<   2011年 09月 ( 23 )   > この月の画像一覧

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はこだて工芸舎の階段踊り場のステンドグラス窓。


元町は、小さな頃、ちょっと風景の違った遊び場だった。

大きな家が並び、賑やかな下町とは違い閑静な空間を有していた。

同級生がある場所で言った。「相馬哲平は名誉市民になって、税金払わなくてもいい人だったんだぞ」

何を言っているのか、その時はわからなかったが、きっと親から教えてもらったのだろう。

函館の歴史の中で遊んでいた。

丸井今井の今井家も元町に住んでいたとか。これも本当かどうか。

だが、歴史上の要人が身近に感じるのは、元町が遊び場だったからなのだろう。

古い匂いのする重厚な建物に入った時、その素晴しさより先に、懐かしさを感じる。

どうしてなのだろうか?

子供にとっては、貴重な建物ではなく、あくまで〇〇君の家なのだ。

私にとって、元町の古い建物を見続けることは、ちょっとのかび臭さと、爽やかな光と風を甦えさせる魔法のおまじないなのだ。



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髙島屋珈琲銀座通り店にて。写真右側の方は高速で動いているわけではありません。

まだ先のことですが、とても心がウキウキしてしまうことを、いずれお知らせすることができそうです。

ひとつは来年のこと。私が関与している会で、来月の今頃にはその概要の発表を既に終えていることでしょう。その催しは、以前に一度行ったものの第2回目なのですが、今回は面白さが倍増しそうな内容になっております。
もちろん、今は話せませんが、詳細を知ると「面白い!」と思わず唸ってしまうものになると期待していますし、また、実際にそのようになるように今後も努力をしていかなければならないのですが、ともかく、次第に形が固まって来るに従って、関わっている者も楽しくなってしまうものであります。

もうひとつ、これはもう少し時間がかかってしまうかもしれませんが、とてもファンタジーに満ちた構想です。ですが、新しい世代が育っていくためには、大人として考えなければならないことのひとつを実際に考えて行こう、というものです。
以前、ツイッターでこんな内容のツイートを読んだことがあります。若い方のツイートでした。
「子供の頃はお金がなくても遊びを創ったり見つけて遊んでいた。大人になってから、金のかかる遊びしかできなくなった自分は能力がなくなったのだ」
私もそんなことを考えたことがあります。子供は遊びを見つけることのできる天才です。その天才のお手伝いをしようというのが、もうひとつの計画であります。これはまだ構想段階ですが、その発案者とともに実現に向かって考えて行きたいと決意しています。

はっきり言って、けっこうしんどいです。ですが、きっとそれらが将来の函館にとって、有意義なものになるだろうと信じ、やってみるのみです。
今は中途半端な話しかできないことを、どうかお許しください。


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8月はポートレート写真に挑戦した月だった。正直言って難しいと思った。でも、第一歩から始めなければ先はない。

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8月は、普通の風景写真を撮影する時間がほとんどなかった。そんな短時間の撮影散歩の中でも、それなりのものを撮れたのではないかと思っている。時間がないのは今月もそうだ。
この写真は、現在行われている写真展で展示しており、また、みかづき工房でポストカードとして販売しています。

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白黒で女性を撮影する。ずっとやってみたかったもののひとつだった。

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大町で見つけた海面。これも写真展展示とみかづき工房での販売をしております。

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入舟漁港。結局8月は海と女性しか撮っていなかったことになる。


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石川久美子作。はこだて工芸舎にて。

眉唾物と聞いて、私がすぐ思い出すのは不動産のブローカーである。これは職業柄すぐ思いつくものであるため、一般の方には名前は聞いても、実際にお目にかかったことはほとんどないだろう。私も、函館では最近お目にかかっていないが(会わないようにしているせいもあるが)、札幌では何度か会って話をしたことがある。

当時、私が取り扱っていた物件が札幌市の中央区などの高額なものが多かったため、そのような話は犬も歩けば棒に当たるような確率で、どこかで登場してしまう。会う場所はなぜか札幌グランドホテルかプリンスホテルのラウンジが多い。ホテルニューオータニを指定されたことはない。
会うと、だいたいのブローカーは、まず自分の自慢話から始める。札幌でも、有名なビルの用地取引に関わっただとか、札幌ドームの建設に関わっただとか(札幌ドームのある場所は私有地ではないし、設計・建設とも落札式であったため、どう関わったのか不明)、しまいには東京ドーム建設にも関与したという始末である。話が大きくなるほど、こちらはしらけてくる。いわゆる眉唾物の人間という判断をせざるを得なくなってくる。

