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ここの静けさに溶け込み、大きな声を出さずに話をするのが好きです。
そうすると、自然と話し方も穏やかになります。

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ハードボイルドに酒はつきものですが、そのような気分で飲んだためしがまったくないのは私だけでしょうか?

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でも、時々知らない街のバーでひとりで飲んでみたいと思うのは、昔の映画に出てくるストレンジャーになりたいという願望があるからなのでしょう。
考えてみると、函館以外でひとりで飲んだのは札幌くらいしか記憶がないような気がします。

年末はどこかの街のバーで、ストレンジャーとしてぶらりと入って飲んでみたいものです。



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普通の方であればどこかの外国などを選んでいただろう。ひょっとしたら死んでしまうかもしれない。もし手術や何かで生き延びたとしても、通常の生活をするのが精一杯で旅に出るなどできないかもしれない。もしかしたら、ガンだったのが嘘であったかのように元気に生きているかもしれない。拾った命なのだから時間を惜しまず精力的に何かをするようになるかもしれない。実際そのような人が身近にいた。
いずれにしてもそうなってみなければわからない立場に自分がいることには間違いなかった。

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最初の医院から少し経って、やっと私は紹介された総合病院に行くことにした。そこで検査してもらったら、やはり血液中のある数値は基準値の3倍近くになっていた。その他CTスキャンなどの精密検査も受けたが、「ガンではない」という確証を得るまでにはならなかった。
医師はまだ別の検査をしてみたいので、その間ある薬を処方するから少し時間を空けてから来てほしいという主旨の話をし、とりあえずある薬を飲み続けることにした。

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その「しばらく間」に私は奥入瀬に行くことにした。奥入瀬に決めたのは、複数の人から「あそこはいいところですよ」という話を聞いていたからだ。その時、私は自分勝手にとても良いイメージを自分に埋め込んでいたのかもしれない。

そうだ奥入瀬に行こう。だが、そもそも奥入瀬というのはどこにあるのかすら知らなかった。そこでネット検索でやっと隣の青森県であることが分かった。「何だ、とても身近に奥入瀬があるのか」と分かった時、私はもう宿やレンタカーの手配を始めていた。そして、2014年9月2日の午後、私は奥入瀬にいた。

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奥入瀬は確かにきれいだった。まだ緑が陽の光に反射したり葉を透き通ったり、穏やかな眩さがと木陰のコントラストと川面に波立つ白い水流が、まるで小説でも読んでいるような絶妙な絵として描かれていた。思い切り吸い込んだ空気は清々しく肺に染み込んだ。函館からそんなに遠くない所にこんな素晴らしい世界があったのか。
来てよかった、と歩きながら思ったが、しばらく歩いていると、奥入瀬が持つある奇妙な光景をいくつも目にすることとなった。

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それは岩を抱えるようにしてそそり立つ木々であったり、無残にも命尽きた倒木であったり、倒れる寸前でかろうじて地面に這いつくばりそこから光を求めて上に伸びる樹木であったり、時にはそれらの木々を襲い、時にはそれらの木々に潤いを与えた川の水。川の水は倒木をものともせずに自然の法則に従って流れて行く。

それは美ではなかった。人間の否定も肯定も受け付ける余地もなかった。そこにあったのは私たちの想像を絶する長い時間によってもたされた「自然の掟よってできた姿」だった。容赦も何もない。倒れる運命にあった木々はその命を落とし、かろうじて生を保てた木々は逞しく空を目指して伸び、生と死の境にある木々は寡黙な自然の掟と闘っていた。

そう、奥入瀬にはあったのは、私たちの手の出しようがない「命の掟」だった。

何度息を止めてその光景を凝視しただろうか。そして思った。私の命は、今目の前に広がる無数の命の中のほんのひとつでしかない。小さな、とても小さな自然の中のほんの偶然で生まれてきた命にしか過ぎない。それは無情とも思える。だが、その光景は私に勇気を与えた。何も恐れることはない。自分という自然の中の一つの命を、その運命に任せて生きていればいいのだ。無残にも命朽ちた倒木と同じようにどこかで行き倒れてしまうかもしれない。運が良ければ何かに救われ、そこから自らの力で生き延びればいい。

どのようなことがあっても受け止めよう。それが与えられた運命なのだ。


函館に戻り、再検査を受けた結果、ガンではないことがわかった。普通であれば、とても喜ばしいことであり、ほっと胸を撫で下ろすことでもあり、希望に満ちることであるだろうが、私はそれをまるで普通の健康診断の結果を聞くかのような気持ちで聞いた。そう、私は運良く生かされたのだ。ただそれだけだ。それ以外のなにものでもない。

結果的にガンではなかったとはいえ、血液中のある数値が高かった原因となった病気はいつまでも私の中にある。そのため毎日薬を飲んでいる。その薬の副作用はけっこう私の日常生活を蝕んでいる。仕事中外出時、耐えられず車を止めて安静にしなければならない時もある。瞼を開いているのがとてつもなく苦痛になる時もある。

以前に比べて仕事を終えてからの外出(簡単に言うと飲みに行くこと)も次第に少なくなった。しかし、それはそれで仕方のないことだ。
「まだ私は生きることを許されている」のだから。

それから私は毎年奥入瀬に行くことにしている。今年は夏に東京にも行き、その後の仕事の問題解決に時間と心を費やされて、当初は奥入瀬に行く気にもなれなかったが、少しだけ心にゆとりができた時、やはり行きたいと思い始めた。そして10月の末奥入瀬と再会した。そこには季節柄青々しい葉を蓄えた木々の姿も、きれいに揃った紅葉が乱舞する姿もなかった。しかし、奥入瀬は奥入瀬そのものの変えずに私をを迎えてくれた。今回の滞在時間はそれほど多くはなかったが、今年も私は奥入瀬から来年また来るまでの命をもらったような気になった。そう、私はいつも奥入瀬に命をもらいに行っているのだ。

奥入瀬から帰って来て少しすると、それまでずっと重く私にのしかかっていた仕事上の問題が次々と解決され始めた。ずっと憂鬱な日々を過ごしたことが嘘だったかのように、物事が好転し始めた。毎年、奥入瀬に行ったら何か別のことでいいことが起きる。別に宗教的に意味合いを持って行っているわけではない。ただ行きたいから行っているだけだ。きっと、奥入瀬という壮大な命に、自分のちっぽけな気がかりなことが吸収されるのだろう。

また、来年も、再来年までの命をもらいに、私は奥入瀬にきっと行くだろう。



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