<   2017年 02月 ( 9 )   > この月の画像一覧

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先日NHKスペシャルで「又吉直樹 第二作目への苦闘」という番組があった。
大河ドラマを見終えてそのまま曲を変えていなかったために何となく見ていたのだが、率直な感想としては、「どうしてこのような番組を作ってしまったのだろうか」あるいは「どうしてこの番組を作ることを又吉は認めたのだろうか」という疑問だけが残るものだった。

簡単に言うと、ものづくりをしている者は、例えば陶芸家であればその作業過程を公開することはあっても、どのようなものを創るかについて悩み苦しんでいる姿は人前で見せることはないだろうと思う。作家はきっとみんなそうであろうと思う。それ以前にものづくりに苦しんでいるところなど絶対に人に見せたいなどとは思わないはずだ。

作品はひとつの結果だ。それを見たり読んだりした人がその結果を評する。ただそれだけの簡単なシステムであり、それ以上のものを混入させてはいけないものであると考えている。どんなに苦しんで生まれたものでも、いとも簡単にできたものでも、いいものはいいし、ダメなものはダメだ。そう、結果でしかない。

ものでも文章でも写真でも、作る時は常に孤独だ。孤独の中で自問自答して作品を組み立てて行く。それが当たり前のことであるし、その孤独な作業が嫌なのであればものづくりはやめた方がいいに決まっている。なかなか生み出せないものに対して、納得するに至るまでになるかどうかはわからないかが、どこかで形となって出さなければならない時が来る。その時までの作業は作者しかできないことであるし、また、人に見せるべき類のものではないと思う。

だいたい悩んでもがいている姿など、恥ずかしくて見られたくない。私の(別の人の)今回の写真展編集作業など絶対に見られたくない、とてもみっともないし、時には顔が歪んでいることもあるかもしれない。そんなものは決して人に見せずに、できたもので見てもらうしかないのは作家であれば誰でも(きっと)わかっているはずではないかと思っている。
それを又吉は人に見せてしまった。それは、芸能事務所とNHKとの契約であったからかもしれない。だが、そもそもそのような約束をすること自体、やはり又吉は芸人なのだ。決して作家ではない。まして出版する前から文章の一部を公開するなど、私だったら恥ずかしくてできない。

私はひねくれ者の法則によって話題になったものは過すぐにはは手にしない。だから「火花」も読んでいない。が、このような番組を制作をすることを許可した(あるいは事務所が)段階で、やはり又吉は芸人なのだと思った。

今作家以外の仕事も忙しいようだが、その中でも5年後にもいい小説を書いているのかどうか、疑問だ。
しばらく音沙汰もなく突然優秀な作品を発表した方がずっとかっこいい。

もうすぐ写真展も終わりますが、同時に、いや既に、私は次の写真展に向けて、どろどろの状態に陥っている。




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約2週間前、運転中に発見して、信号待ちの時に撮った写真です。
普通の飛行機雲はまさに今飛び去ったばかりの飛行機のものです。しかし、それより以前に作られたと思われる飛行跡(雲とは言えない)が空の一部をまるで(私には)空の一部を真空状態にして飛び去ったように見えました。





それで、これはいったい何なのでしょうか?




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私は熱心なfacebookウォッチャーではないため、友達となっている方々の動向には疎いところがある。だいたいサッと見て気付いた投稿だけ少し読んで閉じてしまうことが多い。頻繁に投稿する人がよく目に付くが、私もそうだがあまり登校しない人のことはつい忘れてしまうことがある。決してその方に無関心だというわけではないのだが、日々の自分の仕事やその他のことに追われると、「ウォッチャー」にはなかなかなれないのだ。

しかし、そんな風にしていると、ふとある時友達の数が減っていることに気付く。もちろん毎回自分の友達の数を調べたりしているわけではないのだが、何かの理由で友達一覧を見た時、ようやく気付く、その人のアカウントが停止されていることに。つまり、その人はfacebookから消えて行ったということだ。
もちろん、今までのアカウントを消して別の名前でまだ登録しているのかもしれない。実際にそうしている人もいる。そして「好ましくない友達」をブロックするということもできる。もちろん本当にやめてしまった方もいるだろう。また、(現実的に)亡くなった友達もいる。

とにかく、私が見ているページの中では、何人かの友達が消えて行った。その方の連絡先(電話番号)は知っている。でも、なにもせずにそっとしておこうと思う。どんな理由なのかはわからないが、その人は去ることを決めたのだから。きっと何かのきっかけでまた出会うかもしれない。その時にその人とどんな話をするのか、あるいはそんな機会はもうこれからずっと訪れないのか。それは時間だけがしっていることだ。



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今日村上春樹の新刊が発売されるとのことで、昨日NHK「クローズアップ現代」でも特集が組まれていました。
番組の中では、熱狂的な春樹ファンの話や催しと、アンチ村上の方の話などが紹介されていました。これほどアンチが多いということは、彼の作品にはやはり魅力があるということでしょう。私が若い頃、太宰治に陶酔する者と猛烈な嫌悪感を持つ者との二手に分かれていましたが、とてつもなく嫌いになるほど太宰に人を惹きつける魅力があったからだと思います。石川啄木もそうです。彼の文を作る才能はとてつもないものがあります。函館文学館に彼の直筆の手紙がありますが、単なる手紙にさえ啄木の文才を読み取ることができるほどです。

