<   2016年 12月 ( 13 )   > この月の画像一覧

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昨日は会社の御用納めで、午後からは実質的な年末年始休暇となりました。
仕事から解き放たれると、早速2日連続でモデル撮影を開始。
何しろ、2月には個展が待っているものですから、もう予断は許されません。
この写真は撮影の合間に、モデルさんが何気なく窓の外を見ているところを撮ったものですが、本当に画像がきれいになりました。さすが3000万画素でございます。

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ご覧のように焦点が合っている部分の髪の毛は、1本1本きれいに写っています。ちなみにこのブログではサイズを圧縮しているため、拡大してもそのきれいさはそのまま出ませんが、原画像はフルサイズのRAWでありますので、拡大してもちゃんときれいに写っています。

さて、こんな風にきれいに映った画像を壊すところから作品作りが始まります。せっかくきれいに撮れたのにと思われますでしょうが、壊すためにも元となる写真が繊細でなければならないのです。それがなければ、ただの「壊れた写真」になってしまいますから(笑)

今度の写真展はこの年末年始休暇にどれだけ作業を進めることができるかで、結果の良し悪しが決まって来るのではないかと思います。はい、今年の年末年始はPCに釘付けになります(というか、ならなければまずい・・・・)



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先週の更新以来の記事となります。その間、オフタイムは写真の編集を行っていました。それは、15日で閉店したル・コントワールの過去からつい最近まで撮った写真を整理し、ひとつのSDにまとめて、函館を離れる栄子ママにプレゼントすることになっていたからでした。11月20日のイベントで皆様よりいただいた会費が、清算をしましたら若干余ったため、これから東京・フランスに行くために函館を離れた時、時々思い出す機会があったら見てほしいと、私が過去に撮った写真から約500枚を抜粋してSDカード(もちろんカードは元祖Sun Disk)にまとめ、デジタルフォトフレームにとともにプレゼントすることにしたのです。

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結果としては500枚ですが、コントワールに関わる写真は、恐らくその4倍から5倍以上は撮っていると思います。それを、過去に撮った約6万枚から探して画像編集をし、やっとフォルダにおさめるこということをやっていました。

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ル・コントワールではよくライブが行われていました。決して広いとは言えない店内に人が歩けないほどのお客さんが入り、通常の席が空いておらずカウンターの中で見ることも度々ありました。

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コントワールで行われるライブの質は高く、普通ではホールの舞台で遠くからしか見れないようなプレーヤーをとても間近に見ることができました。こんな贅沢なことはありません。

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そんな規模が小さくても質が高いライブをもう見ることができないのも残念です。本当はライブ以外のお客さんたちを含めた楽しい写真もご紹介したいのですが、ブログに掲載されるのが好ましく思わない方もいらっしゃるでしょうから、過去のライブだけをご紹介しました。

さて、私は今回の写真の編集で、写真の色の付け方(あるいは直し方)を少し学びました。これは今度の写真展に役立つこととなるでしょう。そうそう、写真展の会場である函館国際ホテルから会場使用の申込書が届きました。いよいよ本格的にやらなければなりません。今度の年末年始休暇はずっとPCとにらめっこになるでしょう(笑)

そして、2月にはきっとあなたをワンダーな世界にお連れいたします。



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この度、このブログの更新の頻度を落とすことにしようと決めました。
2010年の1月から開始し、約7年近く概ね毎日に近い頻度で更新してまいりましたが、自分の次のステップに向かうことに集中するために、今までこのブログ中心であったオフタイムを違うものに使おう、ということにしたのです。

当初、ある種の意図を持ってこのブログを始めました。その意図は初期の記事によく表れていますが、現在の記事はそれとは大きく乖離してきています。誰でもそうでしようが、時間が経つと考え方や向かうべき方向が変わってくることがあると思います。私の場合もそうでした。

当初は、言葉が中心でした。今までずっと胸の中にしまっていたものをこのブログの中で「解放」することを主な目的としていました。しかし、それが次第に写真が中心となり、1度に掲載する写真も大幅に増え、ある意味、私が撮った写真の発表の場という形態に変わって行きました。それはそれで私なりの自然な変化であるので、その流れに任せて記事をアップして参りましたが、今度は、その写真を「作品」と呼べるようなものにしたいと考え始めました。

