カテゴリ:その他雑感( 850 )

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本日は休日であり、なおかつ「相棒season15」の最終回スペシャルということで最初から最後までゆっくりと拝見しました。
「相棒」の楽しみのひとつとしては、杉下右京が他に捜査員では推理できない展開で事件を解決していくことにありますが(もちろん魅力はそれだけではないのですが。登場する人物のキャラクター・ロケ設定その他多岐にわたります)、今回もいったい真相はどうなんだろうか、という点において、単純に社美彌子(仲間由紀恵)がロシアのスパイ・ヤロボロクと恋愛関係にあったという展開にはしないだろうな、ということはわかりながら見ていたわけです。

ここで、そもそも今回のストーリーがわからない方のために簡単に説明を。警視庁広報課課長・社美彌子に子供がいたことを週刊誌が子供の写真入りで公表。誰がリークしたのか、とか、この子供(白人系の顔をしている)の親は誰なのか(彼女は独身)、ひょっとしたら以前の内閣情報調査室時代に付き合っていたとされるヤロボロクなのではないか。それではロシアのスパイに情報漏えいがあったのではないか等々、警視庁上層部は色めき立ち、もしそれがスパイに恋愛感情を持っていたとしたら相当国家的にも重要な問題となりうる。それでいったい真相はどうなのか。

まぁ、こういう展開で話が進むのですが、結局週刊誌に情報を流したのは社美彌子本人であり、その理由は、(杉下右京の推理によると)彼女には秘密にしておかなければならないものがたくさんあり、中には自分にとって、その情報の出方によっては不都合が生じるものがある。子供がいるということもその中の一つなのだが、少しでも肩の荷をおろし、また、誰かに探られる前に自分から(第三者の報道帆通じて)露見させた方がいいのではとのことだった。

スパイと恋愛して子供をもうけたとなると、社美彌子のキャリアに大きな傷が付く。当然警視庁幹部からの事情聴取を受けることになったのだが、最終的に彼女は「ヤロボロク」に犯されてできた子供だ、と告白した。すると警視庁幹部は色めき立つ。スパイに恋愛関係になったのなら本人の大きな失態のような責任が生じるが、犯された、つまり被害者であったということになれば、もしそれを公にすると、日本政府はロシアのスパイにハニートラップをかけていたことを世間に知られてしまうからである。だから、社美彌子の件に関してはね今後追及はもとより記憶からも外せという結論にせざるを得なかったことになった。
逆に言うと、社美彌子はこうなることを予想して、本来明かすべきではない彼女の過去を表面化させ自分を少し身軽にさせたのだった。

そこまで推理した杉下右京はさすがと言わざるを得ないのだが、この大きなストーリーの流れの中で見過ごされている疑問がある。「本当に社美彌子はヤロボロクの子供を身ごもったのか」という疑念である。もしそれが本当だったとしたら、一般的には彼女周辺に妊娠に気づいた者もいるだろうし、また、出産のための不自然な休暇を取っているはずだろう。ヤロボロクの子ではないかという疑念が生じた時に、どうして捜査員は社美彌子の部下から「彼女が外観上も妊娠を思わせるような体型になっていなかったを確認しなかったのだろうか。また、出産当時に「理由のわからない休暇を社美彌子がとっていたのかどうか」を調査する必要があったのではないかと思われる。
ところが、それらの調査は一切せず、子供はハニー・トラップを続行している社美彌子が「丘された」できたことだった、ということでひとまずの決着で最終回を終わらせている。

ここから善意に推測すると、元々ヤロボロクには子供がいて、事件の際にその子供を社美彌子に押し付けてアメリカに亡命した。ということになりそうだ。そういう説明をするのも面倒だから社美彌子は自分が産んだという筋が番組を用意したのか。もしそれならいいのだが、そうではなく、「犯されてできたこども」が真実だとしたら、妊娠期間についての説明が全くなかったのが稚拙であった。

さて、私はこの番組の揚げ足取りをしようとしているのでない。
一見、解明できたかのような気持ちにさせておきながら、その後じっと細部を見ると綻びだられという物語はたくさんある。