特別なインパクトも特別な害も何もない作品は、好きだとか嫌いだとかという話題にもならずに自然に忘れ去られて行きます。ですが、村上春樹がたくさんの人に嫌われ、それ以上の人に「密かに」読まれているということは、事実として村上春樹の小説には、人に何かを感じざるをえないものを与えているということに違いありません。

さて、タイトルの話になりますが、私は新刊を買いません。その理由は、単に私がひねくれ者だからです。私は彼の作品は大好きです。
正確に書きますと、「新刊を買わなくなった分岐点がある時やって来た」ということです。
その分岐点が「ノルウェーの森」でした。彼の長編・短編集をずっと買って読んだ私はそれまで通りに「ノルウェーの森」の新刊を買って読みました。その感想は、彼にしてはあまりパッとしたものではないな、というものでした。いつの間にかのめり込んで、一気に読み終えなければ気が済まないようないつもの「魔力」がありませんでした。
随分普通の作品を書いたのだな、というのが率直な感想でした。その作品がなぜかベストセラーになったのでありました。私は混乱しました。なぜ「羊をめぐる冒険」が爆発的なヒットをしないでこの本が売れたのか、不思議で仕方ありませんでした。私としては「羊をめぐる冒険」の方が数段優れた作品であり、また、彼の作品を「読みたくて読みたくて仕方なくなる」心の習慣を根付かせた作品であったのです。

特別に色々な人と「ノルウェーの森」について話し合ったりすることはなかったのですが、私の中では、違う捉え方をする人に支持されたのだろうか?という疑念を捨て去ることができませんでした。その後、彼の出す新刊購入は「ねじまき鳥クロニクル」までとなり(クロニクルは傑作!)、その後は自分の仕事か多忙になったのこともあり、疑問を抱えたまましばらく彼の小説を購入することもありませんでした。

そんな年月が経て、ある時、「1Q84」がテレビで発売前からベストセラーになったとのニュースを知り、改めて自分に対して「新刊は買わない」と心に決めたのでした。どうして内容も何もわからない本がそんなに話題になるのか?私にはさっぱり理由がわかりませんでした。出版元の戦略もあるのでしょうが、「ノルウェーの森」の後の優れた作品である「ねじまき鳥クロニクル」がベストセラーと言えるほどの刊行数にならなかったのに、いったい読者はどのような目で彼の作品を見ているのか疑問になったのです。
特異なこのムーヴメントに対して、私の元来のひねくれ魂が湧き上がり、彼の作品を読むのは文庫本になるような時期、つまりその本についての騒ぎが収まったころにしようと決めたのです。それは、例えば優れた音楽はやはりできるだけ雑音がない環境で聴くのが最適であるのと同じ理由からでした。騒ぎが収まってあまり話題にならなくなった頃、静かにこっそりと読むのが今私の村上春樹本の読書方法です。
ですから、今回も新刊は買いません。これからも彼の本を読み続けたいからこそ、騒ぎの中では読みたくないという考えなのであります。

さて、そのような熱狂的なファンがいる作家には当然、「読んだけどつまらない」「何を言いたいのかわからない」その他の理由で拒絶反応を示す方もいます。今日FBでもその話題を出された方がおり、私はその方にとコメントのやりとりをしたのですが、好きになれない理由のひとつとして「主人公の行動が理解できない」ということを挙げていました。それに対して私は、「理解する必要はありません」と返答しました。
なぜなら、彼の作品は、彼自身の言葉で言うと、「色々なものを一度全部ミキサーの中に入れて形が無くなるまで粉々にして出て来たものを別の形に並び替えて文章にしている」問プロセスを経てできたものですから、絵で言うと抽象画になるからです。抽象画を頭で理解しようとすると、だんだん面倒くさくなり見るのも嫌になってしまうことがありますが、感覚として受け止めることができたら、それは素晴らしい抽象画と評することができるはずです。村上春樹の小説はそのような傾向にあるものです。だから物語の展開や登場人物の理解できない行動をいちいち考える必要はなく、全部読み終えて(感覚的に)面白かったか、そうではなかったかだけで充分だと考えています。
しかし、この形を変えて別の表現で物語を展開するということは、相当の作者のイメージ力がなければできません。そういう意味でも村上春樹作品は強いインパクトを私たちに与え続けるのです。




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いつものことですが、写真と本文は関係ありません。


もし、あなたが何かの機会があって私の実物と会うことがありましたら、私は「変人」という前提でお話ししてください。そうしなければ、たぶん理解できない言動をすると思います。
とても真面目風な言動するように見せかけて、突然失礼なことを話したりするかもしれません。
本人には悪意はないのですが、どうも時には相手を傷付けたり、不信感を抱いてしまう言葉を発していることがあります。

孤独に悶々としているのが一番いいのかのもしれません。




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自分の身の安全を陰に隠れるように守りながら
何もせずに、あるいは自分では何もできずに
人の目を気にして、目立たぬように群れの中にもぐりこんでいる者は

怯えながら、身を削りながら、ひとりぽつりと立ちすくみ
無我夢中に何かをしようとする者を嗤うだろう

私も若い時は何かをしようとする者を嗤っていた
同じように嗤る者を見つけて、どこかほっとしていた
それはただ自分の身を護りたいからだった

でも、ある時から、独りで立ち自分を曝け出し
嗤う側から嗤われる側になろうと決めた

だから光も浴びず もがきながらも独りで闘っている者を見ると応援したくなる

ファイト!







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えー、14日から3月5日までjhmではない別人が写真展をやっているようです。
場所は函館国際ホテル。


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時間があったら行ってみてやってください。



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