<   2010年 03月 ( 35 )   > この月の画像一覧

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最近、時々無性にマイケル・フランクスを聴きたくなる。
紅茶を飲みながら穏やかな昼下がりの街の風景を眺める時によく似合う音楽だ。

この曲をお聴きになりながら上の写真をご覧ください。




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東雲町の旅館街(?)日本銀行傍にあります。昔はこの辺りに泊まり、役所などに赴いたのでしょうね。

「あなたがいるから私がいる」
これは美しい人間関係を作ろう、というきれい事を表す意味ではない。フロイド精神分析での自己を認識する原因となる関係について述べた一つの例えである。
もし、この世の中に仮に自分しかいなかったら、自分は「自分」という人間を認識しないであろう。他者の存在を認識し、そこに生まれる相対関係から初めて「自分」という存在を認識できる、という意味である。

そして、人間は自己と他者との葛藤を同時に抱え込むことになる。次に他者をどう判断し、その鏡に映る自己をどう守るか無意識の中で懸命になって考える。その行為の過程で、自我が揺らぎそうになると他者に対する攻撃を用意しようとする。わかり易く言うと、相手を否定することによって自己の正当性を保とうとするのだ。

以前、物事の相対性について書いた。ここでもその相対性が適用される。つまり、自分が正しい人間として存在したければ、誰か正しくないとんでもない人間が必要となり、対象となる悪者を探したり作ろうとするのだ。
昨今の報道や人間の反応として、何かよろしくないことをしでかした者へのバッシングは異常とも思えるものがある。一種の集団ヒステリーとも思えるその行為は、自分はもちろんのこと、友人や家族を「悪者」にしたくない、または「悪者にするような浅ましい人間であるわけがない」ことになっているはずの自分を守るため、だからと言ってこの不況下で会社に対する不満も露わにできない自分が、最も自分に被害が及ばない対象として、とんでもない悪者と報道された者を「こいつはひでぇ奴だ」と非難すれば全てが解決できるからだ。

そのように、自分が正しく心優しい人間であろうとすればするほど、多種多様の悪者が必要となる。世の中に悪者が増えると、より自分の正当性が強くなっていく。それが稀にいる者の特徴であればまだいい。集団になってしまうと、誰もが簡単なことで「悪者」や「非道徳的人間」になってしまう可能性が高くなる。
そうなれば、当然の結果として犯罪や自殺者が増大することとなる。平たく言えば、「はみ出し者」が増えるということだ。

私はこのような傾向に世の中があるような気がしてならない。
これは決して平和を生まないシステムである。認められない者の数が多くなればなるほど世の中は不安定になる。では、どうしたらよいのか?それは、「相手を認める」こと以外に方法はない。悪者を誕生させるのは、その人間の要因よりも、自分の中にある要因によるものだからだ。
認められる人間が増えることによって、「はみ出し者」は減少し、とんでもないことは減る。断っておくが、これは道徳的な問題ではない。物理的な問題である。

結論として、相手を否定して自己を肯定させるのではなく、相手を認めて自己も認めてもらうという、忍耐と自己鍛錬が必要な作業によってのみ平和は訪れてくる。

ちなみに、武力によって相手を否定するのが戦争であり、思想によって相手を否定するのが道徳であり、権力によって相手を否定するのが支配である。
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旭町の高砂通り。このあたりもけっこう古くて味がある建物を見かけることができます。

本日(もう昨日になったが)、ハコダテ150+のスタッフミーティングがあった。内容は簡単に言うと、サイトの改善を目指した意見の交換だったのだが、その中で出てきたのが食に関する記事をより目立つように表現する、ということだった。

