<   2010年 04月 ( 29 )   > この月の画像一覧

a0158797_22171157.jpg
竣工となった大町の5階建てのマンション。右隣はモストゥリー。

以前、ご紹介した大町の5階建マンションが完成、早速賃借人が入居したようです。
4月末までに入居可能と謳っていたとおりに工事が終了したわけですが、外観はパース通りの出来上がりだったようです。

写真のように、古建築物と並んだ姿を見てマッチしていると思う人はどれだけいるでしょうか?
建物も物体ですので、いずれ寿命が来て、新しい建物を建てなければならなくなるのは当然のことと思います。それを認めなければ所有者の負担は止まることを知らなくなるでしょう。しかし、同時に1棟の建物の連なりが街並となるわけですので、その街の雰囲気に合うものを建てるのが1地域社会人の務めではないかと考えます。

そう言えば、西部地区の街並を壊しているものの代表格である高層マンションは、本来の建主はその場に住むわけではありません。賃貸はもちろんのこと、分譲マンションも建主は建築会社であり、購入者は自分が建てた訳ではないため、あまり罪悪感は感じないでしょう。
つまり、建ててしまえば後は知らない、ということになってしまうわけですね。

これを是正するためにはどうしたらいいのか。
ひとつは市の景観条例の厳格化という方法がありますが、癒着なのか弱みがあるのかわかりませんが、必ず抜け道を作る市の対応には期待できません。
あとは地主と買主の公共心に期待するしかないのでしょうか?

ちなみに、参考までの話ですが、札幌のある低価格住宅建築会社が区画分譲した土地の所在地周辺の地価が、その廉価な建物の影響で下落したという例があります。
これは法的に経済活動を規制すべきという問題ではありません。函館という自我を守るか壊してしまうかという問題であるのです。
a0158797_234788.jpg
昨年のDREAM BOX 150開催中の小熊倉庫附近。会場へ向かう人たち。もうすぐこのような軽やかに行楽を楽しむ姿が街中のあちこちで見られるのですね。

世間では、30日を休みにすると、5月5日までの7日間の連休が取れる人もいるのですね。
そこまで休めなくても、気分だけはもう連休モードに入っていると思います。

私の仕事はこの時期が稼ぎ時、7日間続けて仕事です。それもかなり多忙になりそうです。
そのためか本日はテンションが下がり、このブログの夜執筆では初めての日記風ブログとなりそうです。

私も気分だけは連休を味わおうと、昨年のDREAM BOX 150会場の写真を掲載します。
行けなかった方、下の写真はほんの一部ですが、どうぞご覧ください。

註:私も時間がなく、話題となるイベントに立ち会うことができず、行ったのは何のイベントもない時間帯のわずかなひと時だけでした。
a0158797_01136.jpg
a0158797_011213.jpg
a0158797_0113625.jpg
これはハコダテ150スタッフのウェイティングブース。この頃、スタッフではなかった私は、何をしているのだろうかと興味深々でありました。どれを見ても典型的なスナップ写真ですね。まぁ、いいか。
a0158797_2157223.jpg
青柳小学校体育館。手前の石柱は一対あり、体育館の入口にもちゃんとした門があったのかと想像する。

進化や発展という言葉は、まるで子供が成長して立派な大人となったかのように大きな成果の同義語として使われる。また、時にはその時点での完成型ができあがったか如くに誇らしげに使う言葉でもある。
私は、おごりの代替語であると思っている。

例えば、今資本主義が世界中を席捲しようとしているが、これが現在のところ最も進化した経済システムであるとされているからこそ、世界中で取り入られているのではないかと考えられる。(本当はそんなに単純ではないが、この文章はそれを前提として進める)
だが、その資本主義の持つ特質を考えてみよう。
資本主義において必要な要件として、業績・利益が右肩上がりにならなければいけないというものがある。それがなければ投資家はその企業に投資をしないだろうし、企業は資本の増強ができなくなる。逆を言うと、毎年同じ業績で経営が悪化するわけでもなく、上昇するわけでもない企業に投資する者は殆どいないだろうし、大体その会社は株式会社である必要もない。
市場や投資家等に認められるためには、業績・利益を常に向上することが株式会社の使命となる。そのための方策として、業種によっては店舗の拡大、別の業種では新商品の発売、営業力の強化等施策は様々だが、共通して言えるのはいずれにしても販売量を増大しなければその目的は達成されないということだ。

商品量を拡大するということは、すなわちその商品の原材料も増やす必要がある。本当に売れるかどうかは別として、以前より多く製造して市場に流通させなければ売上増大には決してならない。しかし、売れ切ることができる商品はごくわずかだ。多くは廃棄となる。廃棄はもったいないと誰もが思う。しかし、資本主義で必要不可欠な「余剰」というものの目的のためには、需要を超えて製造されなければならない。悪循環と呼ばれようが、「業績発展」ためには「余剰」は必要なのだ。

廃棄となるものの原材料には地球の自然という身を削って得たものが多くある。つまり、資本主義の特性によって必然的に犠牲になるのが地球である。私たちの進化・発展というのは地球の自然バランスを破壊することによって成り立っている。

これが、進化・発展と本当に呼べるだろうか?