このブログに経緯した主な写真は、撮ったものをその画像に合わせて微調整してアップするという方法で発表してまいりましたが、「作品」となるとそうはいきません。そんな片手間のような作り方ではとても、「はい作品ができました」などということはできないな、と思うようになってきたのです。例えば画家が2月も3か月かけて一つの作品を作るように、小説家が半年や3年や5年をかけて一つの作品を作るように、写真も「作品」と呼んでもらえるものにするためには時間がかかるのであります。また、そのような写真にしないとせっかく人々にお見せしても、(数はどうかわかりませんが)共鳴していただける人は少なくなるのではないかと思います。

最近、私はよく本を読みます。本と言っても小説が主です。元々本を読むのは好きな方だったのですが、老眼が進むと字を追うことが苦痛になって、それと伴って読書も苦痛になっていました。しかし、これは言い訳でした。本当に読みたいのだと思って書面に目をやると、そのうち苦痛もなく読めるようになるものなのです。その苦痛を乗り越えたら、10代の頃に色々な小説を読み漁った時のような自分になりました。
そして、自分なりの論理ですが、いい写真を作るためには、本をいっぱい読まなければならないと思っております。小説と写真、これが自分の感性が試される作業なのです。どちらかだけではいいものは作れないような気がしています。

編集しなければならない写真も山ほどあります。そしてオリジナルの「作品」は自分がずっとイメージしていたものにならなければなりません。オフタイムをそのために使おう思うと、ブログの更新は大きな目的に向かいたいという人間にとって「もったいない時間」となってしまうのです。

もちろん、休止するわけではないので、気が向いたら、あるいは精神的に余裕ができたら、いつでも記事を書きます。
ブログには「作品」では表現できないものを話せる場所でもありますからね。


そういうわけで、もしも(恐らく数は少ないと思いますが)このブログをずっと読んでいただいている方ではなく途中から読み始めた方には、過去の記事にもそれなりに少しはちゃんとしているものもありますので、どうぞ過去記事をごらんになってみてください、

今は、限られた時間の中で、自分は何ができるのだろうかというものに挑戦し続けるものとなるでしょう。





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今日NHKスペシャルでボブ・ディランに関しての特集を放映していた。
同時に他局で放映していた忠臣蔵とどちらを見ようかと迷ったが、やはりボブ・ディランを見てしまった。ここで、このブログのタイトルをボブ・ディランの著名な曲名から拝借している私がなぜ迷うのかと疑問に思ってしまう方もいるかもしれない。ボブ・ディランのファンでありながらなぜ迷うのだと。

その理由はある時から、私はボブ・ディランを聴かなくなってしまったからだ。どうしてそのようになったか?遡ると、それはディランの初来日コンサートから始まった。当時としては、来日していない最後の大物ミュージシャンが初めてやって来るということで、日本のディランファンは興奮の坩堝にあった。私もそうだった。当時札幌に住んでいた私は、東京にいる知人に代わりにチケットを取っていただいた(今のように電話やインターネットやコンビニで簡単にチケットを取れる時代ではなかった)どうせ見るなら2日間見たいと1978年2月28日と3月1日のチケットを依頼し入手できた。くしくも、この両日の演奏はのちに「武道館」というアルバムに収録され発売された。つまり私が聴いた演奏そのものが記録として残ったことになる、わたしにとっても感慨深いコンサートとなった。

しかし、ボブ・ディランに対する期待の大きさからか、来日する前に公演していた「ローリングサンダーレヴュー」というツアーの演奏が素晴らしすぎたため、武道館での演奏はロックではなく、「ザッツ・エンターティナーショー」に聴こえて仕方なかった。何かを強く訴えるような強烈なボーカルは聴けず、まるでラスベガスのアメリカンポプュラーコンサートを聴いているようだった。バック演奏もきれいに整って、用意された曲を次々とこなしていく、そんな感じに受け取ってしまった。「ボブ・ディランショーにようこそ!」
そのような演奏スタイルに変えたのにはディランなりの考えがあったのだろうが、私は失望して東京から札幌に帰った。

札幌に帰った後、2週間後にトム・ウェイツのコンサートが札幌市民会館であった。当時はまだ彼の名は認知度が低く、私は一番前の席でトムを見ることができた。つまり、彼の表情の変わり方などもはっきり見える位置にいたということだ。そこで気付いたのは、まるで酔っ払いながら煙草をくわえフラフラになって歌うのが全て演技であったということだった。歌は酔ったふりをしても、目は覚めていたのがはっきりと分かったからだ。