私も「食遊帳」に記事を書かせてもらったが、今月始めに掲載したピザ店に本日の昼食で再度伺ったが、掲載後にネットを見て来たというお客さんが増えたという話を聞き、食に関する閲覧は多いのだと実感した。
確かに函館は人口の割に飲食店が多い気がする。札幌のような街で星の数ほどの飲食店があるのは当然のことで、すんなり納得できるのだが、函館は密度的には札幌に匹敵するほど高い気がする。
もちろん、市民以外にも観光客が利用するのだからある程度全体数が多くなるのはわかる。しかし、どう考えても観光客が訪れない地域にも、こんなにあって経営が続けることができるのかと余計な心配をするほど、店舗がある。

函館よりも人口の大きい旭川でもこんなに飲食店は多くない。結局、函館の人は外食が好きだということ以外に答が見当たらなくなる。ただ、見逃してはいけないのは、閉店している店の数も物凄く多いような気がすることだ。
実際、「食遊帳」で紹介されている店舗にも店仕舞したところがけっこうある。これはどういうことなのか。
函館市民が脱サラや独立して起業する業種に飲食業が多いのか、市民が飽きやすいのか。ここでその答も推測もできないが、ひとつだけ言えるのは、いずれにしても函館市民の食欲と味覚は、安易に始めた飲食店を許さないのは確かだ。

ところが、だからと言って函館の味が全体的にハイレベルかと言えば、必ずしもそうとは言えない。味に対する需要と供給のバランスが取れていないのか、単に飲食店が多すぎるだけなのか、結局わからないまま今日の昼食はどうしようかと「食遊帳」で調べたりするのである。

余談であるが、取材は自費で行っておりしがらみもない一般市民の立場なので、自分で本当に美味しいと思った店だけを掲載することにしている。もっと執筆したいと思える店が増えることを願いながら。
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万代町の陸橋を下り、国道227号線を走ると、右手に豪奢なピンクの建物が出現する。あまり早く走ったり前だけ見て運転すると気づかぬこともあるが、それほど注意深く見なくとも目に入るような広さの邸宅だ。
周囲を塀で囲まれているため、中の様子が良く見えず、ご覧のような写真しか撮れなかったが、これだけでも建物の大きさがわかってもらえると思う。
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ちょうど交差点の角に位置しており、国道から万年橋小方向に回ると、ご覧のような非常に保存状態良好な和洋折衷住宅を間近で見ることができる。
どんな方がお住まいなのかと勝手門に近づくと下の写真のような可愛らしい和洋折衷部分の住居を垣間見ることができた。
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このような建物は西部地区の定番とばかりに思っていた私にとって、この建物の歴史が気懸かりになる。
そこで、表札の苗字を基に函館市史デジタル版等で調べると、どうやら戦前・戦中に船舶を造っていた船矢造船所(のちに船矢造船鉄工所と名を変える)の経営者の邸宅であろうと推測できた。同造船所は北浜町と浅野町の広大な敷地にそれぞれ工場を作り、戦中の第一号型駆潜特務艇等の軍需木造船舶を作製したとの記録があるが、この建物の竣工年を考えると、そのずっと前から造船業で財を成していたと思われます。