このような怪しい人間ほど、でかい話をしてこちらの感覚を麻痺させようと企てるが、こっちも今不動産業務を始めたばかりの人間ではない。底の浅さはおのずと見えてしまうのだ。
ところが困ったことに、たまには信憑性の高い話を持ってくることがあるのだ。具体的な概要もそこそこ捉えており、ひょっとしたら繋がる話ではないかと思ってしまうことがある。そこで、関係者に会わせてくれと頼み、セッティングを取ってもらったことがある。そして約束したところに行くと、ちゃんとした会社の担当者が現れてくる。ここまでは、この人もなかなかと思うのだが、その時点までの豪語していた態度とは一転して、話の全てをこちらに任せて本人は黙り込むのだ。こっちとしては、話を繋げてもらっていると思っているから、突然振られて困惑してしまう。いい話があるからと訪れた私が、相手からすると、私が頼み込んで伺ったような形になってしまっているのだ。
当然、それでは話がかみ合わなくなる。結局実のある話もできず、これもご縁ですから何かあったらよろしく、で終わってしまう。

まぁ、こんなことが何度かあった。ところが、本当に大きな案件をまとめる大物ブローカーと一度だけ会ったことがある。その人は、前述のような自慢話は一切しなかった。必要以外の話はせず、じっとこちらの様子を観察していた。なるほど、こちらの方が確かに信憑性はある。

ちなみに、日本では不動産ブローカーというのは、宅建業者免許を持たずに話を繋げるだけで報酬を得ようとする者のことを指す。情報が不可欠な業界においては必要悪のような存在だ。報酬は「謝礼」や「コンサルティング料」という名目で支払われる。
ところが、アメリカでは弁護士と並ぶほどの社会的な地位を持った立派な職業である。当然資格も必要だ。アメリカに行って不動産ブローカーを馬鹿にしたらとんでもないことになる。

もうひとつの眉唾物。それは経営コンサルティングや経営者向けの講演を行っている者たちだ。こちらの方が一般的には身近であろう。
なぜ眉唾物と呼ぶのか。答は単純だ。そんなに立派な経営理論や経営哲学を持っている人間であれば、どうして会社経営で日本有数の企業となっていないのか?ということである。そんなに素晴しいノウハウを持っているのなら、自分で実践して会社を大きくした方がずっといいはずなのに、なぜかそれをやらない。ただ、まるで自分は経営の全てを知っているが如く上から目線で話すだけだ。

これまた眉唾物である。ビジネスマンであれば誰もがこのようなセミナーや講演を聴いたことがあるだろう。私は話半分くらいにしか聴かないようにしている。そもそもこの手のイベントには自らの意思では行くことはない。たいてい会社の「業務の一環」という形で拝聴している。
繰り返すが、そのようなご高説をお持ちであれば、自ら実践して大企業を作ってみてほしいのだ。だが、そのような企業を育てることができる人は、講演で歩く暇があったら、自分の会社のことを考えている。たまに、どうしても義理を果たすために頼まれた講演を引き受けるのが関の山だ。

では、どうしてそのようなものがなくならないのか?それは、それらのものでただひとつだけ参考になることが大きな要因となっている。それは、講演者は大抵話し方が上手い、ということだ。その話を、金儲けを狙っている者が聴くと胸に響いて聞こえてしまうのだろう。
書物などでも「私はこうして会社を急成長させた」みたいなものは、冷静に読むと?という内容も多々あるのだが、野心がある者が読むと、バイブルのように感じられてしまう。そのような本を書いて、現在も第一線で活躍している企業は恐ろしく少ないはずだ。

結局、それなりの成果を残す者は、謙虚にして語らず、常に己を見直し続けているものだと思う。


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宝来町に移転した、ベリー・ベリー・ビースト。

本日、しばらくお話をしていなかった方、お二人からコンタクトがあった。
一人は2年前にお話してから、しばらく接触のなかった方だが、先方は本ブログなどをご覧になっていただき、私を気にかけていただいていたようだ。私も、時折、そう言えばその方は今どうしているだろうかな、と思うことがあった。
ところが、本日鍵コメントで言葉をお寄せいただき、変わらぬひたむきさを感じさせてくれた。とても、嬉しい。私のことを覚えてくれていただけではなく、話をしたいとまで仰ってくれた。もちろん2つ返事でOKだ。物事を純粋に考え、実現に向けて懸命に考えている方とお話ができるということは、ありがたい幸せだ。何とか時間を作ってお会いしたいと思っている。

