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函館公園の碑。何の碑なのかと漢文を読んだがさっぱりわからなかった、高校時代、漢文は大の苦手だった。

昨日の北村水産について、少し補足を。

自由の女神像のセンスが悪いという声は数多く聞こえていた。もちろんその通りである。全く否定する気はない。だが、そのセンスの悪さが想像を遥かに超えていた。
今回の騒動でテレビなどでは全国にある女神像を紹介したりしていたが、それらは今時絶滅寸前のパチンコ店の女神像やラブホテルの女神像である。函館市内を見渡してもパチンコ店やラブホテルにはない(はずだ。自信はない。断言できるような利用をしていないから)。
つまり今回よく使われた、「パチンコ店やラブホテルにあるような女神像」という表現はもうこの世にないものを表現したことになる。また、そんな死滅して誰もが見向きもしなかったものを北村水産は採用したわけだ。

流行は繰り返される、とはファッション業界で使われている言葉らしい。だが、この女神像は再び流行するとは到底思えない。
もし、どうしてもこの女神像を活かした建物とのコラボを考えるとすれば、店舗を西部劇のガンマンが集うバーのようなものか、アメリカングラフィティに登場するネオンぎらぎらのパブ風の建物以外思いつかない。だが残念ながらこの店舗は全てにおいて中途半端なデザインであるため、どのようなものと組み合わせても「絵」になるとは想像できない。

本当に真剣に経営というものを考えているのなら、例えば料理人が皿や鉢などの器にこだわるように、商品を展示する建物という器にもこだわるはずである。恐らく発想としては、金儲けしたい→目立つ店舗にして集客したい→目立つ色・目立つ物という単純なものであると想像できる。

私には「良いものは良い形をしている」という信念がある。商品の性能にこだわって作ったのなら、その性能の良さをデザインという形でも表現したくなるのが自然だ。それをしないのは結局眼の中に写っているのが金だけだからだ。

センスというのは、その意味の「感覚」だけではない。ものの質から必然的に生まれてくるものだ。
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旧相馬邸から見る伝統的建造物群の建物。写真中央上部に見えるのが、はこだて工芸舎(旧岡本邸)。

今日の函館は久々に雨が降ったと思ったら叩きつけられるような大雨になり、その中で箱館奉行所のオープンを迎えることになった。このセレモニーと初日の館内の様子はハコダテ150+のスタッフ日記、箱館奉行所、オープニングセレモニー会場前初日の奉行所、篠つく雨の中多数の来館者でリポートされているのでそちらをご覧ください。

さて、本ブログではしばらく北村水産の話題を取り上げていなかった。別に撤去勧告を受け入れたからといって安心したわけではない。それどころか、毎日帰宅する際に見上げる二十間坂正面の煌々と輝いている照明と派手な幟には腹立ちさをいつも覚えていた。
だが、当初から予想されていたことだが、当初の猛烈な反対意見の洪水がちょっと引けた頃から出現し始める「まぁ、いいんじゃない」という容認的な発言の出方を待っていた。それについてはhakodadid氏が色々なブログでの意見をまとめているので、そちらをご一読いただきたい。

これらのブログの中で容認的な発言をしている人は、皆軽い。重要な意味を内包している軽さではなく、ただ軽いと言わざるを得ない内容だ。だが、これは自然な流れだ。世の中の空気というものはこんなものだ。一時的にエネルギーがその問題に集まってもいつしか冷め、そのうち日常というものに回帰した者はいつまでもその問題に関わっている人間を鬱陶しく感じるようになる。そうすれば、その問題に取り組んでいる者は益々意固地になり時には過激になる。そうすると、日常回帰した者や容認派は反対派を異端視するようになる。
これが世の常であるので、私はしばらく様子を窺うことにしていた。だが、これからも時折この問題をいつまでも取り上げてその時点での問題提起をしていきたいと考えている。

