<   2013年 01月 ( 30 )   > この月の画像一覧

a0158797_22404617.jpg

またもや、大袈裟なタイトルを付けてしまいました。これは何のことかと申しますと、本ブログのアクセス解析に関してのことです。
昨日久々に(本当に半年以上ぶりに)本ブログのアクセス解析を見てみました。すると、アクセス解析を始めた頃からけっこう大きな変化を見つけることができました。

長期間の数字だと大変なので、ここ1か月の解析結果の一部をお話しします。

まず、1月1日から昨日までのPCからの訪問者(単純なその日の新規訪問者数。同一人が1日に2度訪問しても1回しかカウントされません)は、7,491名。
ページビュー数(別名、アクセス数。閲覧された総数のこと。これはPC・スマートフォン・携帯全てがカウントされます)は、25,320。内訳は、PCが15,690、スマートフォンが4,360、携帯5,270となっています。

a0158797_22551374.jpg

さて、アクセス解析で面白いのは、アクセスされた相手方の「組織」という項目。これは、ドメイン別にその組織を判断して解析されるのですが、当然プロバイダーが上位の大部分を占めます。ちなみに、最も多いのがやはりNCVで、2番目はOCN、3番目がGoogleとなっています。
ところが、数は減りますが、ずっと読んでいくと、独自のドメインを作っている組織(企業・団体など)で最初に登場するのが、某全国ネット放送局で、次に登場するのが某有名国立大学でした。

うーん、そういう方々がご覧になっているのか、けっこうこのブログはアカデミックなのかな?(笑)そんなことはないと思っていますが、まぁ、教授や学生が読んでも関心を持てる題材は、たまに書いているつもりです。特に心理学的な記述は科学者の方々にぜひ読んでいただきたいと願っています。

関心のない方にはどうでもいいでしょうが、私の持論の「精神的相対性理論」は、まだ最初の部分しか書いていないですが、「立体ベクトル、スーパーコンピューター、無」この3つのキーワードで構成されています。

このキーワードでピンと来た方は、ぜひ今度ゆっくりお話しをしてみたいと願っています(笑)

a0158797_23203328.jpg

さて、次に閲覧元の地域ですが、当然日本が約90%と圧倒的に多く、都道府県別では、北海道、東京、神奈川、埼玉の順で、全ての都道府県の方々に読んでいただいています。
次いで多いのがアメリカです。州別では大部分がカリフォルニア(これはGoogleの関係でしょう)で、次にワシントン、テキサス、バージニアなどとなっています。

その次がタイなのですが、これはおそらく日本のネットカフェがタイのプロバイダーを使用しているからかもしれません。次いで、アラブ首長国連邦、中国、ベルギー、カナダ、デンマーク、フランス、ドイツ、台湾、その他となっています。
ですが、だいたい日本とアメリカで98%を占めていますので、まだこのブログもグローバルではないのですが(笑)、想像するに、現地在住の日本人が故郷を懐かしみご覧になっていただいているのかなと思っています。

まとめますと、いくらこのような解析結果が出ても、当然個人まで特定できませんので、先日記述しました、「無言の言葉」を想像しながら書き続けるしか他に術はありません。でも、いつか世界中の方々にも読んでいただきたいと大真面目に考えています。
そのためには、日本語版と英語版の両方を同時にアップしなければならないのですが、ちょっとね・・・・・・。
まぁ、そんなオチでした。


いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_2214379.jpg

先日、美原方面に住んでいる人と話した。まぁ、そんなことは日常的にあることだが、普通の話の中で、私がバル街のことを話すと、あぁ大門のパルですね、との反応をみせた。驚いた。バルのことを好きだとか嫌いだとか、行きたいとか行く気もおきないとかは別にして、十字街周辺を中心とした、本家本元の「バル」を知らなかったのだ。

これはどういう意味になるのだろうか、考えた。函館のバルは、今や全国でも注目され、100か所で同様のイベントが行われている、その元祖だ。バルの開催日に合わせて函館旅行を計画する人がいるくらいのものなのに、そのご当地の市民が知らない。

その人のことを単に無知とは考えなかった。結論はこうだ。
「函館以外の人が思っている函館と美原方面に住んでいる人の函館は別のものだ」

a0158797_22301581.jpg

たまたま一人がそのように話したからそう結論付けたわけではない。ずっと、薄々感じてきたことだった。もっとわかりやすく言うと、旧亀田市街地方面の居住者ということだ。
もちろん、その地域の住民でも、西部地区に関心があり、意識的に情報収集したり、実際に遊びに行っている人は違うと思う。
しかし、そのような行為を意識しない人にとっての函館は、美原を中心とした旧亀田市が「函館」になってしまう。日常生活の中での函館はきっとそのようなものになってしまうだろう。それは仕方ない。