ものをつくる行為は、どれだけ緻密な合理世を持ってその作品に投影させるかが大切となる。
それをストーリーはばかりを優先して、その他のことにほころびが発見されると、

作品作りも同じだ。一見あでやかに見える絵でも色のバランスや構成に対し疑問を抱いてしまったら、失敗作らだったと言わざるえないであろう」

そんなわけで作品を作るということは非常に難しい。これは他人ごとではないのである。





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本日は休日であり、なおかつ「相棒season15」の最終回スペシャルということで最初から最後までゆっくりと拝見しました。
「相棒」の楽しみのひとつとしては、杉下右京が他に捜査員では推理できない展開で事件を解決していくことにありますが(もちろん魅力はそれだけではないのですが。登場する人物のキャラクター・ロケ設定その他多岐にわたります)、今回もいったい真相はどうなんだろうか、という点において、単純に社美彌子(仲間由紀恵)がロシアのスパイ・ヤロボロクと恋愛関係にあったという展開にはしないだろうな、ということはわかりながら見ていたわけです。

ここで、そもそも今回のストーリーがわからない方のために簡単に説明を。警視庁広報課課長・社美彌子に子供がいたことを週刊誌が子供の写真入りで公表。誰がリークしたのか、とか、この子供(白人系の顔をしている)の親は誰なのか(彼女は独身)、ひょっとしたら以前の内閣情報調査室時代に付き合っていたとされるヤロボロクなのではないか。それではロシアのスパイに情報漏えいがあったのではないか等々、警視庁上層部は色めき立ち、もしそれがスパイに恋愛感情を持っていたとしたら相当国家的にも重要な問題となりうる。それでいったい真相はどうなのか。

まぁ、こういう展開で話が進むのですが、結局週刊誌に情報を流したのは社美彌子本人であり、その理由は、(杉下右京の推理によると)彼女には秘密にしておかなければならないものがたくさんあり、中には自分にとって、その情報の出方によっては不都合が生じるものがある。子供がいるということもその中の一つなのだが、少しでも肩の荷をおろし、また、誰かに探られる前に自分から(第三者の報道帆通じて)露見させた方がいいのではとのことだった。

スパイと恋愛して子供をもうけたとなると、社美彌子のキャリアに大きな傷が付く。当然警視庁幹部からの事情聴取を受けることになったのだが、最終的に彼女は「ヤロボロク」に犯されてできた子供だ、と告白した。すると警視庁幹部は色めき立つ。スパイに恋愛関係になったのなら本人の大きな失態のような責任が生じるが、犯された、つまり被害者であったということになれば、もしそれを公にすると、日本政府はロシアのスパイにハニートラップをかけていたことを世間に知られてしまうからである。だから、社美彌子の件に関してはね今後追及はもとより記憶からも外せという結論にせざるを得なかったことになった。
逆に言うと、社美彌子はこうなることを予想して、本来明かすべきではない彼女の過去を表面化させ自分を少し身軽にさせたのだった。

そこまで推理した杉下右京はさすがと言わざるを得ないのだが、この大きなストーリーの流れの中で見過ごされている疑問がある。「本当に社美彌子はヤロボロクの子供を身ごもったのか」という疑念である。もしそれが本当だったとしたら、一般的には彼女周辺に妊娠に気づいた者もいるだろうし、また、出産のための不自然な休暇を取っているはずだろう。ヤロボロクの子ではないかという疑念が生じた時に、どうして捜査員は社美彌子の部下から「彼女が外観上も妊娠を思わせるような体型になっていなかったを確認しなかったのだろうか。また、出産当時に「理由のわからない休暇を社美彌子がとっていたのかどうか」を調査する必要があったのではないかと思われる。
ところが、それらの調査は一切せず、子供はハニー・トラップを続行している社美彌子が「丘された」できたことだった、ということでひとまずの決着で最終回を終わらせている。

ここから善意に推測すると、元々ヤロボロクには子供がいて、事件の際にその子供を社美彌子に押し付けてアメリカに亡命した。ということになりそうだ。そういう説明をするのも面倒だから社美彌子は自分が産んだという筋が番組を用意したのか。もしそれならいいのだが、そうではなく、「犯されてできたこども」が真実だとしたら、妊娠期間についての説明が全くなかったのが稚拙であった。

さて、私はこの番組の揚げ足取りをしようとしているのでない。
一見、解明できたかのような気持ちにさせておきながら、その後じっと細部を見ると綻びだられという物語はたくさんある。