もう一人は、過去に勤務していた会社の上司であった。電話で、その会社が業務拡張をするために人材が必要だということで、一緒に新規支店で働かないか、という内容のことを話された。こちらもある意味ありがたかった。新規支店は本州の未開拓の地であるため、現地採用して一から育てるのにも手間がかかるし、また、その時間ももったいないのだろう。会社のやり方を知っていて、すぐ営業活動に移れる人材が欲しかったのだろう。
声をかけてもらうのは大変名誉だが、こちらの方はお断りした。理由はただひとつ。私はずっと函館に住み続けることを決めているからだ。給料は現在よりはるかにいい。その仕事をやれば、妻を働かさなくて済む。私だけの給料で食べていけるだろう。金だけを考えたら、そっちの方がいいに決まっている。ましてスカウトされたのだから、気分も悪いはずもない。

だが、それでも私は函館に住み続けることを選んでしまった。意地になっているわけでもない。

今、私は函館の中で静かに動いている。こんなにブログであーでもないこーでもないと騒いでいるのに、静かにとはどういうことだと思われるかもしれないが、違った見方をすれば、所詮ブログだけである。最終的に必要なのは具体的な行動であるはずだ。
実現できるかどうかは別として、自分のやりたい事柄の最初の開始点を探って静かに動いている。まだしばらくはそれが続くであろう。それまでは、ひたむきで純な思いを持つ方と少しでも多く会い、話したい。そういう方との会話は、金には代えられない生きる上での貴重なヒントとなるはずだからだ。


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写真展の模様。

9月15日から開催しております、「函館ストリートカメラマン 函館写真」写真展も早や10日が経過しました。ハコダテ150+スタッフ仲間を始め、ツイッターつながりの方、ブログを読んでいただいている方、フライヤーをご覧になっていただいた方などに足を運んでいただき、誠にありがとうございます。

本来であれば、できるだけ現地に滞在し、ご覧いただいた方にお礼申し上げるのが礼儀であるのですが、サラリーマンゆえにそのような時間も多く取れず、失礼させていただいております。来週の木曜日は時間の許せる限り現地にいたいと思っておりますので、(と言っても撮影しなければならないものがあるため、出入りしてしまいますが)どうぞお気軽にお声をかけてください。
胡散臭いオヤジが、展示会場の近くにいたら、それが私ですので(笑)

実際にご覧になっていただいた方で、ツイッターや本ブログで「行ってきたよ」と教えていただき、どれだけの方が実際にご覧になっていただいているのかわからない不安を解消してもらえました。本当にありがとうございました。
また、本日開催中の告知のツイートをしましたら、早速リツイートしていただいた、hizikatahukutyoさん、lapisさん、claynoteさんには大変感謝いたします。また、本日の私のツイートで、お忙しい中、実際に会場に足を運んでいただいた逢坂誠二衆議院議員、ありがとうございました。帰省中にわざわざご覧いただいたtoroさん、いつも気にかけていただいているayrtonさん、kinbouさん、開始早々に行っていただいた函館のヨッシーさん、lapisさん、ありがとうございました。そして、きっと行っていただいているのに語らず、陰ながら応援していただいている方々、本当にありがとうございます。

どうか、ご覧なったら、ツイッターか本ブログのコメント欄にて、「あまりうるさく言うから、仕方なく見に行った」でも大歓迎です、一言お入れいただければこの上ない喜びです。できれば全員にお礼申し上げたい気持ちでおりますので、どうか一言お願いいたします。

写真展は、来週の水曜日(9/28)の青年センター休館日を挟み、10/4まで開催しております。なお、最終日はセンターの都合により、夕方に撤去が始まるということですので、どうかお間違えのないようにお願い致します。

会場等の詳細は⇒こちら


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昨日、大門の老舗ピザ店「アリタリア」の閉店の記事をハコダテ150+に投稿した。トップ記事にならなかったにも拘らず、かなりの数の方にその記事を読んでいただいた。ツイッターでも多くの方が閉店に関してツイートをした。
その中のひつとに、アリタリアは日本で3番目に開店したピザ屋さんだったというものがあった。函館で一番古いのは当然だと思っていたが、日本で3番目の古さとは知らなかった。その真偽を確かめるデータは見当たらないが、店主の弟さんの話だということなので、全くのでたらめでもなさそうだ。また、そうであっても全然おかしくはないほどの歴史を持っている。