だが、もし函館に就職や転勤などで移住してきた者が、その方面に住んだとして、西部地区方面に行くことがなかったら、その人にとっての函館は、ヤマダ電機であり、ドンキホーテであり、吉野家であり、ユニクロでしかないことになる。

a0158797_22572871.jpg

函館外部の人がイメージする函館は、やはり駅前から西部地区方面の函館だろう。では、函館市民にとっての「函館は」どこなのだろうか?
よく「街づくり」や「活性化」などという討論会が時折開催されているが、その時に話し合われる「函館」という場所はどこなのだろうか?

元々、旧亀田市には、旧亀田市との合併前の旧函館市街地から移り住んだ人も多い。それは、旧函館市が抱えている「多くの問題」に起因すると思うが、どうやら人だけが移動しただけで、文化まで携えていかなかったように思える。せっかく独特の環境の中で暮らしてきたはずなのに、文化という財産を捨てて移り住んだのかもしれない。

このように言えば、私の場合、そちら方面を目の敵にしていると言われてしまうが、本当に中心街が移動しただけであれば、そこに新たな文化が生まれるはずであると思う。
ヤマダ電機やドンキホーテや吉野家やユニクロも文化と言えば文化だ。だが、それを函館の文化だと言うのは、私には大きな抵抗を覚える。

また、旧亀田市内で仕事をし、生活もその中で完結してしまう人は観光客と接する機会はほとんどない。そのため、函館にとって観光が重要な産業であるという実感を持つことはなかなか困難であると想像する。
何となく仕事をして、何となく生活もできているのだから、西部地区のような「遠隔地」のことなどどうでもいい。そう思ったとしても不思議ではないし、また、そのような人たちを多く見ている。特に、当該地域で生まれ育った若い世代は顕著だ。

つまり、そのような人たちにとっての「函館」と、観光客がイメージする函館の地域に住む人にとっての「函館」のふたつの函館が存在するのではないかと思う。
さて、あなたが「函館」という地名から思い浮かべる風景はどこなのだろうか?


いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_23123726.jpg

末広町の悲しさは、大町や弁天町のそれとは少し違う。
弁天町や大町は、夜になると、高齢者たちがひっそりと休んでいる感じが伝わってくる。ただ息をひそめているだけ。そんな感じだ。
ところが、末広町の夜は、人の息遣いを感じない。

a0158797_23183353.jpg

深夜遅くまで十字街で飲み、歩いて帰路につくと、まず末広町の電車通りの孤独感に襲われる。若い頃、夜明け前に六本木から渋谷まで酔っ払って歩いた青山通りのようだ。
観光客が行き交う日中の賑わいが嘘だったかのような無機質な静けさだ。

a0158797_23253226.jpg

末広町・電車通りの街燈はオレンジ色だ。
一人少しだけ足早に歩いていると、後ろから素敵な女性が追いかけてくる。そんな奇跡があれば、そのシーンははまるで映画の1場面にでもなりそうなのだが、そんなことはありえない。ただ、いい歳をした酔っ払いオヤジがさまよっているだけだ。

a0158797_23314933.jpg

a0158797_23335138.jpg

深夜、ここを歩いてしまう男は、ただ哀しいだけなのだ。
それ以外のなにものでもない。

a0158797_23373592.jpg

a0158797_2338776.jpg

そして、青空が広がり、観光客が行き交う末広町を、男は肩をすぼめて歩く。


*コメントをいただいた、ロック仲間様。コメントを承認すると公開されてしまいますので、保留にしました。今は、私の胸の中に仕舞っておきます。会った時に話しましょう(笑)



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_2314335.jpg

例えば、あなたがラーメン店を経営していたとする。
1日に50人の客が食べた。そのうち3人が「美味い!」と言った。一人は、あなたの知人で、「美味しいよ、これからも頑張って」と励ました。その他の二人は一般客で積極的にあなたに話しかけてくれた。

次の日も50人入り、3人が美味しいと言ってくれた。あなたは、順調だと思うだろう。
ところが、1か月経つと、1日の客が30人になった。それでも、美味しいと言ってくれた人は3人いた。あなたは、全体に客が減ったのは、何か客の都合なのだろうと考えた。今でも美味しいと言ってくれる人はいる。そう考えた。
ところが、1年後には美味しいと言ってくれる3人しか、1日の客がなくなった。

a0158797_23425772.jpg

1年後に1日に3人しか来店が亡くなったのは、あなたが、50人の来店があった時の、47人の無言の言葉を聞かなかったからだ。

1日30人の時に気が付けば良かったのだが、その時も50人の時と同じく3人が美味しいと言ってくれたから、大丈夫と勘違いをしたのだろう。

a0158797_23511067.jpg

これをWebに置き換えてみよう。
Facebookでは、何かの発言をした時に、「いいね」という意思表示をもらうことがある。これは素直に嬉しいと思う。また、このブログの読者コメントで褒めていただいても、これまた、素直に嬉しい。それは間違いない。