私にとっての大きなショックが立て続けに短期間に起こった。しばらくの間自分の部屋にいても誰のレコードも聴く気がしなかった。どうせ全部ショーなんだろう。
次第に私は音楽よりも恋を大切にするようになった。少なくとも彼女の一挙一動はショーではなく、彼女の本心から現れているという実感をつかめることが自分にとっての一番リアルなものだった。
そして次第に私はボブ・ディランを聴かなくなっていった。一応、「武道館」の次のアルバム「ストリートリーガル」は購入したが、そんな後だったためか特別な感慨をもって聴いたという記憶がない。そして、次の「スロートレインカミング」は購入する気にすらならなかった。次第にボブ・ディランは私にとって、10代から20歳にかけての最も多感な時期のひとりのスーパーヒーローだったのだ、という過去形の存在にしようとしていた。

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だが、しばらく年月が経ち、猛烈にディランを聴きたいと思うような時期がやって来た。40代に入ってからだ。まるで自分のルーツを探すかのようにボブ・ティランの昔の曲をむさぼった。発売されてから30年以上も経った(その頃はもうCDになっていた)を聴き返した。そこから少し冷静な目でディランを見るようになった。
「どうして彼は原曲とは全く違うメロディで歌うのか」ということについても考えてみた。ボブ・ディランの音楽がつまらなく感じて来たのは、どこ曲を歌ってもみんな同じメロディになってしまっているからというのが大きかった。よく、年齢を重ねると歌い方が似通って来る歌手がいるが、ディランもそのひとりなのかという思いが勝手に自分の中にあった。
昔、彼の半生を記した伝記を読んだが、その中でディランは「どうしていつも同じように歌わなければならないんた?そんなことはとても堪えがたいことだ」と、歌うたびに微妙にメロディを変えていた。それが微妙なうちはよかったのだが、どれも同じメロディになった時は聴くに堪えなくなってしまった。自分の大好きだったディランがこんなワンパターンで歌うしか才能がなかっのか。そんなことまで考えてしまった。

そのような経緯で私はディラン離れを完全にしてしまったかのような状態をずっと続けていた。

しかし、例えば精神的に抑圧された状態にある時、頭の中で奏でられる曲は、いつもディランの「Like a rollingstone」だった。顔では平然を装っても、心の中では「How does it feel」と叫んでいた。もし、バックバンドを従えて1曲だけ公衆の面前で歌う機会があったとしたら、最も歌いたい曲が「Like a rollingstone」だ。歌った次の日から声が全く出なくなってもいいから、激しくシャウトしたい。

そして、ブログを始める時にタイトルを考えたらやっぱりボブ・ディランの曲であった。

I sahll be released 私がブログを始める動機が全てこの言葉に凝縮していた。

結局私はボブ・ディランから離れられないのだ。
私が抽象的な詩を書く時、ついつい思い出してしまうのがディランの歌詞の一部だ。最近の彼の演奏をYOU TUBEで聴くと、どの曲も同じメロディで歌っているのがより顕著になってしまっている。もうこれは音楽ではない。そう、これは音楽ではなく詩の朗読なのだ。
今回ノーベル賞の受賞が決まって論戦が起きた。ボブ・ディランは音楽なのだから文学賞にはふさわしくない、いや、彼の詩は文学性が高い。色々な意見があったようだ。だが、私に言わせると、現在の彼は音楽というより詩の朗読を、バックで演奏されている演奏に載せてしているだけなのだから、それは立派な文学であると思えて仕方ない。

ともかく、何かを突き詰めて考えて行くと、私の場合、ディランがそこに現れてしまうことだけは確かなことだ。ノーベル賞受賞者かどうかなんて、きっとディランが思っているくらい私も意味のないことだと思う。それは村上春樹がノーベル賞をもらえなくても、彼の作る小説が常に優れた作品であるのと同じことだ。

「言葉」に関して、私はBob Dylanから多くをもらった、それはどんなノーベル賞作家でも与えてくれなかったものである。





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よくよく考えてみると、私はだれでもができることを主にやって来た。
仕事だってそうだ。色々転職したが、結局営業職が主に働いてきた職種だった。私が営業職に初めてついた頃、ある先輩から言われたものだ。「営業は誰もが簡単に就ける仕事だが、誰でもがいつまでもできる仕事ではない」この言葉に私は少々ビビッてしまったが、成績を挙げれず去って行く者をたくさん見ながら、何とか自分はその世界でここまでやって来た。
私と話したことがある方はわかるだろうが、決して話は上手ではない。相手をぐいぐい引っ張りこむようなことはできない。私の営業は色々な説明をして、お客さんの話を聞き、自分が経験した事例も参照して、できるだけ適切なアドバイスを与えることだけだ。そして、なぜか最後はお客さんは「買います」と言っていただける。
おかげさまで「誰でもできる営業という仕事」で、そこそこ上位にいることができたが、それは単に営業という仕事を選んだんからには、きちんとできるようになるまでは努力を続けようという、単純な動機からだった。