失敗をする者の典型的なタイプとしてよく言われるのが、「今だけ、自分だけ」を大切にする者だ。北村水産は正にそれに当たる。自分の商売のビジョンは作っているのかもしれないが、函館という全体の中での自らの位置と函館の将来のビジョンを絡めた思考を全く感じさせない。
だから、放っておいてもこの会社はいずれ衰退すると予想できるし、その点だけ考えれば何も騒ぐ必要はない。だが、自分だけ滅びるのならいいのだが、函館全体が関わってしまっては迷惑千万。
北村水産や容認派の方々は、函館が駄目になるという重責を一生背負っていく覚悟はあるのだろうか?また、実際にそうなった時に復興させる心や施策や金の準備はあるのだろうか?
もちろんそんなことを考えもしないから、軽い言動ができるのだと思うからいつまでもこの問題を終わらせてはいけないと思っている。

では、現段階での問題とは?撤去されても残る店舗そのものと営業活動だ。この店はもう二十間坂の「顔」になってしまっている。そのような場所に位置している。明治館方面からロープウェイや教会方面に移動する観光客はその姿を必ず見ることとなる。これを商売がうまいと評価する者もいるが、所詮「今だけ、自分だけ」のうまさである。
小手先の演出に惑わされてはいけない。私たちは大きな視野で今後の函館を考えなくてはならない。そのためのデータ作りとして、8月に協力者を募り、二十間坂下で観光客・市民関係なく「二十間坂の景観」に対する意識調査を実施したいとここで表明する。
そしてそのデータをできるだけ広く公表して、多くの方の意見を集めたいと思う。今度は自由の女神像の問題ではなく、観光のメインストリートの景観に対する意識の問題についてだ。

後日、詳細をこのブログで報告する。
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明治時代に作られたと思われる衣。旧相馬邸にて。

ツイッター登録をして今日でちょうど3週間たった。その間のツイート数は66だが、このブログの更新情報もツイートととしてアップされるので、実際につぶやいたのは60を切ることとなる。
この数が平均と比べたら多いのか少ないのか、ツイッター分析家ではないのでわからない。

登録当初は何をしたらいいのかわからなかった。フォロー者間での会話に突然横入りするのも何であるし、そんな中、ぽつんとつまらないことを呟いてみても、まるで仕事中に突然わけのわからないことを喋り出すのに似ているように感じで気が引けた。
そのためしばらくは傍観者となっていた。
どのように使ったらいいのか?まぁ、こんなことを考えてしまうこと自体「オヤジ」である証拠なのだが、考えてしまうのは仕方ない。そこで、交わされている論議に加わってみようかと考えたが、一度入ってしまうと納得の行くまで討議しなければならない性格のため、そこまでの時間を作ることができないと断念。もちろん自分が討議になりそうな話題を出すこともできない。

ツイッターの欠点は、リアルタイムでなければならないことだ。もっともこれが最大の長所であるわけなのだが、その「リアルタイム」を逃したら置いてきぼりにされる。まさか12時間前のツイートに返信しても間が抜けたような感じになる。

そこで、街をあちこち走り回る仕事の利点を活かし、街で見かけた出来事を呟いてみた。交通事故があり交通規制があるとか、そんな他愛もないことだ。反応はなかった。きっと誰かは見たのだろうが、まるで渋谷のスクランブル交差点内で独り言を喋ったみたいであった。
そんなこんなでもうどうでもよくなり、好き勝手につぶやいてみることにした。今日は疲れたとか、昼食を食べた感想とか、そんなどうでもいいことだ。

これが意外と反応があった。ハコダテ150+メンバーからの返信ばかりだが、それでも何らかの「討議しなくてもいい」会話ができた。
そして今日、北斗市の蕎麦店に昼食で入ったことを呟いたら、もともとそこに行こうと思っていた方から「自分も行こうと思っている」という返信があった。

