改革というよく理解できない構図に政界はなろうとしていますし、話題もそんなことはお構いなしに、安倍が勝つか小池が勝つかに集中しています。まるで安っぽい2時間ドラマを見ているようです。健全な政治とはかけ離れてしまっています。

では私たちはどうしたらいいのでしょうか。もう、政党がどうこうではなく、立候補した者の能力を優先して投票するしかないのではないかと思います。
明治維新はなぜ見事に出たのか。これも一言では決して言えませんが、少なくとも優秀な政治家・思想家が多数存在していたから成し遂げられたのだと思います。黒船来日という当時では考えられないような出来事が起こり、国家の危機感を強く感じた者たちが必死に考え話し合い、その中から優秀な政治家を輩出できたから明治維新は、クーデターではなく、日本の歴史の分岐点として位置づけられているのです。その優秀な政治家たちは今でも大きく改正しない民法を作りました。民主主義というものを真剣に考えたから今でも通用するものがたくさんあるのです。

さて、今の日本にそれほどの政治家はどれほどいるでしょうか。風見鶏的な行動や、長いものにはまかれろ的な発想からは健全な議論ができるわけはありません。もちろんこれは今に始まったことではありませんが、特に北朝鮮と米国間の間に入ってしまっている日本の危機という状況ではそんなのんきなことなど言ってもいられません。特に今、私たちには「有能な国会議員」が必要なのです。もう政党などどうでもいいのです。しっかりした政策を立てて提案し議論し実現できる能力あるそんな議員が必要なのです。地方に仕事に持って来るという飴を提供すると見せかける傍ら、戦闘国家としての流れを続ける以外に手段を見つけることができない政府と、知事選に公認されなかった意地で対抗し、それが好感を得て「有頂天」なりつつある独裁者(あるいは策略家)によって弄ばれているのは私たち国民です。

国際情勢が不穏であるからこそ、私たちは国会に行ってこの国をより良くしようとする議員を、政党とは関係なく選ばなくてはならないのでしょうか。
それでこそ、日本は民主国家であると世界に対して言えるのだと思うのですが。



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アメリカがシリアに対してトマホークを59発撃ち放った。
選挙前、世界の警察をアメリカがやねなんてまっぴらだ、と語っていたトランプ大統領が、事前にシリアを非難してはいたが、「正義を大義名分」にして自ら高家無゛木を始めたのだった。なぜこのタイミングにアメリカがシリアを攻撃しなければならなかったのは、今日段階でも諸説あり、その真意はまだ理解できないが、少なくともひとつだけ言えることがある。それは、

「トランプは公約を守った」ということだ。

戦争は公共事業だ。戦争をすると爆弾・武器の補充のために兵器産業が潤う。つまり、国内産業向けに、その生産を促す「正当に理由」ができたということだ。

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海の向こうで戦争が始まる。

私たちは明日のランチをどうしようかと考えている。



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前回に続いてトランプ大統領の発言に関して少し述べてみたいと思う。

今回は自動車の輸出入に関してだが、この件に関してトランプ氏はまた訳の分からないことを発言している。
日本車のアメリカ市場での販売数において、国内自動車産業を圧迫していてるという趣旨の発言。そのために日本自動車産業、とりわけトヨタが恰好の標的になっているのだが、根本的な問題をトランプ氏は見過ごしている。あるいは知っていても発言しないようにしているという意図を充分感じ取ることができる。

トランプ氏の発言趣旨はやおおざっばに言ってこうだ。日本車が大量に米国に輸出されて、「安く高性能で耐久性も燃費もいい」となれば必然的に日本産の自動種が評価を得ることができたら消費者の自然な選択基準となってしまい日本車を買ってしまう。そのために減収になった国内の自動車メーカーを維持させるためには日本車を売れづらくすればいい(実質的にはそんことはないが)という安易な発想を発言してしまったのだ。

もちろんどなたでもトランが閉鎖経済社会の方向に向いていることはわかると思うが、言い方を変えれば、国内でアメリカの「目先の売り上げ」が上がれば雇用も創出できていいだろうという、かなり狭い発想のもとでの発言にしか見えないのです。
国内の車をたくさん売りたければ、トヨタよりもホンダよりも優れた車を作ればいいだけなのただ。その商品創造力の支援を積極的に行う方がてっとりばやい「自国を強くする」方法なのだと思うのは私だけだろうか?
昔もそうだが、今゛手も私はアメリカ車には関心を持たない。それはデザイン、大きさ、技術力という点で全く魅力がないからだ。わざわざ高いお金を払ってあのような車を毎日乗りたいとは全く思わない。
「今度機会があったら」「予算が合えば」「もう少しデザインや性能が向上したら」という条件付きでもリストには上がってこない。これはたぶんアメリカ人もそう思っているから日本車が売れているのだろうと思うのだが、トランプの言うことは全く本末転倒で、アメリカ人なのだからアメリカ産を買おう、アメリカ工場で造ったものを買おうという理由だけでは永遠にこれからもいい商品はできないかもしれないと思う。

