<   2011年 05月 ( 31 )   > この月の画像一覧

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妖怪?みかづき工房にて。

昨日、外はこの時期には冷たく強い風が吹いていた。にも拘らず、ある住宅で玄関ドアを開けっ放しでお客様を待っていた。それは違う社員が行ったことだが、きっと一昨日までの暖かさがあったからそうしたのであろうが、寒さに我慢できなくなった私は玄関ドアを閉めたが、もう遅かった。その夜から喉の痛みと寒気を覚えるようになった。そして、現在かなり熱っぽい。完全に風邪を引いてしまったのだ。

別にその社員への恨みを述べるためにこれを引き合いに出したわけではない。日本人らしいと言えば日本人らしいからだ。日本人は、例え実気温が低かったとしても、「もう5月なんだから」とか「8月に半袖を着ないのは恥ずかしいから」などの理由で、その気温に適した格好をしないことが多い。これに対して、欧米人は真夏でも寒ければ上着を羽織ったり、その気温に適した服装をするという。
サッカーで例えると、日本人はセットプレーからか、典型的な型にはまらないと点が取れないのに対して、欧米チームが流れの中から臨機応変に点を取れるとの違いと同じだ。

この日本人の行動は、壊れた本能から派生するものである。もし、人間に正常に作動する本能があるのであれば、日本人と欧米人との反応の違いなど生じない。みんな同じ行為をするはずだ。
わかりやすいのは魚である。一日の中でも場所を変え、水深を変えて、その時の水温・陽射しに対応している。これが本能である。本能は学習して身に付くものではない。元々その種のDNAに組み込まれているかのように、ある現象に対しての行動をDNAに従って反応する。誰かに教えられなくとも、生物は天敵を知っている。そして天敵に出会うと闘争か逃走の反応を示す。

よく車に轢かれる猫を馬鹿だという人がいる。車が近付いているのに、じっと車を見て逃げずに轢かれてしまうということについてだ。だが、考えてみよう。猫という、もう何百万年・何千万年生きているかもしれない生物にとって、ここ何十年で普及した車などは、「エッ!今の何?」という程度の対応しかしていない物体なのだ。おそらく猫のDNAには車を認識する機能はないはずである。だから、これは何だ、とじっと見てしまうのである。そして直前まで車が来てから、「何かわからないけど、とにかく危なそうだから逃げよう」とトコトコと反対側の歩道に向かうのである。

このように、一般的な動物は本能に従って生きているのだ。ところが人間は本能が壊れている。違う例をあげよう。知床半島に熊が出没することがよくあるが、ヒグマを発見しても本州から来た観光客は逃げるどころか、近付いていこうとすることがある。私たち北海道民であれば、今まで人伝えで聞いたヒグマの恐ろしさを知っているため、大抵の場合は逃走を選ぶ。だが、これも本能ではない。人の話を聞いて、想像力を働かし、危険度合いを判断しているからこその逃走なのだ。本州の観光客はFightもEscapeも選ばず、ただ観賞しているだけだ。これが本能が壊れていると言わずして何ということか。

よく性的な表現で、本能のおもむくままに女性を襲ったとかという言葉を使うことがある。これももちろん間違いである。もし、人間が本能のままに性行為をするのであれば、時期が来たら街中で所かまわずあちこちで性行為が行われているはずである。ところが、皆さんもご周知のように、人間は24時間春夏秋冬いつでもその気になれば性行為を行う。これも本能が壊れている大きな証拠だ。

本能がなくなったのではない。本能が壊れているのだ。その壊れた本能を補うために人間は思考する。それとも思考するようになったから本能が壊れたのか。どっちが先かはわからないが、この人間の持つ知恵は、人間に驕りを与えた。自然界とは無関係に自分たちの世界を構築して生きて行けるのだという大いなる幻想を持つようになった。
だが、驕りは驕りである。今回の原発事故でそのことを学んだはずである。

さて、何でこのような話題を取り上げたかと言うと、本日風邪を引いて早めに帰宅することを選んだことは、できるだけ本能に従ったからであると思ったからだ。そういう言い訳で、とにかくもう眠ることにする。


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現在は個人住宅の旧函館無尽。

この建物は、旧北洋相互銀行や旧函館無尽として紹介されることが多い。函館市景観形成指定建築物である。ところが、銀行の変遷を調べると、さながらバブル崩壊後の銀行再編を思わせるような歴史を知ることができる。