そんな知らなかった話などを知った本日であったが、実は、閉店の事実を知った昨日より今日の方が大きな喪失感に襲われたのだった。なぜなのかはわからない。
ただ、心の状態としては、3.11の時に似ていた。時間が経てば経つほど心が苦しくなってくる。そして、決して元に戻らない喪失感を覚えた。

思えば、函館に戻ってきて2年、何度も喪失感を味わなければならなかった。弥生小学校に始まり、西部地区の数々の建物、そして今回のような名店の閉店・・・・・。まるで喪失感で叩きのめされるために戻って来たのかと思ってしまうほどだ。
これらは、ボディブローのようにじわじわと心を痛めつけられ、時よりハードなパンチをもらう。自分にとっての函館がどんどん崩れていく。だが、街はそんなことがなかったかのように、連日のようにイベントが行われ、お祭の如く騒いでいる。

だが、そう感じるのは、例えば、近親者が亡くなって哀しみに打ちひしがれている時に、関係のない周りの人間が楽しそうに生活を送っているのに違和感を覚えるのと同じような、個人的な感情なのだと理解しようとする自分がいる。そう、きっとそれは自分だけの感傷的なものなのだと。
しかし、そんな理性とは裏腹に、函館の文化を創ってきたものが無くなってしまうのに、みんな平気なのか、という疑問も持ってしまう自分もいる。建物や店が無くなるだけではないのだ。文化も喪失しているのだ、ということをどれだけの人が認識しているのだろうか?

きっとそれも独りよがりのマイナス思考的な悲哀なのかもしれない。数々のイベントから新たな函館の文化が生まれているのかもしれない。だいたいそんなことを言っている自分も、写真展を開催しているではないか。または、何かが生まれる必要性なんか考えなくてもいいのではないか、ただ楽しいのが、何がいけないのだ?頭の中を色々な考え方が右往左往する。そう、それは後になってみなければわからないことなのかもしれない。

きっとそうなのだ。ただ自分の感情だけの問題なのだ。
しかし、その喪失感を埋めてくれるものは、きっと、地震のように、普段は地下深くで人知れずにゆっくり動いて、ある時に大きな力で出現するものなのかもしれない。それが何なのかは誰もわからない。


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ギタリスト。

私は昨日で満53歳となった。もうすっかり50代に浸かっているような気分だ。実際、50代になってからめっきり体力が衰え、疲労回復に要する時間が長くなった。きちんと何日か続けて早く寝ないと、疲労は1ヶ月続くこともある。この夏も疲労で何日かブログを休んだ。それも元を辿ると、5月の連休中の連続勤務からずっと続いていた疲労だった。
まぁ、疲れていてもこんな風に夜遅くにブログを書いているのだから、自業自得と言えばその通りなのだが、なぜか止めるわけにはいかない。ブログランキングに参加しているが、もうずっと前から順位は気にしていない。もし気にしていれば何日もブログを休止することは決してなかった。這ってでもずってでも何かを書いていただろう。そのことは後日改めてご説明するが、ともかく何かをやらないではいられないのだ。

こんなに体力の衰えた50代になってから、どうしてと自分でも思う。このブログだけではない。ハコダテ150+とはこぶらにも時折記事を書く。はこぶらでは取材は必須だ。休日を利用して取材することは日常茶飯事。その他にも来年開催される第2回ハコトリの実行委員会にも所属して活動している。こちらも関わりが長くなって来ると、ますます面白くなって来た。来年はきっと素晴しいものを皆様にお見せできるであろう。
これらは全て自分が好きでやっていることだ。どれも嫌であれば自由に拒否できるものだ。

60代のある人がこう言った。「私は50になってから、人生で一番活動的になった」私もその通りである。「ちょうど子供を自立させて自由になるし、世の中のこともある程度判ってきたので迷わずに行動できる」と、その人は続けた。
私には子供がいないため、自立させたという時間経過の経験はないが、確かに歳を重ねると何となくわかってくることが多くなっている。だから具体的に動き始めたのではないだろうかと思う。

これは私やその方だけのことではないと思う。世の中のどなたにでも当てはまることではないだろうか。だからこそ、50代にはやらなくてはならない役目があると思う。
体力が衰えたと言っても、老人のような動きではない。まだ普通に動くことは充分出来る。何かの活動は可能だ。それも、半世紀以上生きて来た人間でなければできないことをやれる、最も若い年代なのだ。