今アメリカで私たちに影響を与えているのはIT系だけではないだろうか。iphoneやGoogle、Microsoftなどの企業が代表的であるが、それでも昨年の「強制Windoes10アップデート」やiphoneやandroidoや一部のWindowsでなければアプリダウンロードできない「instagram」など、「囲い込み」の戦略が優先で、広く世界のためにという意識が希少であるのは、内側に向いているためなのだろう。

そういう意味では函館も似ている。函館に於いて商売の決定的な取引理由のけっこうな部分を「あそことお付き合いがあるから」「色々なしがらみの関係でそこにしなければならないから」ということは頻繁に耳にする。もし、それだけで商品が売れるのであれば、商品の品質の向上やコストダウンなどの大企業がしのぎを削って行っている努力など必要としない。ただ、人間関係やしがらみを堅持すると商品は売れ商売が成立ってしまうのだ。
それに慣れてしまった函館の企業は、日本全国や世界に通用するような商品の開発などとうていする気にはならないだろう。だから、「おっ、この函館の企業ちょっと面白いのでは」というものが現れて来ないのだ。

今のトランプの政策をずっと続けていると、アメリカの魅力はどんどん地の底に落ちるだろう。ハリウッド映画も以前よりも注目しなくなった(自分は)。アメリカの食品も特にこれと言った特別な魅力のあるものは少ない。

最近気になっているBOTANISTのシャンプー・リンス、最初はアメリカ製だと勝手に思っていたのですが、よくよく調べると日本製のようですね。そういう商品を作ればどこの国の製品でも売れるんですがね。アメリカも函館もそれをやろうとしないんですよね。政治力だけではいずれ綻びと人の反発で崩壊するのは目に見えているのですが・・・・。



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トランプがアメリカ大統領に就任したことによって、選挙戦や現在の言動が注目されており、様々な「言い放題」がクローズアップされているが、すべてについて考証してもきりがないので、気になった件に関して少し述べてみたいと思う。

まず、皆さんご周知のように中国への激しい挑発を止めようとしない。トランプ発言全てがそうだが、駆け引きのためブラフなのか、本当にその方向に政策を進めるのかわからないので、ひとまず「本心」だという前提で考えてみる。経済問題から南シナ海問題など、クソグソに中国をこき下ろして、場合によっては戦争をも辞さないようなにおいを漂わせて中国を否定している。ある学者がこの先アメリカと中国が戦争する確率は70%以上だと論じたことをメディアが紹介していたが、実際にそうなるかどうかはもう少しトランプのやり方を見なければ何とも言えない。

また、もっと注視しなければならないのは、イスラエルのアメリカ大使館をテレアビブからエルサレムに移転するという発言。これはある意味中国との戦争以上の混乱を生じさせる可能性がある。なぜなら、大使館は本来その国の首都に置かれることが世界の常となっておりのに、トランプはわざわざエルサレムに移すと発言し。実際近々イスラエルの大統領と会談するようだ。

さて、この二つの動きは何を意味するのか?

単純に考えられることは戦争がまた始まる可能性が高くなったということだ。
しかし、馬鹿なアメリカの大統領が馬鹿げた行動をとってしまっただけなら、(その評価は別として)関係ないことだが、残念ながらこの二つのことについては日本も大いに関係してくる。

ひとつは、もし中国と戦争した場合、中国へ発動する軍備の多くが日本の米国基地から向って行くということ。そうなると中国は当然その基地にめがけての攻撃と同時に他の日本領土にも爆弾・大陸間弾道ミサイル<を容赦なく発射してくるだろう。
同じく、エルサレムに大使館を移動させると、今まで微妙なバランスて存在していたエルサレムは、「イスラエルの首都」という認識を与えてしまうことになり、容易に想像できることとして、中東戦争が勃発してい舞うだろうとの危惧だ。