まず、「無尽」という言葉を知らない方のために、簡単に説明を。無尽はの発祥は遠く鎌倉時代に遡ると言われている。有志が金を出し合い、相互扶助という形で集まった金の中から融通していたのが始まりとされている。それが、江戸時代には大衆金融機関のひとつとなり、明治に移ると営利を目的としたものとなっていった。そのため、無尽は会社組織となって、函館無尽は後ろに株式会社が付いた名称となっていた。

以上が簡単な無尽の説明だが、函館無尽の前身は大正貯金株式会社という名称で大正2年にスタートしている。大正5年に函館無尽株式会社と改称され昭和15年までその名称で営業されていた。この建物は大正12年築であるので、その当時の銀行名で「旧函館無尽」と称されるのは間違いではない。だが、北洋相互銀行となるまでの変遷がすごい。

昭和15年に拓殖無尽株式会社を合併し、同名称となるが、すぐさま昭和19年には小樽無尽と合併。他の5無尽と併せて北洋無尽株式会社となった。その後、戦後の銀行法の改正により、昭和26年に北洋相互銀行株式会社となり、平成元年に北洋銀行となったわけだ。

そして注目したいのは、この建物の上部にあるモルタルか何かで消したと思われる、銀行名の最後がいったい何だったのかというところだ。字数からいったら北洋相互銀行ではないことは確かだ。では何だったのか?それを想像してみるのも、建物を見る上での楽しみのひとつである。



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夏を知りたくなったら、私は立待岬に向かう。
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海と関わっている人たちの男臭さを知りたくなったら、私は西埠頭へ向かう。


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*コメントをいただいた方々へ。明日必ずコメントさせていただきます。どうかご了承ください。


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元町のある小路の風景。こんなに綺麗に花で飾られており、人々はひっそりと自分たちの生活を楽しんでいる。
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小路からは函館山が建物の隙間から垣間見ることになる。石垣も相当古いが、長年居住者の日々の暮らしを守っている。
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日和坂。道路の向こうは末広町だが、ご覧の通り坂の中ほどは全く見えない。この急な坂を、明治時代から人々は登って自分の家に向かった。
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右の建物は昔銭湯だった。元町もちょっと外れると、庶民の街だ。



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「本日は予定を変更して、緊急特番として、ここ函館は観光客で賑わっていない二十間坂上から皆様にお届けします。ゲスト解説者として、この女神にお詳しい事情通様をお迎えしております。事情通さん、よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

「いやぁ、ビックリしましたね。実は市内に住むある方から当テレビ局に通報がありまして、二十間坂の女神様に異変があるとのことで、早速番組スタッフが確認しましたところ、その異変が確かにあったとのことで、こうして緊急特番として報道することになったのですが、皆さんご覧になってわかりますか?女神様の左手に持っている、本来は聖書のはずですが、どう見てもビデオテープのケースのようなものに丸く赤いものが描かれています。これは何なのか、カメラさんアップしてください」

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「ご覧できたでしょうか?何と、赤い丸の中には、がんばれ東北!、ガンバレ函館!、頑張れ日本!と書かれています。これはいったいどういうことなのでしょうか?事情通さん、解説をお願いします」

「いやぁ、実は女神様のご主人さんが、今回の東北の大震災で被害に遭われた方々に何かをしたいと、あちこちに、何をやればいいのだろうと相談したみたいなんですね。で、ある人が、お宅蟹屋なんだから、市内に避難している被災者に蟹を無料でご馳走したらどうかと提言したら、早速それをやったらしいんですね。もちろん、もらった被災者の人たちは大喜びで食べたそうですが、誰も報道してくれていない」

「えっ、そうしたら当番組のスクープになるんですね」

「まぁ、スクープというほどのことではありませんが、きっとご本人は報道されなくて地団駄を踏んだのではないでしょうか」

「なるほど、ご主人さんらしいパフォーマンスですね」

「そんな時に、ある情報で、被害に遭った石巻市街地で、周りが津波で建物が持って行かれた中で、この女神様の親戚にあたるのかどうかわかりませんが、似たような姿をした女神様だけが残ったとのことなんですよ。それを見た一部の石巻市民からは、復興のシンボルになると崇められているそうなんです」