ものをつくる行為は、どれだけ緻密な合理世を持ってその作品に投影させるかが大切となる。
それをストーリーはばかりを優先して、その他のことにほころびが発見されると、

作品作りも同じだ。一見あでやかに見える絵でも色のバランスや構成に対し疑問を抱いてしまったら、失敗作らだったと言わざるえないであろう」

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この写真の方が昨日亡くなった。死因はガンだった。

その知らせを聞いて、過去に彼を撮った写真を探してみた。だがごく僅かしかなかった。元々被写体として撮影意欲が湧き出てくる風貌ではなかったし、撮ったものは彼の事務所のPCにすぐ保存することが多かったため、私の写真ライブラリーの中に残っているのはほんの僅かであった。

彼は決まって、自分が困った時に私に電話をよこした。舘野泉氏の演奏会を夫婦で観に行くために、運転に不安のある彼は私に鑑賞料をおごるからということでドライバーの役目を果たさなければならないことがあった。いつも彼の不安定な運転に神経質になっていた奥様は安心して帰り道はうとうとと眠り始めた。別に自分は特別に慎重に運転したわけではないのだが、よほど彼の運転が不安だったのだろう。

住宅の建て替えをするときも、工事費が適切かどうか確認したみたくて、私に建築図面を見せてくれたとがある。内容を確認すると、妥当なものであり、色々と注文がエスカレートするからこの金額になるんですよ、と専門的立場から意見を述べ、納得してくれた。

そして、彼と二人きりで最後に飲んだのは昨年の秋の頃だった。その時も突然電話がかかって来て、ちょっと江差から人が来るのだが、それまでの時間潰しに来てくれないか(もちろそのような言い方ではなかったが、結局はそういう意味だった)
やれやれ、今日は私はの誕生日でもあるのに、こんなムサイおっさんと呑まなければならないのかと、ちょっと躊躇したが他の人に電話をしても都合の悪い人たちばっかりだったので、わたしを誘ったわけだったのだが、もう少し言い方を考えて話したらこっちの気分も違っていたかもしれないのだが、彼にはそんな気の利いたことは話せない。いや、私にだったから正直に話したのかもしれない。そう思うことにした。
それにしてもその日は私の誕生日であった。何で自分の誕生日にこのおっさんの付き合いをしなければならないのか、ちょっとした不条理を感じながらも、「まぁ、いいか」と少し間付き合うことにした。だが既にその時、彼の咳の出方は異常なほどの回数になっていた。さすがの私も心配になったが彼は咳を除いてはいつもの彼だった。

それから約1か月後、彼は入院した。

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病名はがんだった。私は元来のひねくれ者と行動として、皆が寄ってたかって見舞いに来る時期がおさまるのを見計らってから病院に行った。見舞品は青森県立美術館で買ったシャガールの2017年カレンダーだった。それは月ごとにめくるとシャガールの絵を1か月楽しめるようになっていた。彼は「新しい古地図カレンダー」を作ったからと言ったが、私は内心「いいからシャガールを楽しんでくれ」と思い、彼に、「このカレンダーの全ての絵を、来年見てくださいよ」と言って無理矢理渡した。
その後病室から1階のカフェへ場所を移ししばらく話すことになったのだが、私の分のコーヒー代を彼が出そうとしたので、「病人におごってもらうくらい今は金に困っているわけではないから」と言って断った。私と彼は苦笑いをして顔を見合わせた。
何やかんやと話している中で、「私は星野さんが死んでしまうなんて考えられないんだけれど」と話したところ、彼も「自分でもそう思う」と返してきた。でもやっぱり死んだ。死というものはそういうものなのだろうか。あまりにも私たちは日常というものの不変性を信じすぎているのだろうか。

彼のおかげで私はブログを書こうと思ったし、彼の業務的命令でfacebookにも登録し、彼から依頼された色々な取材で、普通に生きていれば知らないことまで知ることができた。何よりも函館で起こったムーヴメントの裏にはかなりの割合で彼が存在していた。そのようなところから勉強させてもらったことは数多くある。私が今でもこのように世間に向けて何かを発信しているのは彼のお陰であると思う。

ある飲み会の時、皆がいる前で私は「もうそろそろ隠居した方がいいのでは」と彼に話したことがある。その発言の理由は、「あまりにも彼の存在が大き過ぎて、次世代で育つ人がいないのではないかと思った」からだ。彼は「いや、まだまだ」と反論した。
本当は、早めに引退して彼にしか書けない本を書いてほしかったのだ。