だが、その言葉(意思表示)だけを楽しみにしているのは、何か違うのではないかと思う。つまり、何らかの反応があるものが楽しみで、それがあると上手くいっていると勘違いする。もしなければ、本人がつまらなくなり、「いいね」を求める別の行為に移行する。しかし、無言の言葉を聞こうとしない。

そんなことだ。

a0158797_0105748.jpg

別に仲間内で褒め称えるのは悪くない。それはそれでいい。友人同士のコミュニケーションツールとしてはそれで十分だ。実際、私もそのような使い方をしている。

しかし、情報や個人の意思表明的な発言は、広く世の中に伝わるべきである。それでこそ、インターネットの最大の利点だ。そのためには、無言の言葉を聞かなければならない。大部分が、無言の言葉を発している。

a0158797_0201755.jpg

私は、このブログを書くとき、姿も見えず、言葉も発しない「誰か」を想像しながら書いている。

だから、3年も毎日のように続けてこれたと思っている。



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_22115644.jpg

明治時代前半の田本研造が写した函館市街地の写真を見ると、今の弁天町は、やはり下町だったのだろうと想像できた。小規模な建物が密集し、洋風な建物も少なく、蔵が多い。
いわゆる「商業の下町」の様相だ。

a0158797_22175590.jpg

だが、この大黒通りには、明治時代、歌舞伎を披露する函館座があった。のちに映画館となったようだ。そして、画家の田辺三重松もこの大黒通りで生まれ育った。

a0158797_222247100.jpg

a0158797_2223148.jpg

a0158797_22234952.jpg

a0158797_22244990.jpg

a0158797_22254261.jpg

前回お話しした通り、世界的な舞踏家・大野一雄もこの弁天町で生まれ育った。
私の実家は昭和初期、芸者の置屋だった。そう、弁天町は雑多な文化が入り交じった「偉大な下町」だったのだ。

a0158797_22313247.jpg

a0158797_22331546.jpg

a0158797_22334689.jpg

その名残が今でも微かに、街の一部や人に残る。無意識に伝えてきた文化なのだろうか。

a0158797_22354950.jpg

弁天町は函館戦争によって、一度崩壊した。だが、杉浦嘉七が私財をなげうって西浜の埋め立てを行い、幸町と命名され、昭和40年に弁天町となった。
杉浦嘉七はのちに、北海道で初の民間新聞「函館新聞」を創刊し、また、北海道初の銀行「第百三国立銀行」の創設に参加し、初代頭取になった人物だ。

「人のためになることを行い、人の上に立つ」まさに「出世」の王道だ。

a0158797_225311100.jpg

a0158797_22553051.jpg

a0158797_2253533.jpg

この太刀川家の援助がなかったら、現在の「世界のソニー」はなかったかもしれない。

そんな、色々なことが混在する町が弁天町だ。

a0158797_22573891.jpg

a0158797_22583882.jpg




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_21351398.jpg

はーい、みなさま、今日も一日元気に疲れましたか?私も、日中頭が回らず、代わりに目が回ってボーとしていたため、なるべく早めに帰ってきました。

ほんと、生きるって疲れますよね。最近はご飯を食べることにも疲れてきて、でも、食べなければしんどいので仕方なく食べています。こんな時、食べ物のブログを書いている人はどうするのかな?それでもがんばって書くのでしょうか。
私は、自分に正直でいたいから、無理なブログコンセプトを設けず、気の向くままにやっていますが、それでも疲れるものは疲れます。

a0158797_21474336.jpg

疲れると言ったら、昨年は本当に年中疲れた1年でした。
昨年ほど、それこそ疲れを我慢して頑張ったことが、正反対の結果しか出なかった年はなかったものです。
人というものは、これほどまで全体のことを見ることができないものかと、思い知らされたことが山ほどありました。えっ、この人が何でそんなことを言うのだろう、というショッキングなことも数々ありました。