これは面白いと思った。

ツイッターはリアルタイムに会話するだけではなく、リアルタイムに行動するための情報交換にも使えるのだと。そして、同じ場所に会話の相手を導いてくれる。その方はしばらくして来店し、話を楽しみながら一緒に食事することができた。
この使い方は面白い。大人だからそれぞれの仕事の予定がある。高校生ではないのだから、そんな相手に今日どこかで昼食しようといちいち誘うのも気が引けて来る。だからとりあえず呟いてみて、気が向いたら誰かは「リアルタイム」に行動として反応できる。
昼食だけではなく、これは色々なことに使える。まだ具体的な妙案は思いつかないが、きっと使えるはずである。

私がツイッターの効力を感じた出来事だった。
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おはようございます。フジコ・へミングのリスト作「愛の夢第3番」をお聴きいただき、鬱陶しい曇天を穏やかに過ごしましょう。
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函館市公民館講堂側から事務所への連絡通路。いかにも後から継ぎ足したことがわかるのがいいですね。

函館は面白い街だ。他都市で住んだことのある人はよくわかると思うが、こんなに貧富の差が歴然としているのも道内では珍しい。そして、暮らしもまた、他都市では考えられないことが多い。
それを項目ごとにまとめてみた。(*札幌は人口や規模が比較の対象となりえないため、他都市という場合は主に札幌以外の道内他都市のことを指します)

1.高級住宅街
他都市ではまとまったある一箇所である場合が多い。函館は元町を中心とした西部地区、松陰町から柏木町にかけての文教地区、湯の川の一部地区と3箇所にも分かれている。これは街の拡がり方に起因するものだが、その時代その時代で財を成した者が異なり、つまり、成功へのチャンスは広くあったと考えられる。
また、他都市の感覚で見ると、函館の人は金持ちなんだなと思ってしまう。

が、しかし、

2.収入
地元企業に勤めている人は非常に低収入だ。家賃が札幌に近いという環境下でよく暮していると感心してしまう。おまけに車もしっかり所有している。他都市に住んでいた者には信じられない部分だ。
ところが小さな会社でも、経営者となればそれなりの収入がある場合を見かける。これは、一般労働者は安い給料で、経営者はしっかり貯めたり使ったりできるような差ができることが常識的になっていることなのだと思う。
ちなみに夫が昼に手製弁当を食べるのが良く似合っている街が函館だ。

3.家族
道内他都市に負けず劣らず、函館にも母子家庭が多い。これは現代の「遊び」が少ない地方都市の特徴であるが、このことについては別の機会に述べる。

4.外食
函館は人口の割に飲食店が非常に多い。本当にそれほどの外食需要があるのか、単に独立志向が強い(組織人ではいられない?)人が多いのか、よくわからない。店舗は多いが、気取って飲食しなければならない店は少ない。大都市のような無理に作られた特徴の中での飲食ではなく、気楽に店の人と話せそうなところが多い。これは長所短所両方を兼ね備えている。

5.企業
ある人から面白いことを聞いた。函館から一度も離れて暮したことのない人だが、彼が言うには、函館の人間は独立心が強くまとまろうとはしない。だからちょっとくらいは大きくなってもそれ以上になる企業はない。だから進出して来た企業にはあっさりと負けてしまう。それでも結束しようとしない。
これはある意味大問題である。独立心が強いのとバラバラであるのとでは大違いだ。

6.文化
文化は精神的偏向性が強いと、その中から生まれるものは光り輝く。北海道から著名なミュージシャンが十勝地方と函館地方から多く誕生するのは、そのためと思われる。どちらも閉鎖性が高い地域である。「芸術は爆発だ」と岡本太郎氏が言ったが、抑圧の中から弾けるように表現されるのが芸術であるのは間違いない。そういう点では、函館はまだまだ文化を生み出す素養はある。

