政府について~感情論/昭和のオヤジが語る_a0158797_20582600.jpg

新型コロナウィルスに関して、「私たち」がおかした過ちについて述べてきましたが、行政としてとらなければ為らなかった対策等について、また、そもそも政府というものは何なのか、そもそも国というものは何なのか、日本国民は国に何を求めて過ちをおかしたのかなどについて述べたいと思いますが、それは推測や私見であれ、論理的に述べなければならないものなのですが、人間ですから感情というものがあります。
その感情的な話をするのに最もふさわしいのが、このブログの品位(などあるかどうかはわかりませんが)をかろうじて保つためにしばらく蔵の中に閉じ込めていた昭和のオヤジであります。そこで今回に限り彼を開放し、思う存分話をしてもらいます。あっ、これから話すのは彼ですからね。私ではありませんよ。

「あ゛ー、苦しかった。人を暗くて寒い所に何年も閉じ込めやがってこの野郎。やっと出て来れたと思ったら、自分の都合が悪いから人に話をさせようなんて、なんてずるい奴なんだ、このブログ主は、えっ!まるでどこかの市長や総理大臣みたいじゃねえか。ふざけんじゃねえよ。だがな、せっかくやっとのことで出てきたから話させてもらうぜ、いいか、覚悟しろ」

「ずーと、オレが閉じ込められていた間、日本はどんどん腐ってしまっていた。けっ、オレが黙っていたのを幸いに本当に膿が永田町だったっけ、あそこに溜まってしまったてわけさ。何がって。それは後からゆっくり話すけどよ、まず、自民党総裁選に出馬しないことを決めたガースーだがよ、色々言われたけど少しかわいそうな気がしてならねえんだ。どうしてかって?そりゃ、ダメなところを挙げたらきりがないけどよ、でもな、たった1年の間に携帯電話料金を安くして、おいちょっと待て、安くしたのはいいけど、オレには使いモンにならねえから安いプランにしてねぇけどな、まぁ、それでも何もしないよりはましだ。それからデジタル庁だっけ?ああいうのをやっと作った。不妊治療の健康保険適用もやったな。これは画期的だぜ。そして、コロナ対策、まぁ、いつもやることが遅くて緊急事態宣言だとか対策もワンパターンで責められても仕方のないことは山ほどあるがな、それでも、そんなの難しいと言われた1日100万回接種、できるようになったじゃないか。ケッ、やればできるじゃねーか馬鹿野郎。こんなことをたった1年でやった総理大臣、そうそういねえぜ」

「そもそも、安倍の野郎が体調が悪くなったって屁理屈抜かして、一番大事な時に辞職しやがったあとに、つなぎの役割になってしまうかもしれないと誰でもがわかっていながら引き受けて、これだけのことをやったのだから、それはそれで評価してやんなきゃそりゃぁかわいそうってもんよ。少なくともな、自分のことが裁判沙汰になってて、コロナに何の対策もできねぇから人様の前に顔出しをしないで雲隠れしていた安倍よりもずっとマシだ。色々言われながら、支持率がどん底まで落ちても、気の利いたことは全然話せなくて、毎回オウムのように同じことを話しても、とりあえず話すべき時には話していた。安倍のようにこそこそ雲隠れしなかっただけでも立派じゃねえか。おっと、こんなことで立派とあやうくオレも勘違いするところだった。とりあえず話すだけでも立派と言えるくらい、日本の政治家は落ちぶれているってことだ。あぶねぇ、自分も何か低レベルなところで話をしてしまっているがな」

「だいたい、こんな腐った体質にしてしまったのは、最後は責任放棄した安倍って野郎のせいだ。オレがどうして安倍のことが気に入らねぇかって言うとな、仮にも一国のリーダーがだぜ、コロナで大変なことになっている時に苦しいけれどみんな頑張ろうぜ、ぐらいのことも言わなかったことだ。何もできないことは、アベノマスクで充分わかったがよ、自分の体調が悪かったかどうかはわからねぇが、血反吐を流しても這いつくばって国民の前に出て、何かを話すのが国のリーダーってもんじゃねえか。それすらしないで辞めやがって。だいたいだな、国会答弁で、立憲民主党に対して、東日本大震災の時、当時の民主党は何もできなかったしゃないかと散々馬鹿にしていたくせに、いざコロナが流行ったらそう言った自分が何もできなかったじゃねーか。ふざけんじゃねーよ。それを天に向かって唾を吐く、っていうもんだ。わかった、安倍」