もう、いい。もう、ここまでだ。と覚悟を決めたこともありました(笑)でもね、どうやら私はなぜかまだ生きていなければならないようです。何のために?わかりません。

a0158797_2222077.jpg

その代わり、新しい出会いもありました。もちろん、その前から知っている人たちもみんな愛すべき人たちばかりなのです。

罪は憎んでも人は憎まず、と余裕を持って言えたら、楽であるのですが、そこまで自分はできた人間ではありません。まだまだ修行が足りないのでしょうね。

a0158797_2215992.jpg

今年の干支である巳は、「再生と復活」を意味するそうです。

自分もみなさんも、そんな年になりますように。


いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_23445432.jpg

自分の中での大町のイメージは、哀愁だ。
なぜかそう思う。

もともと西部地区には空地が多くあるが、その中で最も空地率が高いのが大町なのではないだろうか。

a0158797_23474190.jpg

常盤坂下。この道路が弁天町と大町の堺だ。

a0158797_23485019.jpg

a0158797_2349237.jpg

a0158797_23501557.jpg

a0158797_23505531.jpg

a0158797_23513240.jpg
a0158797_23532763.jpg

a0158797_23541857.jpg

今日は、「弁天町を歩く-2」だろうと見せかけて、大町をご紹介しました(笑)。さて、明日は?



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_23522610.jpg

昨日の函館は眩いばかりの晴天だった。気温もプラスになり、めっきり寒さに弱くなった私も、歩きたいという気分になった。
そして、私は久しぶりに弁天町を歩いた。

a0158797_23552832.jpg

決して元町や末広町のようなあでやかさはない。だからなのか、余計に愛おしさを胸に感じる。
ずっとずっとこのさりげなく着飾った街の趣の深さの中にいた。

a0158797_23594759.jpg

a0158797_003362.jpg

a0158797_014560.jpg

a0158797_022666.jpg

a0158797_03046.jpg

a0158797_034381.jpg

a0158797_062973.jpg

ちょうど、幸坂通りと電車通りの角に、私が生まれる以前からあった「喫茶エデン」という店がある。私にとっては、なぜか入れない店のひとつだった。子供の時は当然だが、大人になってからも近寄りがたい存在だった。
そのエデンが閉店した。そして地元情報によると、いずれ建物は解体されるらしい。

a0158797_0154420.jpg

a0158797_0163926.jpg

a0158797_0171366.jpg

a0158797_0174539.jpg

この建物は、かなり昔、世界的な舞踏家・大野一雄の生家だったのではないかという説がある。弁天町に住んでいたのは確かなようで、実家の前で撮影した写真の背景の壁が、上の写真と酷似していた。

a0158797_0233714.jpg

a0158797_0241294.jpg

建物と道路の間には、側溝と呼ぶのはふさわしくない「ドブ」が今でもたくさんある。下水道が整備された今でも、いつまでも残ってほしい風景の一部だ。

a0158797_02734.jpg

a0158797_0273462.jpg

今回、気が付いたら、僅かの間に50枚以上の弁天町の写真を撮ってしまった。一度で掲載できないため、2部作となりそうだ。
私はやはり下町が好きだ。



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_3254030.jpg

a0158797_3264345.jpg

a0158797_3272492.jpg

a0158797_32755100.jpg

a0158797_3282297.jpg

a0158797_328531.jpg




いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)

a0158797_12301353.jpg

私がカラオケで歌い始めたのは、同じ世代であれば誰でもがそうであったように、スナックで酒を飲みながら歌ったのがきっかけだった。だから、今でも酒が入らないとカラオケではなかなか歌えない。
素面であれば、本当にコンサートをやるような真剣さと緊張感がなければ歌えないかもしれない(笑)

だが、今では酒など関係なくみんながカラオケボックスで普通に歌っている。そういう意味では、私は古い世代なのだろうと思う。誰でもが楽しんで歌を歌う、それはとてもいいことだ。歌が身近にあるのは素晴らしいことだ。そして、日本のカラオケ文化は世界を席巻した。すごいことだ。
だが、物事には必ず功罪の両面があるように、カラオケ文化にも罪はある。それは、生まれてくる音楽がどんどんつまらなくなってしまうという罪だ。

今、音楽を馬鹿でかいスピーカーで聴く者は少なくなっている。演奏者の微かな息継ぎまで聴こえるような繊細な音を出すスピーカーでは誰も聴かない。携帯やスマートフォンのような、音響などとても期待はできない装置で聴く場合がほとんどだ。
そうなると、歌手の微妙な声の震えや強弱などを表現することはできなくなる。音は平面的になり、ミュージシャンは平面での表現を選択しなければならなくなる。
そんな音楽再生環境の中にあって、カラオケ文化はミュージシャンにとってより過酷な環境を与えることとなった。

