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電車通りの青柳町電停を過ぎた時、あるいは函館公園から見下ろした時、そこにはまるで小さな盆地のような地形の地域が広がる。
この地域には、函館八幡宮があり、日魯漁業の創始者の一人の堤清六や谷地頭温泉を掘り、市へ寄贈した石塚弥太郎などが住んでいた。つまり、昔は閑静な高級住宅街であったのだ。

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谷地頭・青柳・住吉町の旧富裕層の敷地は広い。元町などでは相馬邸以外には見ることができないくらい広い。たぶん、建物が飽和状態だった西部地区を避け、明治や大正の富裕層はこの地域に広い土地を求め、居住したのだろう。

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ところが、度重なる浸水に次第に人々は嫌気をさしたのか、この地を離れる者が絶えなくなった。売り地の看板がいたるところにある。

そして、大森浜側に進むと、小さな「けあらし」の向こうに下北半島が見えた。

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今日、休日を利用してある取材原稿の執筆を行った。檜山の厚沢部に関してのものだった。恐らく私が書いた文章を全部読んだとしても、10分もかからないだろう。だが、その文章を書くために何十時間もの現地取材と写真撮影、原稿執筆時間が必要とされた。つくづく文章を書くために必要とされる情報・視点を勉強させてもらった次第である。

色々な取材を重ねる中で、現地の方には大変失礼だが、「こんな所でこんな取り組みが!」という意外性をたくさん見せ付けられた。例えば、日本でここだけしか実現していない冬場のグリーンアスパラのハウス栽培、北海道では栽培不可能とされていたサツマイモの栽培。サツマイモは他の作物と同じように、1日の寒暖の差が大きければ糖度が増し美味しくなるそうだ。また、道内では初めての農業労働力支援組織の設立など、私たちが知らない事柄で独自のものを自ら開発しているのだ。

その探究心に驚いた。そして、少し冷静になって考えてみた。ここまでの取り組みができるのはなぜなのだろうか?もちろん新しいことへの挑戦を厭わない町民性もあるだろう。だが、これは想像だが、人口が減少し産業も衰退する中での危機感を町民が共有したからではないのか?その危機感から「何かをやらなければ」というモチベーションが強く芽生え、町民挙げての努力の結晶が、上記のような独創的なものを作り上げることができたのではないかと推測してしまう。
もちろん衰退している地方自治体は他にも山ほどある。その中で住民全体が危機感を覚えて真摯な取り組みをしている所はどれほどあるだろうか?

夕張は炭鉱の閉山という絶望の中から、火山灰質の土地という悪条件を克服して日本最高峰の「夕張メロン」を産み出した。ところがそれでも破綻した。私たちはその悲惨さを勉強させられたはずだが、人間、とりあえず生きていれるうちは、そこまでの意識は芽生えない。

では、函館はどうなのだろうか?函館のONLY ONE が何か考えてみた。夜景や古建築物などの昔からあった「遺産」は別として、すぐ思い付いたのがバル街と野外劇くらいのものだ。きっともう少し整理して調べるとまだあるのかもしれないが、胸を張って誇れるものは思い付かない。
函館は開港という他から与えられた偶然な出来事から海運貿易で日本でも有数の都市となった。戦争によって海外の商人が撤退しても北洋漁業の基地としてのステイタスが残っていた。だが、それも日ソ漁業交渉での度重なる漁獲量抑制によって次第に力を無くした。それでもまだかろうじて造船業が残ったが、それも僅かしか持たず、結局函館を救ったのは観光であった。つまり、違う言い方をしたら、函館市民であるということだけで何とか生きて来れたのだ。

しかし、観光客も次第に減少して来ている。次の偶然はあるのだろうか。それとも函館にしかない独自のものを私たちは誕生させることができるのだろうか。
実はないわけではない。その基となるのは、世界トップ水準の研究を誇る北大水産学部である。ここで研究・発表されたものは最先端を行っているものが数多くある。そして、その成果を地元水産会社に還元しようとした。ところが、市内の水産会社は高レベルなマリン・バイオ・テクノロジーを取り入れた商品開発をしようとはしていないようだ。作り出す商品は、従来からの加工品が主流であり、その域を脱しようとはしていない様子だ。
とりあえずそれでやっていけているから、いいと思っているのだろうか?

別に水産会社を悪玉にあげようとしたわけではない。今の市民性の特徴を象徴していると思えたから事例としてあげただけだ。このように書けば、また函館の批判ばかりといわれそうだが、この記事を印刷して何十年後かにできれば読み返して欲しい。もし、再び偶然という天からの贈り物があれば別だが、もしなければ・・・・・。そこまで函館市民が無感覚だとは思っていないし、これからもそう信じていたい。


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