では、50代の役目とはなんだろうか?最も大事なものは、若い世代と一緒になって動き、若者がその才能を発揮できるように環境を整えてあげることだ。何だそんなこと、60代以上でもできるのではないか、と思われる方もいるだろう。だが、大抵の60代の方は退職して若者と接する機会が少なくなってしまうことが多い。「一緒になって」という場面を作れる可能性が低くなるし、それこそ体力的・見識的にもスタンスを作りづらくなってしまうかもしれない。
その点、まだ50代は「オヤジ」「オバサン」と言われながらも、まだ若者の身近で行動を共に出来る可能性がある。

先日、ある若き画家から新たな作風で創った絵を見せてもらった。実物ではなく写真だったが、本当に新たなチャレンジであった。本人はそれがどう見られるか、不安そうだった。はっきり言って素晴しいと諸手を挙げて褒められるものではなかった。だが、試みとしては面白かった。それまでの自分の殻を破ろうとしているのは確かだった。
だから、その作品の欠点を羅列することをせずに、「この流れであと2~3作描いてみて。それができたら取材させてちょうだい。写真も頑張って撮るから」と話した。彼にはまだまだ限りなく可能性がある。もっと伸びて欲しい。

私には絵画の専門的な知識はない。だから技術的な応援はできない。だが、いい作品はいいと感じることはできる。それがあれば側面からいくらでも応援することができる。何かの場面で、若者では対峙できない中年以上の人間相手でも、年の功で代わりに折衝してあげることもできるかもしれない。何と言っても、年々図々しくなってきているので、若者が気後れする所でもズカズカと乗り込んでいけるかもしれない。

50代には、このような相応しい役目があるはずだ。もう一度言う。50代の人間は、半世紀以上生きた人間の中で最も若い世代なのだ。


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ベイエリアにて。これは失敗作だ。

まず、上の写真について。このように歩いてくる人を撮影する場合、予め予想される到達位置にピントを合わせてじっと待つようにしている。被写体追尾機能がないカメラではそうするしかない。それは上手くいったのだが、自分のイメージでは、この若い女性を、フレームから外れようとしている位置で捕らえたかった。つまり、写真向かって左に体の半分が写るように撮影したかったのだが、シャッターを速く押しすぎて、女性がど真ん中に写ってしまったのだ。
完全に失敗作だ。これでは、単に若い女の子を撮りたかっただけのスケベおやじである。はい、そうです。私は単なるスケベおやじです。

さて、話はがらっと変わって、日常的な会話の中で、よく耳にしたり、あるいは自ら口にしてしまう言葉に「みんな〇〇なのに」だとか、「みんな〇〇しているのに、どうしてあんただけ」というものがあるだろう。

この言葉を聞いた時、あるいは話してしまった時、あなたはこう疑問を持ったことがないだろうか?
「みんなって、具体的にどこの誰のことだろう?」
明確にこの疑問に答えることができる人がいたら、神様のような人か物凄い勘違いに全く気が付いていない人のどちらかであろう。
例えば、誰かが私に「みんなあんたのことをこう言っているよ」と話したとしよう。その時、私は先程の疑問を持つ。一度そう話した人に尋ねたことがある。「みんなって誰?」すると相手は、「何々さんとか何々君とか、その他にもたくさん」と答える。そこで、「たくさんって、全部で何人?」と再び質問をする。すると、言葉に窮するのか「とにかくみんな」と具体的には答えない。私は、「では、あなたはどう思っているの?」と訊いてみる。それでやっと相手は「私もそう思う」と白状をする。これが答だ。

私に対して一番言いたかったのは、本人なのである。だが、自分に確信を持てないから、「みんな」という背景ができなければ言えないのだ。他の者が何を言うか思っているかは別として、自分はどう思うのかを堂々と話せないのだ。
これはいわゆる子供のいじめの心理構造そのものである。自分で自分の考えを堂々と話せずに、人を利用して、自分を守れる環境になったらやっと発言する。いじめを起こす集団の心理構造はこんなものだ。
もし、「みんな」が存在しない段階で、一対一で話したらどうなっていただろうか?きっとそんな会話にはなっておらず、普通の会話で何事もなく終わってしまっているだろう。

では、「みんな」とはどこからどこまでの人なのであろうか?それは恐らく、その人が共有していると思い込んでいる小さな集団のことではないかと思う。違う言い方をすると、交際範囲が狭く、狭い視野の中にいる者ほど、容易に「みんな」という言葉を発するようになるということだ。
世の中を知り、色々な考えや、色々なタイプの人間がいて、そのような人が社会の中で、あるいはその人の人生で息づいているのかを知ってくると、簡単には「みんな」という言葉を使えなくなる。
だから、もしあなたの会社で、「みんな」という言葉が頻繁に出るようであれば、閉塞感で視野が狭くなってしまっている証拠であると考えられる。