それが何かと言うと、「カラオケで歌える曲でなければ流行しない」という傾向だ。カラオケで歌える曲というのは、当然歌いやすいものでなければならない。そうなると、配信元であるレコード会社は、ミュージシャン・作曲家にそのような曲を作ることを要求する。そこで、歌いやすい曲を作ることが、ミュージシャン・作曲家の義務となってしまう。
これで何が起こるか、音楽家が持っている個性・感性を表現した曲がなくなるということだ。
別の言い方をすると、本当のプロの音楽が聴けなくなってしまうということだ。

だが、レコード会社ばかりを責めるわけにもいかない。会社である以上、売り上げは重要だからだ。だから需要にマッチしたものを提供するしかない。それはビジネスでは当然のことだ。
では、何が問題なのか?結論はおのずと見えてくる。需要を作っている私たちの感性ということになる。

a0158797_13445187.jpg

カラオケはコミュニケーションの道具のとして使われて久しい。少年少女たちが友達関係を維持する場所としてカラオケを利用する。今では老若男女同様の使われ方をしている。カラオケという場所は必要なもののひとつであるはずだ。
だが、悲しいかな、一般の人はやはり素人だ。プロの高度な歌は歌えるわけがない。仮に歌ったとしても結果は言うまでもなく惨憺たるものになる。そうすると、次第に聴く音楽=歌える音楽となってくる。誰でも人前では赤恥をかきたくないから。

それに加え、国民総鬱状態だ。鬱は変化を嫌う。正確に言うと、本当は変化を望んでいるのだが、変わることが億劫で仕方ないのが鬱だ。だから、流行する曲のパターンが変わらない。
テレビで流れている音楽を、画面を見ずに聴いていると、誰が誰なのかさっぱり分からなくなる。メロディーも似ているし、歌い方も似たようなもの。声質までどこか似通っている。違うのは歌手の顔と体型だけということになってしまう。また、そして、歌い方はカラオケで一般人がちょっと格好をつけて歌うのとほぼ同じ歌い方になってしまっている。

また、流行しているミュージシャンの音楽も、金太郎飴の輪切りのように、どの曲を聴いても同じようなものを作っている場合が多い。いや、そのようなミュージシャンが流行っているとでも言うべきか。ともかく、このような音楽が流行しているのは、国民がまだ鬱状態であると言わざるを得ない。

このような主な原因で音楽はますますつまらなくなってしまった。ビートルズの音楽がなぜあんなに素晴らしいのか。それは、極端に言うと、彼らが全ての音楽を自分たちなりに表現していたからだ。クラシック、牧歌、ジャズ、ハードロック、バラード、サイケデリック、ブルース、民族音楽、それらを吸収して自分の表現をしたからだ。そして、それをできたからだ。



これはスティービー・ワンダーの「Lately」という名曲だ。
この曲は、私が20代の頃のものだが、当時私は酒を飲みながらヘッドホンでこの曲をよく聴いた。涙が流れそうになったことが何度もあった。それほど胸に響くものがあった。
この度、YouTubeで他のミュージシャンや一般人の投稿のものを聴いたが、上手に歌っている人もあったが、胸に響くものは聴けなかった。どんなに歌が上手くても、スティービーのような、全身から絞り出すような情感を表現できている歌はなかった。

だからスティービー・ワンダーは特別なのだ。プロなのだ。
この曲は、メロディーもそれほど難しくはなく、ちょっとした歌唱力のある人であれば歌うことはできる。それなりに聴くことはできる。しかし、聴いて泣くことはできない。

今、日本の音楽家がこのような曲を作ったとしても、おそらく流行しないだろうし、また、作っても仕方ないと思う音楽家もいるだろう。CDの売り上げだけではなく、Webでの配信だけではなく、カラオケも重要な印税の収入源だ。
音楽で生活している以上、その現実から逃れることもできない。

音楽家が自らが持っている個性・感性を存分に発揮できるかどうかは、聴く側である私たち次第の問題なのだ。



いつもお読みいただきありがとうございます。どうか二つのクリックお願いします。(笑)
人気ブログランキングへ にほんブログ村 地域生活(街) 北海道ブログ 函館情報へ


*コメントを承認制に切り替えました。基本的にはどのような批判的なコメントも掲載させていただきますが、以下のコメントの場合は、掲載いたしませんので、どうかご了承ください。
①筆者以外の第三者を特定した誹謗・中傷のコメント。または、過度の表現を用いたコメント。
②投稿者名はハンドルネームでけっこうですが、一人でいくつかのハンドルネームを使用した場合。(ただし、いつもコメントをいただく方で、ご本人からハンドルネームを変更した旨を告知された方はその限りではありません)