考えてみると、写真だって、今書いている文章だって誰にでもできることばかりである。
写真はどこかでカメラを買って来て、わからなければ取説をさっと読むと、後はシャッターを押すだけだ。文章は日本語を理解して(時には理解していなくても)pcに向かってキーボードに入力していくと、どんなものができたとしても文章として成り立つ。

そう、今私がやっていることは、全て誰にでもできることだけなのだ。特別な資格も不要であるし、(仕事上ある国家資格は所持しているが)基本的には何もなくても何かを始めることができるものばかりだ。
誰にでもできることで、その分野で輝くことはそれなりの努力が必要となる。ともかく、子供の時からヤッテいなかったをやる。
それこそが「誰にでもできないこと」なのではないだろうか。



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今日はJohn Lennonの命日だ。36年前の日本時間では明日の夕方のテレビニュースで殺されたことを、私は知った。
しばらくの間、少し不謹慎な気がしていたのであまり人には話さなかったが、そのニュースを知った時、「嘘だろう?」という現実を受け入れることのできない気持ちと、それがやはり現実だと認識しなければならないとすれば、「ついにその日が来たか」という、ずっと自分が心のどこかでいずれ起こるかもしれないと不安が的中した無念さがあった。

世の中は、色々な心のベクトルが混じり合って何かのムーヴメントをつくりだすものである。それは一つや二つの個別的な分析では説明のできないほど複雑に絡み合ってどこかに何かを向かわせる。それは、はっきりとした何かの証拠があってわかるものではない。わかるのは、どこに向かっているかもしれないというベクトルのおぼろげな方向性だけだ。
Johnの死はは、その強烈な個性と存在感ゆえに、人々が「そうなってはいけないが、ひょっとしたら起こってしまうかもしれない」不安を感じてしまうベクトルの力が具現化させてしまったもののひとつに思えた。

JohnのImaginを理想に溺れている「現実逃避をしたがる夢想家」が好む曲だと密かに蔑む人は実際にいる。それもまた一つのベクトルの力だ。Johnは彼だからこそ語れる歌で私たちの心を摑んでいたが、同時に彼を嫌悪する人間もつくってしまった。それは強烈な個性と影響力を持った人間の宿命である。しかし、その宿命は最悪の形となって具現化された。

「いずれあるベクトルに沿った力が悲劇的な事実として具現化する」

それは、戦争が起きる時と同じ流れであるといつも思う。例えば地下深く活断層が着実に動いていても、私たちがそれをはっきり認識するのは地震という災害が起こってからであるのと同じように、何かがどこかで動いていても、誰も気が付かないだけなのだ。







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この度の「卒業旅行」、札幌に行ってまいりました。泊まったのは中央区北2西2の「クロスホテル」でありました。

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今まで泊まろう泊まろうと思っても、ハイシーズンの時はちょっと予算的に・・・と思っていましたが、この時期は若干室料もお手頃だったため、泊まらせていただきました。

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ご覧の通り、スタイリッシュなデザイン室内、備品、フロント。

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この度は飲みに出る時間がが長かったためにじっくり滞在を堪能できませんでしたが、今度は部屋に長く滞在して「クロスホテル」タイムを楽しみたいと思わせてくれるホテルでした。

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お世話していただいたスタッフの皆様、ありがとうございました。また是非利用させていただきたいとえもいます。



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明日、卒業旅行に出かけます(笑)

どんな旅なのか、明後日の記事を楽しみにしてください。



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15日に閉店する宝来町のル・コントワールでは昨日と本日Jazzのライブが開催されたようだ。私は風邪の治癒を最優先としていたため、その両方に参加はしなかったが、コントワールで行う最後のライブとしてきっと盛り上がったに違いない。

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ところで、コントワールの写真をモノクロにすると、雰囲気がガラッと変わる。とてもシックで大人しか入れないような雰囲気になるが、実際はそうでもないことが多い。

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けっこうワイワイガヤガヤやっていることが多く、私の写真ははっきり言ってそのままを写していない(笑)

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この店内でいったい何枚撮ったのだろう。過去からのものをまとめてみようと思うのだが、やる前から気が遠くなってしまっている(笑)

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それくらいの想い出と名場面が、この店で撮った写真には残されているのだ。



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