しかし、もっとやっかいなのは、このようにトランプから挑発してやってしまった「正しいとは言えない戦争」に日本が決めた集団的自衛権を発動したら、私たち日本は今度は世界を相手に戦争をしなければならなくなることも想定される。なぜなら、中国は別として、中東各国と「やらなくてもいい戦争」のお手伝いをしなければならなくなるからだ。当然そうなると中東各国から見ると日本は敵国であり、場合によってはテロの対象として重要な国のひとつとなるだろう。私たちが長年に亘って築いてきた、「日本は安全」という社会が崩壊されることになる。

もちろん、前述のように中国からの攻撃もあり得るだろう。言葉はどうあれ、日本はアメリカと一緒に戦争しますよと世界に宣言してしまったのですから。(集団的自衛権は日米安保保障条約だけに限ったものではありませんが、誰もがその目的のためと認識しているでしょう)
以前私はこのブログで、集団的自衛権のことについて自分の考えを述べたことがありますが、その時に恐れていた「アメリカが常に正しい行動をとるのか?もしそうではない戦争を起こしたのなら日本は世界を敵に回すことになる」というものがより現実味を帯びてきたということです。

SNSでは集団的自衛権賛成派(自民党派?)の方々が、なぜかトランプ発言に対して、「おお、やるならこっちも手伝おうぜ!」という内容の発言をしているのはまだ目にしていません。私はこのような事態になることも想定して反対だったのですが・・・・。





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APAホテルの客室にも南京大虐殺の否定を主張する本が備え付けられていることについて、中国でここ2、3日でなぜか急激に問題化されたとの報道があった。
中国でこのことを指摘したネット投稿は1億もの閲覧があったそうだが、まぁ、確かに中国の人民性から言ってそうなるだろうなということは容易に想像できる。それ故にそのことについてあれこれ述べるつもりはないが、より自分が身近な問題としては、本当にこのことが中国人の逆鱗に触れて、日本での宿泊先にAPSAホテルを利用しなくなったら、他のホテルに鞍替えし、私がいつも泊まっているホテルの予約が取れなくなるのではという心配がある。

ネット上では、「APAホテル、よくぞやった」「今度から宿泊はAPAにする」などと称賛する日本人のコメントも多数見受けられたが、そのような方は是非APAに泊まって他のホテルの空室をが増えるようにご協力いただきたいと思う。他のホテルの空室というよりも、APAを選択肢に入れていない者にとっては、他のホテルの日本人宿泊数が変わらず、中国人観光客の宿泊が増えると予約が困難になり、選択肢がとても狭まってしまうからだ。

ちなみのその記事(書く人によって捉え方が異なりますがね)のひとつがこちらです。


まあ、ホテルによっては別にキリスト教でもないのに聖書が備わっていたり、仏典があったりしているので、何を置こうがそのホテルの趣味嗜好によるものとしか言えないものもあるため、表現の自由という意味では非難されるものではない。だから一個人の主義主張は私の場合問題にしない。
一番の問題は、前述した中国人がAPAに泊まらなくなった場合の他のホテルの予約状況と、序用供給のバランスによる室料の高騰化。それと「よくぞ言った」と支持した人たちが本当にAPAホテルに泊まってくれるのかどうか。指示した以上はそうしてもらわないと、宿泊のバランスが崩れてしまうからです。

ちなみに私の従事している業界でのAPSAの仕事のやり方が(不動産取引において)、決してクリーンだとは言えない点もあり、実際に「被害」に会ったある業者の担当者は、もうAPAには物件を紹介したくないという声もあり、また、実際私も泊まってみたことがあるが、(そのホテルが古いホテルでAPAが買い取り全てリノベーションしなかったせいか)エアコンの音が激しくうるさく。睡眠の障害になってしまったこともあり、あまりイメージはないため、たぶんこれからもAPA以外のホテルに宿泊すると思うので、中国人の動向が気になってしまうのです。

中国人と言っても、それなりのホテルに泊まる観光客は、他の日本人に迷惑をかけてはいけないという意識も持っており、朝食のバイキングで顔を合わせても、憤慨するほどの不快感を感じたことはない。静かに自分たちの食事を終えてラウンジを去って行く姿をたくさん見ている。
結局日本人であろうか中国人であろうか、イギリス人・アメリカ人であろうが、その人の「字様式」に対する考え方ひとつでその場の空気は変わってくるということではないでしょうか。

参考までに、冒頭の写真はAPAホテルのもので、特に室内にどうしても撮りたいというインテリアがなかったため、こんな写真を撮っただけです。


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昨日のニュースで、15歳の娘を高齢者が運転していた車にぶつけられて亡くした母親のインタビューが流れていた。自分の子供を失う悲しみ・喪失感・絶望感が実際どんなものなのか経験がないので想像でしか言えないが、自分の存在価値まで疑ってしまうほどやるせないものではないかと思う。