以上、まだ考えると色々出てきそうだが、ひとまずここまでとする。個別に考えてみてもやっぱり函館はちょっと変わった街である。その変わったところがとても好きなのだが、もっと大人としてのまとまりもほしいと思うのは私だけだろうか?
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DREAM BOX開催時のブルーインパルス、リハーサル飛行。

まだちょっと早いが約1年前の8月、様々な開港150周年記念行事が行われた。その際に撮影した写真の一部や、その他夏に撮った写真をお届けします。BGMとして The Allman Brothers Band の Jessica をお聴きください。全世界で約265万回の再生回数があるカントリーブルースの名曲です。
ツインリードギターとツインドラムスという変わった編成のバンドの演奏です。メンバーの姿が今となってはちょっと暑苦しいですが、演奏は素晴しいものです。

ちょっと違った夏を感じて楽しんでください。
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唐草館。ここが最初に開店したのは25年以上前だったと思う。わざとレトロに作った建物だとずっと思っていた。素晴しすぎる。

本日の北海道新聞夕刊のトップは29日公開開始される箱館奉行所の記事であった。ちょうど夏の観光シーズンの真っ只中、それなりの入場者数はあるだろう。問題は来年以降だと思うが、その件は実際に中を見たり運営実績を見てから書こうと思う。
その夕刊の第6面に「引きこもり70万人」という見出しの記事があった。内閣府の調査によるもので、全国の15~39歳の男女を対象に実施した結果、対象者5000人、回答3287人のうち、「引きこもり」と認定されたのは1.79%であり、全国換算すると69.6万人に及ぶという。

この70万人が羨ましいと思う。なぜなら、「引きこもり」のためには資金が必要だからである。皮肉で言っているのではない。現実的にその通りだからだ。
もしも今、私に有り余る資金があったら少なくとも1年間は引きこもっていたい。じっと家ににいて、本を読んだり郷土史を勉強したり、厳選したハワイコナをあせらずゆっくりおとして飲んだり、時には気が向いた場所まで散歩をして写真を撮ったり、病院で集中的に体の隅から隅まで検査してもらったり、日常に飽きたら国内海外に旅行したりと、やりたいことはたくさんある。小説や論文も書きたい。
だが、そんなことは到底できないので、残念ながら引きこもるわけにいかず、今日も夜まで働いて来たわけだ。

そんな個人的なはかない願望は別として、引きこもる転機となった原因を読むと、大きく分類して「挫折」と「環境に馴染めない」であった。
若い時はちょっとした挫折で落ち込んだりすることはよくある。私もつまらないことをまるで人生の一大事のように深刻に考えて悩んだりした。そして、アルバイトに行く気になれず、仕事を辞めたこともあった。
自分もそうだったから言うわけではないが、若い時はある程度仕方ないと思える部分がある。特に「自尊心」という殻に籠り、社会との接触が部分的にしかない年齢では自我の存亡の危機に直面するからだ。ところが今回の統計では、社会に馴染んでこれから社会の中心となって働かなければならない30代が20代・10代よりもずっと引きこもっている数が多いことがわかった。

今の30代と言えば団塊ジュニア世代であり、モンスターペアレンツ世代であり、学生時代は就職氷河期であった世代である。この世代の特質についての私見は別の機会に述べたいと思うが、先程の資金力という点で考えると、引きこもるほどのお金があるのかという疑問が芽生える。
30代で引きこもるほどの貯蓄を作ることができるのは、今の時代相当な一流企業に勤務していなければできないと思う。または、配偶者の収入が高く、片方が退職しても充分食べていけるのか、あるいは親からの資金援助を受けているのか。いずれにしても、それらは全体からすると占める割合は低いと考えられる。
もっとも多いのは親と同居して、生活は親が面倒を見てくれているというタイプであると思う。
こう考えると、「引きこもり」はいくら景気回復ができていないと言われていても、それなりの経済力の基盤があって初めて起きている出来事と言える。