ある時、彼は私にこう言った。「函館の歴史を勉強している者の年齢層が高くなっきた、次にやれるのはあなたかその他一部の人間しかいない」という趣旨のものだった。私もそう思った。でも私はあなたとは違う形で歴史を伝えたい。恐らくあなたも、あなたを取り巻く人々も全面否定するかもしれない私流の歴史の伝え方をして、あなたの意思を継いでいきたい。決してあなたの真似はしない。いや、真似などできない。

あなたは、時には反面教師として、時には適切なアドバイスを話す人間として、私の中に存在した。
昨年珍しく私の写真展に来てくれた。まさか来るわけがないだろうと思っていたからびっくりした。そして、あなたのFacebookでの最後の投稿はなせかTom Waitsの曲であった。Tom Waiitsを聴くようなタイプの人間ではなかったのだが、私が深夜に聴きたくなるというTom Waitsを度々facebookに投稿したのを覚えていたのだったのだろうか、それとも実は元々のファンだったのだろうか。

ともかく、少しくらいは彼は私のことを好いてくれていたのかもしれない。だから困った時に私に電話をかけたのかもしれない。

「下駄を鳴らして奴が来る、腰に手ぬぐいぶら下げて」
彼の登場の仕方は私にとってはまさにそれだった。


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2月14日より20日間にもわたって国際ホテルで開催された写真展が終了し、展示品等の撤収作業が終わりました。
ずっとギャラリーにいれたわけではありませんので、どのくらいの方が来られてご覧になったのかはわかりませんし、写真展そのものが成功だったのか失敗だったのかもわかりません。自分の中ではいつもやる度に失敗だったと思っています。もう少し違うものを作れたのではないか、せめてここをこうした方が良かったのではという反省ばかりが目に見えて「良くできた」などと思える日が一生訪れない気になってしまいます。

ギャラリーには、私へのメッセージを所定の紙面に書いていただき、封筒に入れ、箱の中に投函していただくという形で皆様のお声を聞くようにしていました。
その中で、けっこう多かったのがモノクロの写真が良かったというものでした。モノクロは2点展示しましたが、最初の構想ではなく直前に思い付きプリントしたものでした。しかしメインはあくまでカラー写真の方です。それを評価されなかったのは、きっと私の力不足だったのではないかと思いますが、ではこの次は評判の良かったモノクロで、ということは私はしないでしょう。

なぜなら、モノクロ写真はかなりの数撮っており(またはモノクロに編集したりして)、慣れたものだからです。そして、それは前回の写真でオールモノクロということでやった「過去」のものだからです。それと同じことをするくらいなら、個展をやらない方がいいと思っているくらいです。やるなら前回とは全く違うものを。そういうコンセプトや目標が生まれて来ないのなら、個展をやる必要はないとさえ思っています。
だから自分には慣れていてそれなりに評価されているモノクロをメインにはしませんでした。今の自分にはちょっとハードルが高い表現をあえて選びました。

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メインの背景は、今回の写真展が決まった時から函館の風景を軸にして作ろうという漠然としたものは決めていました。しかし、それをどういう構成でどのような表現にするかは、本当に直前までほとんど空白のままでした。でも、幸なことに、最も写真に登場したモデルさんを撮影することができてから、タイトルも写真のイメージも固まってきました。ですが、それも去年の冬が始まってからのこと。本当に制作という点では時間との勝負になってしまいました。

元となる背景は函館の夜景が主でした。されを単にきれいに撮るというコンセプトであれば、私は写真展はやりません。そのような写真はインターネットに余ってこぼれるくらいたくさん存在するし、私よりもはるかに上手な写真が山ほどあります。皆さんは気軽に自宅や出先でそのような写真をネットでご覧になれます。わざわざ足を運んでいただき、見ていただくのであれば、誰もが作らない写真でなければならない。偉そうですが、それが私の考えでした。

ですから、函館の夜景(あえてきれいなものを潰したものもあります)にモデルさんの姿を散りばめて表現しましたし、それに自分なりに意味を持たせました。そのためにご覧になっていただく順番も決めたのです。それをどこまで理解いただけたか、逆に理解いただけるものになったのかどうかはわかりません。
わからないまま、次はもっとハードルの高いものを作ろうと考えています。それが私が個展をこれからもやりたいと思っている大きな動機であります。