車での事故死で社会的に大きな問題となる原因に、飲酒運転・スピードの出し過ぎ・わき見運転・携帯電話での会話や操作・過労などの他に、高齢者の認識・判断・反応の能力低下によるものもクローズアップされている。確かに普段運転していて、妙に遅い車、前後左右の間隔の取り方が変な車、平気で中央線をはみ出す車などは結構高齢者が運転していることが多い。
確かに高齢者の運転は見ていて同じ道路を走っている者にとっても不安に見える。ある意味危険がある。だが、ここではそれを主題とはせず、「なぜ高齢者はそこまでして運転をしなければならないのか」を考えてみる。

その理由のひとつとして、自動車が公共交通機関(バス・電車等)を利用するよりも早く到達し、経路も自由に選ぶことができる乗り物であり大量の荷物も手から離して運搬できるもので、一度その便利さを知ってしまったらなかなか手放すことができないというものがある。これは私もその恩恵を受けている身だ。逆にそれがなければ購入費・維持費が膨大にかかる高額な消耗品を持つ意味がないのだが。

次に、車を運転しなければ日常の仕事や買い物その他の用を足せないという地理的な問題がある。これが今日の主題だ。

この問題は、仕事柄街の形成というものをずっと見て来たり、たまたま色々な街に出張で何年かごとに訪れて見た変遷を基に考えてみると以下のようになる。
高度経済成長の時代は、経済も右肩上がりであり、人口も右肩上がりで、それと共に賃貸住宅から持家へと住居を買える絶対数も右肩上がりとなった。そうなると、当然の如く、街は郊外に向けて拡大していく。道内では札幌がわかりやすい例だ。私が初めて住んだ約40年前の札幌は、まだ市内の「えっ、こんなとこに!」という地域に牧場があったり、住宅街と住宅街の間に広い農地があったりと、とても120万人都市とは思えないのどかな部分があった。しかし、今や190万人都市となった札幌にはもうそんな地域は市街地にはない。玉葱畑もずいぶん住宅地となったし、牧場はイオンになったりと、昔の面影は全くない。当然、昔は随分遠くて不便そうだなと思うような地域にまで住宅がたくさん建てられ人が住んでいる。
一般的にそのような外れの地域の公共交通機関の便は芳しくない。だから、住民は車が必需品となる。
そのようにして車の保有台数は一家に一台どころか二台や三台が今では当たり前になっている。それでも、札幌の場合は(東京もそうだが)、中心街が固定されており、中心街に行く時はできるだけJRや地下鉄等で行くようにする人が多いので、車の利用という点では、ある程度目的地によって使い分けされているのではないかと思う。
ところが函館のような地方都市は少し事情が異なってくる。バブルが終焉し、人々が価格の安い商品を追い求めていた頃、都市の郊外に「日曜日などを利用して、家族できていただき、大量に安いものを買いだめしてもらう」ための広い販売面積と品揃えを持った商業施設がたくさんできるようになった。それで最も規模を拡大したのがAEONであるが、それ以外の場所でもホーマックやツルハ、ゼビオ、などなど出店した。しかし、それは「郊外型店舗」と呼ばれていた。読んで字の如く、店舗は住宅街には遠くはないが近隣には住宅が整備されていない場所にあり低い土地利用料で浮いている分、建物に費用をつぎ込み大型店化を果たし、豊富な種類と大量のストックを可能にした。なおかつ、同じ敷地内にいくつものショップを配置すると、そのモールに一度車を停めると、たいていのものはそのモール内で購入でき、あちこち市内各所を移動して買いまわる必要性が無くなった。単純に利便性というものだけで見ると、格段に便利になった。
なぜそうしたのか?たとえばホームセンターだけがぽつんと郊外にあっても、最初は物珍しさで行くかもしれないが、そのうち他のもの(食料品や衣服他)を購入するためにはまた別の場所に移動しなければならなくなるため、だんだん面倒くさくなる。それでは、異種の大型店を集めると付加価値が生じる。だから、膨大な敷地を利用したショッピングモールが次々と誕生した。すると、そのモールに行くと大抵のことは用が済むため、そのモールの周辺は「便利な街」となる。するとその周辺に住宅街が誕生する。
つまり、本来郊外であった地域がひとつの街となってしまうのだ。これは何度も私が指摘したように、衰退する地方都市の典型的な変遷パターンである。しかし、いくら指摘しても人々はそのような地域に魅力を感じ住み始める。だが、あくまで郊外は郊外なのだ。全ての都市機能がそこに集約しているわけではない。ほんの日常的な一部の機能が集まっているだけにしか過ぎない。例えばJRを利用する場合、「郊外」はやはり駅から遠いのだ。また、バスなどのターミナルをそこに集中するわけにはいかない。なぜなら元々「郊外」なのだから。
このようにして分断された都市機能を地理的につなぐのが自動車である。このような「機能が分断された街」には車は不可欠となる。それ故に、「分断された街」に住む者は例え高齢になったとしても、車を使わざるをえなくなってしまう。そうしなければ「不便」なのだ。地方都市はこのようにして小さな便利さに吸い込まれるようにして都市機能の崩壊を加速し、衰退していくのだが、住んでいる以上は分断された機能を補うために高齢者であろうが誰であろうが自動車を運転しなければならなくなる。