だからと言って、引きこもっている人を捕まえて、「あなた贅沢な人だね」と言うつもりはない。本人にとっては、金持ちであろうがなかろうが、自分という尺度で考える時には結び付かないことだからだ。家から出れないものは出れないのだし、人が怖ければ怖いのだし、他人から見るとつまらない事柄でも、本人がおおごとだと思えばおおごとなのだから。
それらを別の尺度で否定しようとしても無理があるし、強く諭そうとするとそれは脅迫以外の何ものでもなくなる。

このような問題を個人のみにスポットを当てて話すのはとても容易で耳障りがいい。だが、はっきり言って社会の問題である。つまり我々の業の反映であるのだ。
メディアはいつまで経っても根本的な原因追究をしようとしない。なぜなら、視聴者である国民を否定しなければならない作業が生じるし、影響の一端になっている自らをも否定しなければならなくなるのだから。
延々と続く対処療法的な報道では何も変わらない。個人は社会に比べて圧倒的に弱い存在なのだから。
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函館市公民館の講堂入口。この時はご年配の方々が歌の練習をしていた。

今や喫煙者は絶滅危惧種生物に指定されそうなほど、その生息を確認するのが困難になってきている。
元と言えば北欧の女性首相が煙草嫌いで、何だかんだ理由を付けて喫煙者を攻撃し始めたのが発端だ。まるでヒトラーがユダヤ人を迫害したのと、図式が酷似している。
しかし、ヒトラーは後に残虐な独裁者として全世界から否定されたのに対して、女性首相は、本人のことはすっかり忘れられ、嫌煙運動だけが世界中に広がった。そして、その波は我が国にも到来した。

医学界はこぞって煙草の有害性を訴え、喫煙者をまるで麻薬に侵され哀れな終末を迎える者のように表現して風説の流布を行った。医学という宗教を信じる民は、喫煙者を伝染病保有者のように毛嫌いし、民に迎合したい者は「そうだよな、煙草は体に良くないよな」と、真面目人間であることを演出する。
喫煙者攻撃は家庭内にも及ぶ。室内での喫煙を許されない者は、わざわざ表に出てひとり寂しく煙草を吸う。その姿は夕暮れに肩をすぼめて泣いている孤独な男に似ている。

そして、愛煙家最大の危機がもうじきやって来る。この秋の価格値上げだ。これは、弱り切った喫煙者にとどめを刺す悪魔の怨念ビームである。これには細々と種の保存を願いながら生きて来た喫煙者も白旗を揚げてしまう可能性が高い。予断は許さない状況である。

そんな折、世の太平を享楽し続けているのが愛飲家である。
ビールが高くなっても、発泡酒という救済措置を受け、喫煙者とは反対に女性にまで支持者を拡げ、いくら糖尿病や脳卒中等の生活習慣病の恐ろしさを知らされても、誰からも止めろとは言われない。高血圧さん、こんにちは。メタボ、わかっているけど、まぁいいか。周りにたくさんいるから。

とにかくそんな風に愛飲家種族は結束して種の存続を図ろうとする。
だが、彼らは自分たちの恐ろしさをまだ知らないのだ、時には殺人者となることを。最近は減少気味になってはいるが、飲酒運転である。また、アルコール中毒という病気が待ち構えていることも。

愛煙家は心を変えると禁煙できるが、愛飲家は人生を変えなければ禁酒できない。または、人間をやめなければその中毒から脱することができない人間が多くいる。

私の親戚に酒癖の悪い人がいた。素面の時はそんなに悪い人間ではないのだが、アルコールが入るとコロリと変わる。とにかく潰れるまで飲み人に絡む。酒の上でのトラブルは絶えない。妻はその都度人に謝り、介抱するが逆に殴られることもしばしあった。酒がなくなったらどんなに夜遅くとも妻に持って来いと怒り、片田舎の一軒しかない商店の人を起こして酒を買ったこともあった。