「そもそも、そんな時、見ている方はあまり面白くなかったがよ、あんたを必死にかばったのがガースーじゃねえか。ところがその恩を忘れて、ガースーが総裁選に立候補しようとしたら無視しやがって。どこまで自分の都合ばっかり考えているんだ、えっ。だいたい安倍が去年充分なコロナ対策をしなかったから、ワクチンだとか諸々の準備が遅れてしまったことを、国民はもう忘れているんじゃねぇか。それを一から始めなきゃならなくなった、元々スローモーなガースーにとっては、そりゃぁ大変なことだったろうや。官房長官の時は一生懸命安倍首相を守ってやって、自分が総理になったら一身で安倍のツケを払わなきゃならなくなったなんて、なんで割に合わねぇことだがや。せやけどな、そのガースーも大きな間違いをした。それは、官房長官の時から言ってた「仮定の質問には答えられません」というやつだ。その態度が今回のコロナの対策が遅れた大きな原因じゃねえのか。政治家ってもんは、まだわからない将来のことを想像して、最悪のことも考えて実行策をシュミレーションしてみることが仕事なんじゃねぇのか。今の野党がだらしねぇからといって、どうせ選挙やっても自民党が勝つに決まっていると、国民を舐めくさっていた安倍の悪いところが一気にガースーの時に出てしまったとも言えるんじゃねぇか」

「もう、裏で画策している二階や安倍や麻生は国会議員を辞めた方が自民党のイメージが良くなるんじゃねぇかと思うんだがな、オレは。二階は歳も歳だし歩くのもおぼつかなくなっているんだから、デイサービスのお世話になってもらって、余生をあんな面倒くさい顔をしないで、もう少し穏やかに暮らしてもらえばいいじゃねぇか。安倍は辞職して『仲良し倶楽部』でも作って毎日ゴルフでも花見でも個人でやってればよかろう。麻生も辞職して『お坊ちゃま紳士倶楽部』でも作って仲間と酒を飲んで、意味不明なことを好きなだけ話していればいいんだってば。それが国民のためにもなるし、この三人が裏で糸を引いている限り、自民党は何も変わらねぇなと思えてくるべや。だいたい、この三人に引導を渡せない自民党の他の議員の力不足もそもそも問題だっちゃ」

「いいか、この三人が自分から辞めるつもりがないのなら、安倍の山口4区、麻生の福岡8区、二階の和歌山3区の人たちよ、今度の選挙では当選しないように考えてくれ。それが日本ためになることなんだからな。わかっているよな。落選したら今回の総裁選のような醜い駆け引きなんぞ無用になるのかもしれないんだがや。頼むぜ、あんたらの一票がこの政府をもう少しまとなものになるかどうかの分かれ道になるにちげえなねぇ。昭和生まれのオレが言うのも何だが、今はもう令和だ。昭和の体質をいつまでも引きずっている政府に危機感を持たねぇのか国民は。オレなんか、このままではろくでもない息子や娘だとか、可愛くてしょーもねぇ孫たちがかわいそうでならねえんだ。安心してあの世に行くこともできねぇんだよ、わかってのか政治家どもよ」

「だけどな、そもそも何で政府はいつも自民党なんだ。うーんよくわからねぇ。そんな面倒なことは、オレにしゃべらせたこのブログをやっている奴に話してもらいたいもんだ。オレはもう酒の酔いが回って、面倒くさいことは話す気にはなれなくなってしまったべ。あとは頼んだぞ、いいか。おっと、今日のところはここで身を引くが、またそのうちオレにもしゃべらせれよ。いいか、わかったか、てやんでぇー」

はい、相変わらず何年経っても下品で、出身地がどこなのかわからない言葉を使って好きなことを乱暴に話していましたが、しばらくはまた蔵の中でおとなしくしてもらおうと思っています。次回からはできるだけ論理的にこの国のことを述べてみたいと考えています。
再度お話ししますが、今日の昭和のオヤジの発言は、私とは一切関係ありませんので何卒ご承知おきくださいますよう重ね重ねお願い申し上げます。