以前、私は将来必ず資本主義が崩壊すると言った要因の一つはこのことだ。何度も繰り返すが、物事は相対的に存在する。「発展」の反対側には「破滅」が常に裏表で存在する。どんなに人間が前向きであったり楽天的であっても、破壊されるものは確実に破壊される。気分の問題ではない。物質的問題だ。

そう考えると、生物の中で最も「進化」していると自惚れている人類は、地球にとってははた迷惑なデストロイヤーでしかない。
我々はもういい加減に勘違いに気付くことができないのだろうか?
a0158797_22261134.jpg
函館水天宮。市役所の隣にあり、落ち着いた佇まいをみせている。これを見るたび、そう言えば労働会館は無くなったんだよな、と再確認してしまう。

小泉純一郎が内閣総理大臣だった時代、ある意味怖かった。
小泉本人そのものが怖かったわけではない。確かに貧富の差を大きく生じさせるシステムを作ったり、政策や政局をドラマに変えて思考より感情に訴えたりと、やっていたことは疑問だらけのものだったが、そんなことより怖かったのは国民が彼に引き込まれて行ったことだった。

なぜ彼のパフォーマンスに国民は最後まで高い支持率で共鳴していたのだろうか?それは、時代背景以外の何ものでもないと考えている。
バブル崩壊からの長い不況の中、先の見えない重苦しい日々を生きている時、頼りにしたい自民党と総理大臣が光の見える方向に導いてくれないどころか、不正やおごり以外に考えられない言動を繰り返す総理や大臣に失望していた。おまけに、口を開けばこの人に国を任せられるのか、と甚だ疑問だらけになってしまうことが幾度もあった。人々は何でもいいから道筋を与えてくれる人物の登場を望んでいた。

そんな時に小泉純一郎の「自民党をぶっ壊す」と、毅然とした物言いが力強く思えた。不信感しか与えない自民党を批判し立ち向かう姿は凛々しくも思えた。この人であれば、何かを変えてくれるかもしれない。
小泉氏の魅力に国民は惹かれ、彼のドラマにのめりこんで行った。政策や思想はどうでもよかった。変化だけを求めたのだった。

このヒーロー誕生の経緯は、ドイツにヒトラー政権が誕生した流れと似ている、と小泉政権の中程で気付いた。人間、理由を理解しその気になったら簡単に人殺しができる。戦争が一番いい例だ。そして、そこに至るまでの納得をさせることができたら、理由がどんな種類のものでも関係なくなる。いわゆるマインドコントロールである。

しかし、マインドコントロールするにしても、人間が冷静であれば相当大がかりで長期間の労力を要する。ところが、人々の心が揺れて疲弊している時は別だ。小泉やヒトラーの劇場を見るだけで簡単にたなびいてしまう。冷静な分析や判断もできずにその方向へ向かってしまうのだ。

このようなことを書くと、特定の人物の批判に聞こえるかもしれないが、それは違う。例えば、内閣の総理や2、3名の大臣が戦争を始めようと考えても、その他大勢の政府関係者や国民が「あんた馬鹿じゃないの」と相手にしなかったら戦争は起こらない。これは間違いない。しかし、国民が戦争も仕方ないと考えていれば戦争は起きる。

「仕方ない」は認めたと同様の意味を持つ。
本当はやりたくないけど、仕方ないからやろうか、と理由が付いたら人間はやりたくないこともやる。やってしまえば、やりたかったのかやりたくなかったのかは関係なくなる。やったという結果だけが残る。

小泉純一郎がマインドコントロールを行ったとは思えない。だが、国民が変化に導いてくれる人物を望んでいたのは確かだった。だから、まるでマインドコントロールでもされたかのように彼の世界に入り込んで行った。だから私は怖かった。小泉氏が次にどんな奇策を講じるのかと。

ボブ・ディランが彼の名を一躍世界に轟かせた名曲「風に吹かれて」についてこのように語った。
「みんな色んな議論をしていた。それは空中に漂っていた。僕はただそれを書きとめただけだ」

結果としての「悪の枢軸」も「救世主」も、どちらも最初はヒーローだ。そして、それを産み出すのは我々国民なのだ。
ここ何日かで知っている限りで2棟の見慣れた古建築物が解体された、及び解体が開始されました。
1棟はlennonさんがezzoforteで失われ行くもの でその現場を撮影した元町のお洒落な古民家ですが、解体後の写真が下です。
a0158797_22342624.jpg