そんな人間であるから、親戚の中でも若い年齢で亡くなった。糖尿病で目も見えなくなり、寝たきりが1年以上続いた上での死亡だ。その後の妻は人生の春を迎えたかのように、現在も自由を謳歌している。

このように愛飲家をけなした文章となったが、私はどっちもどっちと思っている。私も人と酒を飲むのは好きであるし、また煙草も吸う。
だが、世の中の情勢は不均等となっている。偏っている。よく煙草の煙は吸わない人にも影響を及ぼすからいけないと言われているが、酒だってこのように色々な人間に影響を及ぼすのだ。煙草がないからといって妻を殴ったという話は聞いたことがないが、上述のように酒飲みにはある。酒を飲むと喧嘩をして人を傷つけることもあるが、煙草を吸って喧嘩になることはほとんどない。

繰り返して言う。どっちもどっちなのだ。
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青柳町電停方面から見る谷地頭電停方面の風景はけっこう好きだ。終点というイメージはどつく前よりこちらの方が強い。

「フン」と言っても排泄物のことではない。「フン、どうせ・・・」のフンである。
これがけっこう世の中をややこしくしてしまう。「フン」は伝染する。感染しないためには相当な精神的防御が必要である。

例えば、ある女の子がある男の子に恋をしたとする。女の子は彼に気に入られようとお洒落をして、可愛い素振りをして、彼の言うことを何でも聞いた。ところが、彼はそれをいいことに我儘放題好き放題に付き合いをして、あげくの果てに飽きたからと彼女を捨てる。当然彼女は悲しみ、泣き、苦しみ、心に大きな傷を残す。
それから彼女が立ち直る方法のひとつとして、「フン、男なんて」と自らを思い込ませることがある。

立ち直った彼女は大人になった。今度は、ある男が好意を寄せて彼女に近づいた。彼女は過去の痛手から身構える。そして、何の関係もないのに昔の彼の復讐をするかのように、近寄った男を利用しようとする。時には運転手として使い、時には貢がせたり。利用価値がなくなったら、「フン、どうせ男なんて結局裏切るのだから、捨てられる前に捨てちゃえ」と、彼から離れる。
今度は一生懸命気に入られようと時間も金も心も使った彼が傷付く。そして思う。「フン、女なんて男を利用するだけ利用して、酷いもんだ」今度は彼が他の女性をもて遊ぼうとする。自分が傷付かないために。

このように「フン」は強い感染力で人々の間を連鎖的に伝わっていく。とても恐ろしい。それは結婚というフィルターを介すると一時的には消滅したかのように感じるが、時の経過と共に体内から再び増殖して復活する。そして夫婦関係は低空飛行でかろうじて飛び続けるか、失速して墜落するはめとなる。

その夫婦に育った子供は、親から継いだ「フン」の精神で付き合う相手を見る。相手も「フン」ウィルスに侵されてしまう。ますます「フン」は拡がりをみせる。

本当に「フン」は恐ろしい感染力を持っている。

もちろん「フン」は男女関係だけではない。人間関係のいたるところに出没する。老若男女関係なく伝染する。人と人の付き合いは「感染の疑い」から始めなくてはならなくなる。大きなマイナスからのスタートだ。

Billy Joel は「Honesty, such a lonely word」と歌った。
さて、あなたは何と歌うだろうか。
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青柳町にて。

昨日の函館は29度超の夏日だった。その中、休日を利用して青柳町の散策をした。その模様はハコダテ150+の炎天下の青柳町散策記でご紹介しています。

その際に撮影した青柳町等の「夏模様」をご覧ください。
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住吉漁港。
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青柳小学校。右手前はプール。
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函館市公民館事務所裏手。煉瓦部分があったとは知らなかった。
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函館公園内のベンチ。
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函館公園の噴水。ちなみに幼児趣味ではありません。こんなことを但し書きしなければいけない世の中って、生きていくのも大変ですね。