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実行時にある日仏親善函館発祥記念碑。

それは江戸時代の1855年6月、フランスの軍艦シビル号が多数の乗組員の病状悪化により予定外の函館に緊急寄港した。同船は治療のため上陸許可を箱館奉行に求め、まだ和親条約を締結していなかったにも拘らず、人命を優先し、竹内下野守保徳は独断で上陸許可を与えた。そして、乗組員は実行寺に収容され医師の治療を受けることとなった。
また、同年7月にはフランス軍艦コンスタンチーヌ号も入港して同じく実行寺にて治療・保養を施し、うち6名が死亡したがその他の乗組員は完治して同年9月に無事出港できた。
この記念碑は仏教徒とキリスト教という異教徒同士の絆の証として建立されたものだ。

これが記念碑が建立されたいきさつの概要だ。
しかし、何でも物事を関連付けてしまう性格の私はこれで終わらない。フランス人のメルメ宣教師がその直後の1859年に来函しているのだ。もちろんキリスト教の布教のためではあるが、余りにもグッドタイミング。当時の航海を考えると、軍艦が帰国して、「いやー、日本の函館という所で大変世話になった。函館の人はいい人ばかりだぞ」と世間に広めて、それを聞きつけたカトリック系の司教が、「そんな素晴しい所であれば私たちの教えも理解してもらえるだろう。そうだ函館に宣教師を派遣しよう」と決めて、メルメ宣教師を派遣した、とすると時間的にぴたりと辻褄が合う。(これは私の勝手な想像で、証拠となる文献も伝聞も全くない。単に日仏和親条約が締結されたからという理由からかもしれませんので、どうぞご注意を)

それが本当の経緯かどうかはわからないが、多かれ少なかれ奉行と実行寺の行いがカトリック系の来函に影響を与えたと考えてもおかしくはないと思う。
そして、遅れること1896年カトリック系のシトー会が当別に日本初のトラピスト修道院が創立される。2年後の1898年には女子トラピスチヌ修道院天使園が創立された。
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どれも、今の函館の観光には欠かせない施設である。
つまり、私たちが誇る函館の名所の幾つかは、先人の勇気ある善行によってもたらされたものであると推測できるのである。本当に先人に感謝感謝である。

ちなみに、そんなことはつゆ知らずの若い頃、この寺に夜にギターを弾きに遊びに行った私は、静まり返った境内の雰囲気が怖く、なるべく演奏や話が途切れないようにしておりました。安眠している先人たちには多大なるご迷惑をかけたと反省しております。
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大森町の一角。昭和の面影がたっぷり残っている地区だ。

本日は、昭和時代をまだ忘れられないいい歳をしたおやじが何か話したいそうなので、話させてみます。

「おい、何だこのブログだかフクロだか訳のわかんないもんで小難しいことを気取って喋っている奴は。カッコつけるんじゃねえよ。だいだいだな、言いたいことがあるんだったら一言で言えばいいじゃねえか。まぁな、太宰治ちゅう作家も一言で話せないから小説を書くんだとか言ってたのを人から聞いたことがあるから、わかんねぇわけでもないけどよ、オレのガキの頃にこんなしち面倒せえこと喋ってたら、すぐに誰かにふざけんじゃぁねえ、って一発ぶん殴られていたもんだ。へっへっへっ、実はオレもそれでよくぶん殴られた部類の人間よ」

「だから喧嘩はよくしたぞ。だがな、自分より弱い奴には手を出さなかったぞ。当りめぇじゃねぇか。そんなの男の風上にも置けねえ。だからよ、オレが喧嘩したのは全部上級生か1対3とか4というとても勝てそうにもない奴らとばっかりだ。何か知らんが生意気だとか何とかぬかしてオレにかかってきやがるんだ。しゃぁねえ、オレも相手するわけよ。結果はいつも負けだ。当りめぇじゃぁねぇか。あっちの方が体格が良かったり、人数が多かったりするんだから、勝てるわけがねぇ。いっつも傷だらけになって家に帰ってたよ。だがな、おっかぁには誰にやられたかなんて一言も話したことがない。みっともねぇじゃないか」

「ところがな、情けねぇ奴がいたんだよな。4人でオレにかかってきた奴らがいて、頭にきて、オレ、近くにあった石を奴らに投げつけてやった。そしたら、それが一人に当って怪我してしまったんだな、これが。そしたらよ、しばらくしてからそいつがおっかぁと一緒にオレの家に来やがった。そして、そいつのおっかぁがオレにいじめられたみたいなことをオレのおっかぁに言いやがった。まぁ、早く言えば謝れってことよ。ふざけるんじゃねぇ、4人も束になってオレにかかってきたのに、いざテメェが傷付いたら謝って欲しいだなんて、だいたいだな、1人を4人で袋叩きにすること自体卑怯なのに、そいつ自分が恥ずかしくねぇのかと思ったわけよ」

「それでもオレはそいつらのことは喋らなかったぞ。じっとそいつの眼を見ていた。泣きそうな眼をしてやがった。根性がねぇなと思った。オレのおっかぁが謝ってその場は終わったがな、オレのおっかぁもできたもんで、一切オレを責めなかった。これは今でもありがてぇと思ってる。大人になってから思ったけどよ、そんな奴らがいじめをやっていたんだな。弱い奴とか少ない人数しか相手にできなねぇ情けない奴らよ。だがな、男だったらよ、喧嘩する時は自分より強い相手とするもんよ。それが男の心意気、意地ってもんよ。わかったか、てやんでぇ」

大変下品で失礼しました。尚、このおやじが何弁で喋ったのかわかりません。どうぞご容赦ください。
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2月の大雪の後の姿見坂。常盤坂に比べ、高層住宅があるせいかすっきりと家並が見えませんね。

本日の函館は雪です。
私が住む姿見坂からは、上の晴天の写真に見える対岸がほとんど見ることができません。
2~3日前からまた急激に寒さが戻り、ちょっと風邪気味になったため、休日の今日これから谷地頭温泉で体を暖めようと出かける予定です。

そう言えば、昭和30~40年代の函館の冬は、上の写真のように道路の両側に雪山があるのが当り前でした。小さな頃、悪さをすると父親に雪山に投げられた、という記憶があります。同世代の人間に訊くと、やはり同じような経験があるという者がけっこういます。

今なら児童虐待と言われそうですが、当時の親は手加減してやっていたようです。