わずかな史実とその他は私の想像での記事となりましたが、この頃西部地区だけではなく、函館全体を見渡してみたいという想いに駆られる次第です。それだけ、あちこちに歴史の片鱗が散らばっている、やはりどこも見逃せない素敵な街であります。
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手前の3階建の建物、この当時は花屋さんだったのですが、今は空家となっています。また、その向こうの鳳来軒だったところに今新しいラーメン屋さんが開業しています。
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ビアバー「山下」と、かの有名な来々軒が並んでいます。昼には観光客らしき人が入るのをよく見かけます。
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大町電停近くの風景。角の(ちょうど人が立っている所)の建物は店舗で、昔七夕祭りに訪れるとたくさんのお菓子と10円玉1枚がもらえました。子供心にやはり商店は羽振りがいいと思ったものです。
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バス通りの大町。この風景も過去のものとなるのでしょうか?
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通常立て続けに投稿しないことにしているのですが、撮ったばかりの面白い画像がありましたので、別枠で投稿しました。旭町の一風景です。
私が撮った写真のうち、多くの割合を占めるのが弁天町の写真だ。建物の豪奢さや、保存状態は末広町・元町のようでは決してないが、それが逆に身近に感じる理由でもある。
昔、親方衆の町と呼ばれた片鱗は垣間見ることができるが、庶民と懸離れた金持ちというより、名の通り小さな会社の親分といった親近感を感じる建物が多いのがこの街の愛すべき点であります。
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幸坂下。手前の蔵の2階のステンドガラス窓は、灯りの燈った夜に見るときれいです。
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壁穴通りにある落ち着いた佇まいの建物。そして、裏路地沿いに長屋が続くという西部地区の特徴がよく出ている建物です。
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姿見坂通りの浜通り寄りの建物。西部地区ではどこにでもありそうで、よく見るとなかなかない建物です。
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西浜岸壁附近。私が小学生になるかならない頃、この道路上でアイ・ジョージという俳優が乞食役で映画のロケを行っているのを見たことを覚えています。野次馬が10数名いたことも覚えています。
函館に住んでいると、当り前のようにある古い建物を嫌っている風潮があるのがわかる。それもわからないわけでもない。風呂がない、暗い、寒い、狭いなどの理由が挙げられるが、それに加えて駐車場所がないという理由でも不利なのが小路にある長屋だ。そのような小路は4m未満の通路が殆どで、なかなか再建築も容易ではない。そのため、消えてゆく可能性が高い。そんな小路をいくつか撮影した。(過去画)
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船見町、高龍寺の近く。
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入舟町、魚見坂から入った小路。先からは夕陽と海を眺めることができる。
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若松町、土方歳三最期の地標近くの小路。ここはちょっと道幅が広いが、3ナンバーの通行はきつそう。

私がこのような写真を撮影するようになったのは、ある種の危機感からだ。自分が育った小さな頃に、特別の風景でもなかった街並がどんどん失われて行くということは、私の人生の一部が失われて行くことに近い感覚を覚える。

人間は身勝手なもので、家族や友人や米や家のように「あって当り前」のものは、失いそうになった時にその存在の重要性を知る。そして本当に失ったら大きく後悔する。
一昨年冬、母の体調が崩れ、高齢ということもあって心の準備をしたことがある。また、その直後、自分の心臓の調子がおかしくなった。結果的には両方とも大したことにはならなかったが、夏には昔よく世話になった先輩が自殺した。
死という非日常的な出来事をとても身近に感じさせる半年間であった。それからは時折「何か忘れ物はないか?」と、自問自答するようになった。その忘れ物のひとつが、「きらきら光っている子供の頃見た函館の風景」だった。普通の生活で見かける風景が、私にはどんな重要文化財よりも貴重に思えた。

しかし、それらは失われ形を変える。そして、どんなものがそこにあったかすら覚えていない。忘れ物を取り戻すことができなくなるのでは、という危機感だ。
かろうじてまだ残っているものを記憶にとどめておくためには写真として記録するしかない。
これが私が西部地区の何でもない風景を撮るきっかけとなった。
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自称、愛宕通り。船見町と弥生町の境。
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白い坂道が空まで続いていた
ゆらゆらかげろうが
あの子を包む
誰も気づかず ただひとり
あの子は昇ってゆく
何もおそれない そして舞い上がる

空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

高いあの窓で あの子は死ぬ前も
空をみていたの
今はわからない
ほかの人にはわからない
あまりにも若すぎたと
ただ思うだけ けれどしあわせ

空に憧れて 空をかけてゆく
あの子の命はひこうき雲

(作詞・作曲・歌  荒井 由実)
本日も引き続き過去画から。坂にまつわる写真です。
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幸坂。中央下に写ってしまっているのはゴミ屑がレンズに着いたためのものです。
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基坂。
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弥生坂。
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常盤坂。
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東坂、坂上の階段を息を切らして登った上方で撮影。