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どうしてこんな中函館に来るの?_a0158797_14484267.jpg

現在北海道は緊急事態宣言下真っ只中ですが、函館は観光客が減少したことと、夜の飲食店が休業もしくは早じまいしている以外、特別人々の行動や暮らしぶりに変化は見られていません。
特に昨年から飲み屋さんにほとんど行っていない私にとっては、何も変わっていないと言えます。

先程、観光客が減少したと言いましたが、学生の夏休みや社会人のお盆休みが過ぎたから自然に減少したとも思えるような気がします。もちろん、コロナ前の賑わいではないのですが、それでも宿泊施設には夜になると、それなりに灯りが点いていますし、それと同じくらい、コロナ患者専用ホテルにも灯りが点いています。
何とも不思議な光景です。

西部地区に住んでいる私は、8月の中旬をピークとした人々の大移動の中で、これは明らかに帰省ではなく観光目的で来たのだろうと思われる、緊急事態宣言地域のナンバーの車を嫌というほど見ました。

どうして、最も強い自粛を要請されている地域から人が来るのでしょうか?私のような地方都市に住んでいる者は、緊急事態宣言下にある都府県には恐くて行けません。札幌にだって特に用がなければ行く気にはなれません。
もしそのような所に必要性もなく行って、万一コロナに感染したら、もう、周りから袋叩きにあうでしょう(笑)

ですが、大都市に住んでいる人はそんなことは気にはならないのでしょうね。その感覚は札幌などに長年住んだ経験がある私にも少しはわかる気がします。
わかるというのは、分析できるということであって、理解できるということではありません。

人ごみの中をかいくぐるように生活していると、あまりの人の多さに、その街で起きている出来事と自分との間の「身近さ」を感じなくなります。例えば、東京に住んでいたとして、昨年夏に感染拡大した夜の新宿は、いつも六本木で飲んでいる人からすると、まるで別の県で起きていることのように思われたかもしれません。
また、よく聞いたのが、周りに感染者がいないから自分も大丈夫という錯覚。
今の感染状況は災害級と言われていますが、他の災害と決定的に違うのは、その被害状況を視認できないことです。それもそのはずです。無症状者は当然その様子から感染を知ることもできないですし、発症したら多くの人は自宅で療養するか、宿泊施設に入るか入院するかのいずれかですので、直接的に感染者を目の当たりにする機会は医療関係者以外はあまりないからです。
もし、街を歩いている時に、目の前で激しい咳を繰り返し、意識も朦朧として、そのうち、ばたんと道端に倒れ込んでしまう人をたくさん見たら、誰でも大変なことが起こっていると認識するでしょう。
ただ、その場面が街中ではなく、その人の自宅で起きているだけであって、災害レベルとしては変わりはないのです。

私たちの生活が色々な面で便利で楽になった代償として、想像力を失ったのかもしれません。様々な情報を集約して、今世の中で何が起きているのかというものを想像する力が衰えたのかもしれません。

これには、政府のやマスコミの問題も多くあります。今までは一般の人々に対して、自分が考えたことを述べてまいりましたが、次回からは政治が私たちに何をしたのか、また政治はどうなるべきかについて、私が考えることを述べたいと思います。
たっぷりと、余すことなく話させていただきます。



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今は楽観よりも悲観を、自己正常化バイアスと私たちの間違い_a0158797_21505935.jpg