「つまり、東北の震災で女神様のありがたみが広く知れ渡ったということなんですね」

「そうですね。そのような経過から、ご主人さんは、東北に対する思いが強くなったのではないかと想像できるわけです」

「なるほど、ご主人さんは人の善意に目覚めたということなんですね」

「さて、どうでしょう。実は、これも報道されていないのですが、先週市の都市建設部から、撤去勧告を受けているのですが、それに対して無反応のままらしいのです。勧告書を受け取ったことは受け取ったのですが、まぁ、裁判所の撤去命令ではないですからね、単なる紙切れと言ってしまえばそれまでなんですが」

「そうなんですか、うーん、真意がよくわからないですね。つまり、被災者を助けようとする公共心があるのであれば、この像だって・・・・・。あっ、そうだ。像と言えば、店内の入口附近にこんな像が」

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みなさん見えますでしょうか?ちょっとわかりづらいですね。カメラさんアップしてください。
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「おぉー、何と今度は大仏様がここに!これはどういう意味があるのでしょうか。女神の次は大仏。・・・・・テレビをご覧のみなさま。もう、私の分析力・想像力ではこの事態を説明することはできません。いったいこれはどういうことなんでしょうか、事情通さん」

「いやぁー、さすがにこれは私も面食らっています。強いて言えば、函館は和洋折衷の文化の街であるのだから、東洋と西洋が一緒になってもいいのではないかというメッセージなのか、やけくそになっているのか、ここまできたらさっぱりわかりません」

「事情通さん、市内には動く大仏さんが確かいたように記憶しているのですが、そちらとの軋轢などは生じないでしょうかね」

「それは大丈夫だと思います。動く大仏さんはそんな無駄な争いを好む仏ではありませんから」

「そうですか。それはひとまず安心ですね。それにしても、ますます混迷を深めていく二十間坂の変貌を、事情通さんをゲストにお招きしてお伝えしました。実況は報道部イカールが担当しました。それでは人通りがない二十間坂からサヨウナラ」

(オフレコ)「ちぇっ、函館だったら蟹よりイカを大切にしろよ」


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相馬㈱社屋。

もうほとんどの方は忘れているだろうが、昨年10月に「精神的相対性理論(1)」として私が自分で勝手に作った理論の序章のような形で記事にして連載を開始した。だが、(2)はまだ執筆していない。
今となっては言い訳以外の何物でもないが、(2)以降はほぼ毎日連載していきたいと考えていたのだが、そのようなまとまった時間と文章構成がすぐできなかったため、本ブログにおいて公開できなかった。

だが、私の頭の中には常にいつどのような構成で執筆しようかとアイディアを巡らせていた。ところが、これは普段の題材のようにお気楽に書けるものではない。小説で言うと、一度全5巻くらいになるようなストーリー構成を考えて、それを1巻に凝縮するような作業が必要となる。理論を書くというのはそんなものだと理解している。その凝縮作業がまとまらずに続きをなかなか書けないでいる。

さて、話はがらりと変わるが、この理論に至る開始点となったのはフロイトからだと前回に記した。それは間違いない。フロイトを知った20歳当時私は訳のわからないことで悩んでいた。最初は小さなことで(若かった当時は、それでも大きなことだったが)悩んでいたが、そのようなものが幾つか発生して重なると、何について悩んでいるのか自分でも全くわからなくなってしまった。
ただ、全身がだるく、気持ちを高揚させて活発に動かせようとしても、体が全然動かなくなってしまっていた。人から見ると、やる気のないだらしない若者に思えただろう。今自分がその時の自分を見たら、何だこいつと思うに違いない。
しかし、その程度のうちはまだ良い方だった。そのうち、しっかり睡眠をとって起床しても、たった3時間すると体がしんどくなり、布団に入って寝てしまうようになってしまっていた。普通に考えると鬱状態だったと思われるかもしれないが、精神医学的に分類している鬱とは異なっていた。交際範囲は狭いにせよ、人と会うのも苦ではなかったし、人と話をするのも楽しかった。だが、得体の知れない大きな力で体を圧迫されている感覚は常にあった。