国際ホテルの方々には本当にお世話になりました。在廊中、平日であるため来客も少なく、空き時間はずっと本を読んでいました。そんな私に優しくお声をかけていただいた国際ホテルのスタッフの方々には本当に感謝しています。このご恩は、もし次に開催させていただけるのなら、作品という形でお返ししたいと思っています。
ただ、ちょっとだけ残念なことがありました。それは国際ホテルさんには全く関係のないことですが、先ほどお話ししたご覧になった方からのメッセージ(封筒に入っているはず)が誰かに持ち去られていたのでした。どうしてそれがわかったかと申しますと、用意してあるメッセージ用紙にご記入いただき、隣に置いてある封筒に入れていただき投函する方法を採用したわけですが、その手順がわかりづらいかもしれないと思って、実例のために、時々メッセージを回収する際にも、必ず1部ないし2部箱の中に残しておいたのでした。それを見ると、あぁ、こんな風にやればいいんだということを摑んでいただけるのではないかと思ったからです。
このメッセージの残し方は、封入することによって個人のプライバシーも保たれ、より率直な意見が書けるのではないかという考えからだったのですが、最終日「例」として残しておいたメッセージ入りの封筒が無くなっていたのです。

そうです誰かが持ち去った、それ以外は考えられません。
哀しくなりました。それが宿泊客なのかそれ以外の方なのか、もちろんわかりません。どの国の人なのか、函館の方なのか、わかりません。
そのような方式を採用した私が悪かったのは確かかもしれませんが、それでも私に対してのメッセージが誰かに奪われてしまったのはショックでした。私が見ることのできなかったメッセージを書いた方には本当に申し訳なく思います。ごめんなさい。

再度申し上げますがネこれは国際ホテルさんの問題ではありません。どの場所で行ったとしても、このような「人が見ていないのなら好き勝手なことしてしまえ」という人はいます。そういう方への対処を取らなかった私が至らなかっただけであります。本当に申し訳ありませんでした、と思うと同時にそのような人がいることに哀しみを覚えます。

次は順調に用意ができれば9月に開催しようと思っています。場所は「あそこ」です。
ずっと何年も暖めていた構想を実物のものとして展示しようと考えています。

きれいな写真を作るの比較的簡単です。自分が見えたものを美化すればいいのですから。モノクロもある意味簡単です。でもそれらだけでは表現できないもの、今回も次回もそれに挑戦している私だったのです。

今回ご来場いただいた方々、本当にありがとうございました。とてもいい経験となりました。国際ホテルさん、本当にありがとうございました。


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ラブソングを書きたいと思ている。

この歳になったからこそ書けるような。

それも灼熱の温度を伴った激しいものではなく、
たとえば、朝もやのたちこめる湖の水面に静かに滲みこんでいくような、
穏やかな、穏やかな

あっ、ラブソングといっても曲は無理です(笑)

詩だけです・・・・。




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2月の中旬から何十時間も見ることとなった風景の一部。国際ホテルのギャラリー付近の光景だ。
私は椅子に座り、ずっと本を読んでいた。
でも、もちろんことだが、最初から帰る時まで書物に目をやっていたわけではない。時々周りを見渡したり、立ち上がって少し歩いてみたりした。

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そして、ふと思った。

「今の自分には何が見えているのだろうか?」

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そして、その見えたものから何を生み出すことができるのだろうか?

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よりストイックにならなければ見たいと思っている世界も見れないのではないか?

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今の自分に必要なのは、きっとそれなのだろう。
さぁ、谷に下りよう。



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先日NHKスペシャルで「又吉直樹 第二作目への苦闘」という番組があった。
大河ドラマを見終えてそのまま曲を変えていなかったために何となく見ていたのだが、率直な感想としては、「どうしてこのような番組を作ってしまったのだろうか」あるいは「どうしてこの番組を作ることを又吉は認めたのだろうか」という疑問だけが残るものだった。

簡単に言うと、ものづくりをしている者は、例えば陶芸家であればその作業過程を公開することはあっても、どのようなものを創るかについて悩み苦しんでいる姿は人前で見せることはないだろうと思う。作家はきっとみんなそうであろうと思う。それ以前にものづくりに苦しんでいるところなど絶対に人に見せたいなどとは思わないはずだ。

作品はひとつの結果だ。それを見たり読んだりした人がその結果を評する。ただそれだけの簡単なシステムであり、それ以上のものを混入させてはいけないものであると考えている。どんなに苦しんで生まれたものでも、いとも簡単にできたものでも、いいものはいいし、ダメなものはダメだ。そう、結果でしかない。