もちろん、例えば会議の中で「みんなこうしよう」と言った場合の「みんな」は出席者全員を指すわけだから問題ない。私が、このブログで「みんな」と叫んだら、ブログを読んだ人全員に呼びかけているわけだから、何もおかしくはない。
だが、小さなコミュニティーの中だけにしか目を向けない者が話す「みんな」は、ある意味恐ろしい。数少ない賛同者でも、そのコミュニティーの中で多数を占めたら「正義」になってしまうからだ。

本日で私は満53年間生きていたことになり、54年目に突入した。私にも「みんな」という隠れ蓑を使って人をよく批判した時期があった。今思うと卑小で恥ずかしい自分であった。そこからは何も生まれてこない。ただ卑屈なまでに自分を守ろうとする姿があるだけだった。
それは大人がやるべきことではない。大人になってまでも、小さなコミュニティーだけでの共有意識が世の中の全てと思ってしまうのは、子供の頃から何も変わっていないというのと同じことだ。
私も、53年も生きて来たのだから、少しは成長したいものだ。


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MOSSTREESにて。



この曲は若い方でもご存知だろう。そう、UCCコーヒー・ブラックのCMで流れている曲だ。この曲を最初に聴いた時、単純に「カッコイイ」と思った。ギターが格好良かった。
単純なメロディーである。わかりやすい。だからギターを弾き始めた者たちは、こぞってイントロの部分をコピーして弾いた。少しでもリッチー・ブラックモアになった気分になりたかったためだ。この曲だけではない。「スモーク・オン・ザ・ウォーター」などもコピーした。しかし、ギターソロのパーツになるとみんな挫折していた。やはり、リッチー・ブラックモアにはなれなかった。

この時代は(1960年代からその傾向はあったが)、ギターが主役であった。そして、ギタリストたちは、ただテクニックが優れているだけでは人気が出なかった。ギターのフレーズにメロディーがきちんと備わっていなければならなかった。だから、この時代に著名になったギタリストはメロディーメーカーでもあった。

それゆえに「聴かせてくれる」ギタリストが数多くいた。函館にも優秀なギタリストが埋もれていた。以前に本ブログでもご紹介した「八方亭」両ギタリストはもちろんのこと、70年代にブルースロックバンドとして日本のミュージシャンから高い評価を得ていた、クリエイションのリードギタリスト、竹田和夫氏と一対一のセッションを行ったギタリストのSさんもいた。
竹田和夫氏がセッションを行ったのは、自分の弟がバンドを作ろうとした時、いいギタリストを発掘しメンバーにしたいと、Sさんの噂を聞いてわざわざ函館までやって来たとの経緯があったためだった。セッションでの「テスト」には合格したSさんではあったが、結局家業を継がなければならなかったため、メンバーとなって東京に行くことは断念した。
だが、それほど函館の音楽のレベルは高かった。Sさんは弁天町の人だった。同じくプロにならないかと誘われたギタリストが入舟町にもいた。

話をディープ・パープルに戻そう。当時、ギターを手に入れた高校生たちは必ずと言っていいほど、ディープ・パープルを弾いた。友人の家にギターを持って遊びに行くと、ほとんどそうなった。その中には船見町の某寺院の住職の息子もいた。夜、友人と共に寺に遊びに行ってギターを弾いたが、当時はまだ境内も暗かったため、いくら室内とはいえ、ギターを弾いていないとちょっとした怖さを感じたことを覚えている。

そのディープ・パープルのコンサートの前座を務めながらメジャーデビューしたのが、ウィッシュボーン・アッシュであった。



この曲もコピーを何度も試みたが、結局リードの部分で挫折した。というより、私はリードギタリストとしての才能は全くなかったのだ。
ともかく、この時代はメロディーが溢れていた。インストゥルメンタルで聴かせてくれる音楽がいっぱいあった。なぜか現代ではそれが少なくなったような気がする。個人的には、人間の想像力が弱くなったのではないかと思っている。歌がない音楽を聴く場合、聴く側には演奏から物語を連想される想像力が要求される。それが薄くなったのではないかと思う。だから、「聴かせるギタリスト」も少なくなったのではないだろうか。


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