また、大町電停近くにあるしばらく空き家だった元毛皮店が、解体のために内部残置物と建具等の撤去がされていました。作業をしていた方に、何か建つ予定があるのですか?と尋ねたが、聞いているのは解体だけだとのことでした。
a0158797_22394362.jpg
a0158797_22402562.jpg
a0158797_22404734.jpg
どうか目に焼きつけておいてください。
私は「日常的な情緒」を撮り続けていきます。
a0158797_2151226.jpg
新川町のせともの屋さん。毎日朝早くから店を開き、ご覧のように店外にもきちんと陳列している。

約6年くらい前、札幌の近郊のお客さんの所に仕事で訪問した時のことだ。
約束の時間に玄関のインターホンを鳴らした。ご老人であるお客さんは返事よりだいぶ遅れて玄関の扉を開けた。そして開けるなり「ごめんね、鍵かけていて。最近この辺物騒だから」と謝った。
当時札幌に住んでいた私にとって何も謝るようなことではない、普通のことだと不思議に思った。

室内に招かれ、椅子に座ったところで、ご老人は「何ヶ月前にたぶん札幌から来たのだと思うけど、空き巣集団が車で来て、留守宅から物を盗んで行ったらしい。この町にはそんなことする人はいないから、たぶん札幌の人で間違いないと思うけど、ここに住んでから初めて鍵閉めるようになった。本当に嫌だねぇ」と、鍵をかけていた理由を話した。

私は少し考え、ここでは家の鍵を開けておくのが礼儀なのだろうと推測した。それはおおよそ当たっていた。
この家には町の人がチャイムも鳴らさず玄関ドアを開けて入ってくるのが普通の当り前のことだったらしい。昔、母の実家(ど田舎)に行くと、近所の人たちが何の前触れもなく突然勝手に玄関を開けて家に入って来たのを何度も経験した。
恐らく今の函館でも、特に高齢者の家ではこのようにしている所があると思う。

鍵をかけるということは、人を拒絶することであるということなのか。
私はそのように思える。人を信頼していれば鍵などかける必要はない。近所の人との交流がご飯を食べるのと同じくらい当り前だったら、拒絶する理由もない。

しかし、現実にはそうはできない。鍵をかけなければ空き巣に入られ、被害に会う。鍵どころか警備会社のセキュリティ・システムを利用する者だっている。そんな人は、先ほどのご老人の町では失礼極まりない人間となるのだが、札幌などの都市部では危機管理能力がないだけ(そこまで大袈裟ではないが)と言われる。
つまり性善説が前者、性悪説が後者ということになる。
どちらがいいのかどうかは別として、世の中の大勢を占めるのは後者だ。盗まれる人が悪い、騙される人が悪い、ということだ。だから、私を含め皆、無意識のうちに心にも鍵をかけてしまっているのだ。
a0158797_3291292.jpg
大森浜。今年3月撮影。

函館はもう少しで5月になろうとしているのに一向に暖かくなりません。春よ来い、という気持ちが通り過ぎ早く夏になってほしいという気分になろうとしています。

そこで、気分だけでも夏になろうと、山下達郎の「Your Eyes」をご覧ください。写真の山の残雪を見なければ多少夏みたいな気分になるでしょう。(無理があるか)



a0158797_12445561.jpg
函館海産商同業組合。玄関周りや階段等細部までそのセンスが際立っている関根要太郎の傑作だ。バル街はこの辺りが中心地として行われた。

長年函館に居住していなかった私にとって、バル街に行くのは初めてとなった。以前から行こう行こうと思って、バル街だけではなく他のイベントにも都合等でなかなか行けなかった私にとって楽しみにしていた大イベントである。
その時のリポートはハコダテ150+の特集でお知らせすることになると思うので、ここではたぶんリポートでは書かないだろうと思う雑感を記したい。

バル街には会社で手を挙げた女性2名と一緒に行った。2名とも私と同じく初めてのバル歩きとなったが、雑談の中で、この企画が日本で初めて行われたものであることと、本州の他都市から視察が訪れるくらい注目されているということを知らなかった。
恐らく港祭りやクリスマスファンタジーのように他都市でも類似するものがあるもののひとつとして捉えていたようだ。

深谷氏の努力がまだ市民には浸透されていないようだが、実際に行ってみて秋にも是非行きたいとの感想を持ったようで、どうやらその楽しさを満喫できたようだ。もちろん私も。
このように少しずつでも市民に広まり、参加店舗の良さや西部地区の趣と函館市民の反応を肌で感じてもらえたら「街」という意識も少しずつ変わっていくのではないかと思う。この形式が全国的に拡がり、知名度がより高くなったら、逆に函館市民にもより知れ渡り失っていたプライドが回復されるのではないかと思う。