ものでも文章でも写真でも、作る時は常に孤独だ。孤独の中で自問自答して作品を組み立てて行く。それが当たり前のことであるし、その孤独な作業が嫌なのであればものづくりはやめた方がいいに決まっている。なかなか生み出せないものに対して、納得するに至るまでになるかどうかはわからないかが、どこかで形となって出さなければならない時が来る。その時までの作業は作者しかできないことであるし、また、人に見せるべき類のものではないと思う。

だいたい悩んでもがいている姿など、恥ずかしくて見られたくない。私の(別の人の)今回の写真展編集作業など絶対に見られたくない、とてもみっともないし、時には顔が歪んでいることもあるかもしれない。そんなものは決して人に見せずに、できたもので見てもらうしかないのは作家であれば誰でも(きっと)わかっているはずではないかと思っている。
それを又吉は人に見せてしまった。それは、芸能事務所とNHKとの契約であったからかもしれない。だが、そもそもそのような約束をすること自体、やはり又吉は芸人なのだ。決して作家ではない。まして出版する前から文章の一部を公開するなど、私だったら恥ずかしくてできない。

私はひねくれ者の法則によって話題になったものは過すぐにはは手にしない。だから「火花」も読んでいない。が、このような番組を制作をすることを許可した(あるいは事務所が)段階で、やはり又吉は芸人なのだと思った。

今作家以外の仕事も忙しいようだが、その中でも5年後にもいい小説を書いているのかどうか、疑問だ。
しばらく音沙汰もなく突然優秀な作品を発表した方がずっとかっこいい。

もうすぐ写真展も終わりますが、同時に、いや既に、私は次の写真展に向けて、どろどろの状態に陥っている。




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私は熱心なfacebookウォッチャーではないため、友達となっている方々の動向には疎いところがある。だいたいサッと見て気付いた投稿だけ少し読んで閉じてしまうことが多い。頻繁に投稿する人がよく目に付くが、私もそうだがあまり登校しない人のことはつい忘れてしまうことがある。決してその方に無関心だというわけではないのだが、日々の自分の仕事やその他のことに追われると、「ウォッチャー」にはなかなかなれないのだ。

しかし、そんな風にしていると、ふとある時友達の数が減っていることに気付く。もちろん毎回自分の友達の数を調べたりしているわけではないのだが、何かの理由で友達一覧を見た時、ようやく気付く、その人のアカウントが停止されていることに。つまり、その人はfacebookから消えて行ったということだ。
もちろん、今までのアカウントを消して別の名前でまだ登録しているのかもしれない。実際にそうしている人もいる。そして「好ましくない友達」をブロックするということもできる。もちろん本当にやめてしまった方もいるだろう。また、(現実的に)亡くなった友達もいる。

とにかく、私が見ているページの中では、何人かの友達が消えて行った。その方の連絡先(電話番号)は知っている。でも、なにもせずにそっとしておこうと思う。どんな理由なのかはわからないが、その人は去ることを決めたのだから。きっと何かのきっかけでまた出会うかもしれない。その時にその人とどんな話をするのか、あるいはそんな機会はもうこれからずっと訪れないのか。それは時間だけがしっていることだ。



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今日村上春樹の新刊が発売されるとのことで、昨日NHK「クローズアップ現代」でも特集が組まれていました。
番組の中では、熱狂的な春樹ファンの話や催しと、アンチ村上の方の話などが紹介されていました。これほどアンチが多いということは、彼の作品にはやはり魅力があるということでしょう。私が若い頃、太宰治に陶酔する者と猛烈な嫌悪感を持つ者との二手に分かれていましたが、とてつもなく嫌いになるほど太宰に人を惹きつける魅力があったからだと思います。石川啄木もそうです。彼の文を作る才能はとてつもないものがあります。函館文学館に彼の直筆の手紙がありますが、単なる手紙にさえ啄木の文才を読み取ることができるほどです。

特別なインパクトも特別な害も何もない作品は、好きだとか嫌いだとかという話題にもならずに自然に忘れ去られて行きます。ですが、村上春樹がたくさんの人に嫌われ、それ以上の人に「密かに」読まれているということは、事実として村上春樹の小説には、人に何かを感じざるをえないものを与えているということに違いありません。