出口のない洞窟に迷い込んでしまったようなものだった。そんな時、フロイトを知り、何かのきっかけを掴んだ。そして、次に出会ったのが、岸田秀氏の「ものぐさ精神分析」であった。この書はとても明瞭に物事の裏の成り立ちを解説してくれた。
我々が正義だとか常識だとか良識だとかと思って行っている行為は、全て幻想が起因となっていると教えてくれた。
例えば、親が自分の子供に対して、自由に育って欲しいと願い、そのように育てたとする。普通これは育児論という方法論として我々は理解し、その是非を考える。そして、その考えで子供が自由に育っていると見えたら、親は自分の考えは間違っていなかったと満足する。
ところが岸田氏はこれも幻想だと一刀両断する。子供は親がいなければ何もできない無能な生物である。これは事実だ。1歳児が親から独立して、立派に働き生活しているという話を聞いたことがない。無能な子供は親を頼るしか生きていく他に術はない。だから、親に気に入られようと努力する。親が子供に対して「自由に生きている」という姿を望んでいるのなら、親が喜ぶ「自由に生きている」と思われている行為を自らに課し、それを実行しようとする。
つまり、子供からすると、自分が「自由に生きている」ように行動をすると、最も大切な親からの育児支援を受けられるから、義務的・強迫的にそれを実行しているに過ぎないのだ。ところが、親はそれを見て、自由に育ってくれたと勘違いをして、育児方法として正しかったという幻想を持つことになる。この論理は、親側から見た甚だ勝手な一方的なものであり、幻想でしかない。だが、これを幻想であるという見方で論じなかったら、育児論として片付けられているであろう。

このような展開の論旨が、その書には詰っていた。爽快な気分になった。狭い範囲の判断基準の中でもがいて考える必要がなくなった。そこには善も悪もなく、正解も不正解もなかった。物事は相対的に存在しているという概念で考えると何もかもがすっきりとした。
水は100度になると気化する。それが善だとか悪だとか誰も言わない。ただそれだけの現象だ。人間の精神も同じように、このような状態になったら、あんな行為やこんな行為を起こしてしまう、それは100度になったから気化したのと同じように必然的に起きる現象なのだ。岸田氏はそんな具合に明快な説明を、誰にでもわかるように簡単な表現で述べた。

この氏の説を自分なりに、物事の相対性という観点から様々な解析をしたのが「精神的相対性理論」であった。

恐らくこの考え方は物凄い反論か無視される可能性が高いと思っている。善と悪、快楽と苦痛、明と暗などを基軸に考え、それを自分の自我にしていると、排除したくなる論理となるであろう。だが、先程も述べたように、水が100度になったら気化するというのと同じ観点から説明するものであると信じている。
まぁ、気化する温度を100度としたのも、氷になってしまう温度を0度としたのも、人間の恣意的・便宜的理由によるものだから、それすらも絶対的なものではないのだが・・・。

その考えがどんなものなのか、それは必ずこのブログでに書き留めるつもりでいる。それを書くまではこのブログはやめることができないと思っている。


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八幡町の一角。

今月初め、久し振りに登場させてあげたら、図に乗ってまた出たいと昭和のおやじが言い始めました。ですが、今回は何が何でも阻止しようと思います。本ブログをこれ以上荒らされては・・・うっ!痛い!・・・・・・・やられた。

「へっへっへっ、馬鹿な奴よ。どんなにいいこと言っても、こんなひ弱な奴は一発ぶん殴ったらお仕舞いよ。口だけで体力なんか全然ねぇんだから。おめぇも桜と同じよ。ちょっと強い風が吹いたらすぐ散りやがる。おっと、今回は奴が寝てしまったからゆっくり話せるな。おれは話がしたいだけだ。ちょっと握った手がぶつかったら、すぐ寝る奴とは違う。真面目に話がしたいたけでぇ」

「いやぁ、何だな。最近のわけぇもんが聴く音楽っちゅうもんは、一体どうなっていやがるんだ、えっ?何訊いてもみんな同じに聴こえる。娘がよ、ビー玉だかビーズだかという男達の音楽聴いていたけど、何時間も同じCD聴いているのかと思って、娘に、おい、いつまでおんなじの聴くんだと怒鳴ってやったら、うるせぇおやじ、3枚目だと怒鳴り返されちまいやがった。おれも頭に来たから、何枚聴いても同じだから1枚だけ持って、あとはうっぱらいやがれって言ったら、家出して3日も帰って来なかった。へっ、不良少女になっちまいやがったもんよ。親がこんなに優しい人間なのに」