日本で本格的な新型コロナ感染が日常化するようになってから1年半以上が経った。
私たちは、この間多くのことを学んだはずだ。また、多くの間違いを犯した。ネットや報道などでも、様々な情報があふれ、何が正しくて何が間違っているのかの判断もつかなくなった時があった。
当初、新型コロナはただの風邪だ、という声を多く聞いた。私の周りでもそのような言葉を聞いた。新型コロナウィルスが日本に上陸し、感染が拡大し始めた頃、私はすぐさま毎日マスクを着用するようになった。その時社内では私の他1名しかマスクをしてなかった。次第に国内の感染者数が増えて来ていることに危惧を覚え、その話を近くの席の者に話すが、またか、といううんざりしたような反応だった。
その後、医療従事者などがテレビで、ウィルスは変異するたびに弱毒化するから心配ないとか、夏になって気温が上昇するとウィルスの活動も弱まり沈静化するだろうなど、「そのうち治まるさ」という空気がどこかで広がっていた。マスクをしている者に対して、マスクを信じているのかという物理的な概念ではなく信仰的な概念でマスク無用論を唱える者もいた。欧米諸国に比べて感染者数が少ない日本やアジアは体質的にこのウィルスには抵抗力があるのではないかという仮説も生まれた。そして、政府はGOTOトラベルキャンペーンを夏の第2波が来ているにも拘らず続行し続けた。

だが、こられはすべて「楽観」することによって自己の精神を防衛する自己正常化バイアスでしかなかった。すべてが逆の結果となり、私たちは大きな間違いを犯していたという認識を持つ必要に迫られた。楽観したい者は、悲観的で不安をあおる者の言葉に聞く耳を持たなかった。しかし、現実は悲観的な見解を述べていた者の通りとなった。

やっと国民全体に危機意識が拡がり、マスク着用率も高まったが、ただマスクをしていれば感染しないという自己正常化バイアスあるいは「皆しているから自分もしなければまずい」という本質から外れた思考で正しく着用していない者がいる。ウレタンマスクは透過率が高く効果的ではないという多くの情報が流れながらも、かなりの割合で着用している人を見かける。また、不織布マスクでも、きちんと折らずにただそのまま平面的に着用している者も多い。いくら不織布でも、顔面とマスクとの隙間が多ければそこからエアロゾルが入ったり漏れ出したりすることを理解していないようだ。不織布の効果を最大に出すことができるのは、鼻の形に合わせてワイヤーを折り曲げ、頬の部分に隙間を極力無くすように着用する、すなわち密閉状態を作ることよって得られる。

やっとワクチン接種が進み、後何か月先になるかわからないが、重症者数は減少に転じるだろう。しかし、ここでも危険な自己正常化バイアスは人々をコロナの脅威に陥れるかもしれない。ワクチンを打ったからもう安心だ、元の日常に戻れる。そう楽観的に思っている人には、再び厳しい現実を目の当たりにしなければならなくなるだろう。今日、あるネットニュースでアメリカのLAの新規感染者のうち、その3分の2がワクチン2回接種者だったという。おそらく、接種したからマスクをせずに「日常的」な生活や行動をしていたからではないかと思う。
ワクチン接種率トップクラスのイスラエルやイギリスの感染者数も再び上昇している。菅首相はロックダウンしてもすぐリバウンドしている国が多くあると述べているが、それはロックダウン解除後にその国民がマスクをしていなかったからだ。

私たちが考えなければならない最も重要なことは、できるだけ科学的に悲観的に日常を送ることだと思う。現実として、今まだ新型コロナの治療薬はない。無い以上私たちは注意深くウィルスに感染しないよう気を付け、また、ひょっとしたら無症状だがもう既に感染しているかもしれないという前提で、きちんとしたマスクの着用やリスクの高い行為を控えるという行動をとるしかない。

私は、新型コロナが「ただの風邪」として私たちが安心して「新たな日常」を送ることできるのは、ちょっとした症状であれば市販の「コロナ薬」の服用で対処し、それでも改善しなければ、近くの町医者を訪れて簡単に「コロナ薬」を処方してもらえることが可能になった時だと「悲観」している。それまでは私たちはマスクを外せないと考えている。
それ以外に今は何があるのだろうか?神風がどこからか吹いてきて、ウィルスを弱毒化してくれるという都合のいいことを考えるのは極めて非科学的である。ひょっとしたらそうなる可能性もあるかもしれないが、それを自信を持って主張できる科学者は誰もいないだろう。

今、世界は新型コロナウィルスの登場によって「強制的に」物事の仕組を変えさせられている。思考や意識の変革を迫られている。その中で生き残れるのは、より悲観的な結果を想像し、それを打開する新しい考え方を持つ人間であろう。なぜなら、窮状に陥っている者が這い上がろうとするパワーは、楽観的な人間の比ではないからだ。



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