そして、自分たちはまだ何かをやることが出来るという自信につながるのではなかろうか。この企画は行政からの補助を得ずにまったく独自で運営されているという。もっと市民や観光客が増えたら、逆に行政を動かすことができる可能性だってある。
このような発想と行動力があるところが函館の素晴しい特徴である。だから、色々文句を付けながらもこの街が好きでたまらないのである。ただ住んで働いているだけの街にはない、市民であることの喜びを実感できる街なのだ。

西部地区には函館についてあーだこーだと言ううるさい人間が多くいる(私を含め)。だが、そのあーだこーだの中から函館が持つ良さを表現するための新しい発想が生まれて来るはずである。だから私もいつまでもあーだこーだと喋っていくつもりである。
a0158797_0183536.jpg
豊川町の問屋さん。有名な建物ではありませんが、もし無くなったらやはり無念な建物のひとつです。

写真の建物、西部地区ではなくとも旧市街地にはよくありそんな建物です。この手の建物はたいてい大正から昭和の戦前に建築されたものが多いのですが、最近、色々な建物の写真を撮っていると、ふと思うことがあります。

それは、大正・明治を含む戦前の建物ばかり気にして見ているけど、そっちばかりに注意が偏っているうちに、今ではありふれているものの、10年後・20年後には希少な存在となる戦後の建物もあるのではないか、ということです。
確かに戦後の住宅不足の折にその場しのぎで建築されたものも多くありますが、そのような時期にもしっかり建てられたものもあるのではないか、そんな疑問を持ってしまう次第です。

例えば、田本写真帳を見ると、現存している建物より素敵な建築物が当時あったみたいですが(私の主観)、それと比較して当時は平凡な建物でも、今では貴重な存在となっているものもあるはずです。
そう考えると、今そこら辺にある普通の古い建物も何十年後かには貴重になるかもしれない。

これからはそのような視点で街を歩いてみたいと思った、昨日この頃です。(昨日思ったため)
a0158797_209184.jpg
函館山からの風景。昨年9月撮影。写真中央の五稜郭タワーに向かう直線道路が以前ご紹介した「旧幕府軍の道」です。

この記事が投稿100稿目になる。妻に「よく毎日書くことがあるね」と言われたことがあるが、自分でもそう思う。約3ヶ月半で100稿であるのでほぼ毎日あーでもないこーでもないとぐだぐだ書いたことになる。まだ発想だけは若いと思いたいのだが、同じような題材を何度も記載しているので、典型的な年寄りは同じことを何回も話す、という現象に過ぎないのか。

今日は休日であったため、今年初めての函館山登山(自家用車にて)をした。奇しくも第1稿目も函館山での記事を書いたが、100稿目も偶然函館山での題材を選んだ。今日の函館市内は午後から陽も射し、気候が回復するも風が強めで体感気温はかなり低く感じた。そんな時に函館山に登ったため、とても寒くて写真を撮ろうという気になれなかった。こんな環境の中、毎日山頂で写真を撮影しているハコダテ150+某スタッフは立派だと改めて感じた。

さて、その寒さのため、展望台二階の土産品コーナーでぶらぶらする時間が長くなったのだが、販売している商品を見てあることに気付いた。
それは、販売している菓子類の製造者が函館以外の道内製菓会社のものが予想以上に多く並んでいたことだ。北海道旅行が函館だけだった人や旅程の最後が函館でまだ土産品を購入していない旅行者のために、北海道銘菓という括りの菓子を販売しているのは充分理解できる。ところが、函館に関わる冠を付けた菓子も、例えば札幌や石狩や苫小牧で製造された菓子が販売されているのだ。

これはどうも理解できない。例えば、札幌に住んでいて、登別への温泉旅行の土産品が札幌で製造された物だったら、私はがっかりする。旅情を感じることができない。どうも旅行をしたという気分になれない。
今の旅行者はどうなのだろうか?製造者などどうでもいいから函館という名前が付く美味しい菓子だったら気にならないのだろうか?土産品を贈る方も受け取る方も無感覚なのだろうか?

いずれにしても、函館が全国に誇れる菓子がないことは寂しい。前回、函館には高い感性を身に付ける土壌があると言ったが、味覚に関してはそうとも言えないのかもしれない。素材だけに頼ってはいけないのだ。味の工夫が急務である。函館に行ったら友人・親戚にあの美味しいお菓子を買ってこようと思えたら、今度の旅行先の候補の中から選択される確率が高くなるはずだ。