「若い女の歌手だって同じようなもんだ。息子がテレビで必死こいて観ていやがったが、いつまで経っても歌手が変わんねぇと思って、チラッとテレビを見ると、さっきと違う女が歌ってるじゃねぇか。いやぁ、びっくらこいた。人が変わっても歌は変わんねぇんだもな。似たような声で似たような歌い方して、そりゃあおれだって区別つかねえわ」

「これは何でだ、と思って音楽関係者に訊いてみた。何?おれは音楽という柄じゃねぇって。馬鹿にするんじゃねぇ。これでも田舎でやったNHKのど自慢大会に出たことがあるんだぞ。歌は完璧だった。だがな、鐘を鳴らす奴が2つ鳴らしたところで脳溢血でぶっ倒れやがって、結局失格よ。それで歌手になれなかった。親戚中から一族始まって以来の不幸だと言われたくらいだ。そんな昔のことはどうでもいい。まぁ、そこで作曲家の先生と知り合いになったわけだ。その先生から色々聞いたんだな、これが」

「そしたらな、今流行るのは、カラオケで歌える歌なんだと。あんまり歌うのが難しいとCDが売れないらしいんだな、先生が言うには。だから作曲するのも大変だってよ。いいメロデーができたと思っても、カラオケで歌えないようなものだったら、わざわざ作り変えるらしいんだな。で、結局にたようなメロデーになっちまうわけよ。何でかって?今の子供たちはカラオケで歌える曲がないと困るからに決まってるべや。CD買うのはカラオケの練習みてえもんらしいんだな」

「カラオケだって馬鹿にできねぇらしい。何といっても金になる。知ってるか、だいぶ昔たった1曲だけヒットを出した苫小牧出身の歌手に、1ヶ月200万円も入ってるんだとよ。ほとんどカラオケの印税だっちゅう話だ。おい息子よ、何かいい曲作れ。それが親孝行ってもんだ」

「だがな、やっぱり金だけじゃねえ。音楽は味のあるもんじゃなきゃだめだ。とーしろが歌えなくたっていいんだ。本人しか歌えない歌、それがプロってぇもんよ。名曲はな、プロが作るもんだ。そして、本当の歌のプロはどんな種類の歌も歌える。そんな歌手が日本にもいたじゃねぇか。美空ひばりだ。あれは本当に上手い歌手だ。横文字の歌手でいうとな、ビートルズだ。奴らは音楽の全部をやっている。全部だぞ、全部。どの曲聴いてもおんなじにはなっていねぇ。わかったか、えぃ。これでも聴いて耳を肥えらせてみろってぇんだ」




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幸坂の桜。あれっ、どこかで見たことがあると思った方、よく見るとちょっと違います。この写真は初公開です。(違いを見つけたからといって、何の意味もないが)

私は恐らく一般の方々よりも桜を好んでいないと思う。昔は桜を見ても何とも思わなかった。普通に咲く花と同様に、季節になれば咲く花のひとつだった。
特に、集団で咲いている桜を見ると、何のありがたみも感じなかった。これはひとつのショーにしか過ぎない。そう感じていた。だから、今でも五稜郭公園や函館公園や桜ヶ丘通りの桜を撮影していない。
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旧函館市立病院跡地の桜。

好きな花は何か、と訊かれたら、野花と答えるだろう。山や野原を歩いて、ふと見つけた花の方が、人為的に花壇に植えられた花よりも数倍も綺麗だと思っていた。それと同じ理屈で、公園にあるような桜には魅力を感じなかった。
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亀田川沿いの桜。高盛町にて昨年5月撮影。

だが、最近はそれほど気にならなくなってきた。なぜなら、人間には祭が必要だからだ。普段質素に生活をしている者にとって、祭は重要な熱狂的な息抜きになるからだ。その時は大いに騒いでもあまり咎められない。
だから、非日常的に一斉に多数咲く桜の折り重なる風景は、春の祭なのだと理解するようになった。
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見晴公園の桜。昨年5月撮影。

しかし、私は毎日が祭であってもいいのではないかと思っている人間であるため、これら写真のように、ポツンと控えめに咲いている桜の方が美しく見えてくる。
だが、毎日が祭であれば、散財が絶えない。だから、何かあったと時、つまり祭の時はまとまって金を使うだけの余力がなくなってしまうのだ。

そう考えると、やっぱり公園の桜の方がいいのだろう。自滅型の記事となってしまった。



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