さて、タイトルの話になりますが、私は新刊を買いません。その理由は、単に私がひねくれ者だからです。私は彼の作品は大好きです。
正確に書きますと、「新刊を買わなくなった分岐点がある時やって来た」ということです。
その分岐点が「ノルウェーの森」でした。彼の長編・短編集をずっと買って読んだ私はそれまで通りに「ノルウェーの森」の新刊を買って読みました。その感想は、彼にしてはあまりパッとしたものではないな、というものでした。いつの間にかのめり込んで、一気に読み終えなければ気が済まないようないつもの「魔力」がありませんでした。
随分普通の作品を書いたのだな、というのが率直な感想でした。その作品がなぜかベストセラーになったのでありました。私は混乱しました。なぜ「羊をめぐる冒険」が爆発的なヒットをしないでこの本が売れたのか、不思議で仕方ありませんでした。私としては「羊をめぐる冒険」の方が数段優れた作品であり、また、彼の作品を「読みたくて読みたくて仕方なくなる」心の習慣を根付かせた作品であったのです。

特別に色々な人と「ノルウェーの森」について話し合ったりすることはなかったのですが、私の中では、違う捉え方をする人に支持されたのだろうか?という疑念を捨て去ることができませんでした。その後、彼の出す新刊購入は「ねじまき鳥クロニクル」までとなり(クロニクルは傑作!)、その後は自分の仕事か多忙になったのこともあり、疑問を抱えたまましばらく彼の小説を購入することもありませんでした。

そんな年月が経て、ある時、「1Q84」がテレビで発売前からベストセラーになったとのニュースを知り、改めて自分に対して「新刊は買わない」と心に決めたのでした。どうして内容も何もわからない本がそんなに話題になるのか?私にはさっぱり理由がわかりませんでした。出版元の戦略もあるのでしょうが、「ノルウェーの森」の後の優れた作品である「ねじまき鳥クロニクル」がベストセラーと言えるほどの刊行数にならなかったのに、いったい読者はどのような目で彼の作品を見ているのか疑問になったのです。
特異なこのムーヴメントに対して、私の元来のひねくれ魂が湧き上がり、彼の作品を読むのは文庫本になるような時期、つまりその本についての騒ぎが収まったころにしようと決めたのです。それは、例えば優れた音楽はやはりできるだけ雑音がない環境で聴くのが最適であるのと同じ理由からでした。騒ぎが収まってあまり話題にならなくなった頃、静かにこっそりと読むのが今私の村上春樹本の読書方法です。
ですから、今回も新刊は買いません。これからも彼の本を読み続けたいからこそ、騒ぎの中では読みたくないという考えなのであります。

さて、そのような熱狂的なファンがいる作家には当然、「読んだけどつまらない」「何を言いたいのかわからない」その他の理由で拒絶反応を示す方もいます。今日FBでもその話題を出された方がおり、私はその方にとコメントのやりとりをしたのですが、好きになれない理由のひとつとして「主人公の行動が理解できない」ということを挙げていました。それに対して私は、「理解する必要はありません」と返答しました。
なぜなら、彼の作品は、彼自身の言葉で言うと、「色々なものを一度全部ミキサーの中に入れて形が無くなるまで粉々にして出て来たものを別の形に並び替えて文章にしている」問プロセスを経てできたものですから、絵で言うと抽象画になるからです。抽象画を頭で理解しようとすると、だんだん面倒くさくなり見るのも嫌になってしまうことがありますが、感覚として受け止めることができたら、それは素晴らしい抽象画と評することができるはずです。村上春樹の小説はそのような傾向にあるものです。だから物語の展開や登場人物の理解できない行動をいちいち考える必要はなく、全部読み終えて(感覚的に)面白かったか、そうではなかったかだけで充分だと考えています。
しかし、この形を変えて別の表現で物語を展開するということは、相当の作者のイメージ力がなければできません。そういう意味でも村上春樹作品は強いインパクトを私たちに与え続けるのです。




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いつものことですが、写真と本文は関係ありません。


もし、あなたが何かの機会があって私の実物と会うことがありましたら、私は「変人」という前提でお話ししてください。そうしなければ、たぶん理解できない言動をすると思います。
とても真面目風な言動するように見せかけて、突然失礼なことを話したりするかもしれません。
本人には悪意はないのですが、どうも時には相手を傷付けたり、不信感を抱いてしまう言葉を発していることがあります。

孤独に悶々としているのが一番いいのかのもしれません。




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