しかし、高齢者の運転技術はやはり不安が多い。きっとそれはある程度それを認識しているのだろう。のろのろ運転の高齢者の車を別車線から追い越す時、運転している姿を見ると、それこそ必死になっているものをいつも発見する。何もそこまで辛い思いをしてまで運転しなくてもいいのではと思うのだが、車がなければ不便だからそうしているのだろうと少し可哀想になってしまう。

このような環境は、高齢者に優しい環境と言えるだろうか。ひょっとしたらもう運転ははしたくないかもしれないけど住んでいる場所が「不便」だから車を運転するしかないという高齢者も多数いるのではないだろうか。そうなると元々運転に不安のある高齢者の事故発生率は当然高くなる。それに伴って事故に会って死亡ないし負傷する歩行者も増えるかもしれない。だから単純に高齢者の事故の増加は、高齢者の運転能力の問題だけとは言えないのだ。
これは、そのような街を作ってしまった住民全体の責任だ、と私は思う。





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みなさん既にご存知たど思うのですが、アメリカ大統領がトランプ氏に決定した今日、私はモデル撮影とあるイベントの打ち合わせなどで大忙しさでした。
夜自宅に帰り、テレビを見たらまさか、ひょっとしてという結果を知ることができました。

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結局、世界のトレンドとしては。平和ではなく、強引に何かもひきつける力を持った人間をリーダーとして選ぶ傾向になったということです。強引に何かをやるということは、どこかで軋轢・衝突が生じるわけなのですが、もちろん政策としては、「それらに勝て」ということになるでしょう。強いリーダーシップを求めるということは、選ばれたリーダーは場合によっては力づくで物事を解決することになるでしょう。

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ということは戦争とまではいかなくても、勝者と敗者をはっきりさせる政策をとるかもしれません。それは実質的な戦闘状態になるわけであります。そのようなリーダーが最近多くみられるようになりました。

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そんな大切な選挙があった本日、私はモデル撮影をやっていました。今日初めての本格的な撮影ですが、これから写真に対して希望を抱かせてくれる内容となりました。
結局このような行為は平和の象徴であり、私は若いどこかどくどくの魅力のある女の子を撮影するという幸福を得ることができた。
でも世界は戦いを肯定するような風潮を見せています。アメリカだけではなく、その他の国でも同じような指導者誕生している。
勝負にはその結果、敗者と照射が誕生しますが、それは決して平和とは呼ばない。平和とは勝者も敗者もない世界のことを言うのであって、世界情勢は大方の見方の通り、「勝つ」指導者を求めている。個人的には、その先駆けとなったのはプーチン大統領だと思っているが、結果的に私たちは「平和」を望んでいないということなのだろうか。

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私は多少写真を撮って平和の素晴らしさを(日常が変わらないこと)をさりげなく意思表示をしていきたい。




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国道45号線を走っていると、こんな標識がいたるところに現れてくる。全く知らなかった。
まだ被災地の写真は公開していないが、近いうちにやるべきだと思うようになってきた。
現地で実際に見るよりもずっとそのインパクトは落ちるが、私のようにこんな標識があることすら知らない人間もいるくらいだから、ただの記録として公開をすべきなのかもしれない。

あの大震災の一端も知らい人もきってかなりの数いるはずだろうから。



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何も言うことはありません。
Bob Dylanは私をアメリカ文学に導き、その結果村上春樹に導いた。
あっ、今酔っています。
とても画期的なノーベル賞です。

ジャケットのように女の子がくっ付いて歩いてくれることを10代から20代の頃、とてね憧れたな。
1度だけこんなシーンが自分にもあった。でも人生で1度きりだった。(いまのところ)




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