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green grassがあった場所。市役所のすぐ近くだ。

『House of』にいると、時間はゆっくり流れた。窓の外を見ると、ちょうど窓枠が額縁の代わりになり、静かに動く風景画を見ているようだった。その風景からは詩が生まれ、歌が生まれ、絵が生まれた。
一度、自分が作詞作曲した歌を、アコースティックギターの弾き語りをテープに録音し、マスターに聞かせようと持って行ったことがある。偶然客が誰もいなかったため、その時を狙いスピーカーから流してもらった。改めて自分の歌を聴くとひどかった。完全に場壊しだった。しかし、マスターは何度もかけ、よせばいいのにお客さんが来てからもまたかけた。恥ずかしかった。
恐らく、歌そのものよりも曲を作ってそれを聴かせようとした私の行為を喜んだのだろう。その証拠に、東雲町にあった『green grass』で行った私のプライベートコンサートに店を抜けてわざわざ聴きに来てくれた。

『House of』にはボルシチがメニューにあった。生まれて初めて食べて、市内の他店には勿論無かった奥さん特製の逸品だ。この特製ボルシチを昼食にすることが時々あったが、たまに作りおきが無い時は出来上がるまでずっと待った。それくらい美味しかった。
この奥さんは日本人離れした美人で服装のセンスも素晴しかった。同年代の男だったら、何とか話すチャンスを作れないかと機会を探ってしまうだろう。また、持ち前の明るさから市内に色々な知人を持っていた。彼女の紹介でジーンズ専門店に私が作ったデニムバッグを売りに出してもらったことがある。これは最後まで売れなかったが、それを知った友人には新たに作るデニムバッグを格安料金で注文を受けることになった。

楽しい思いほど長くは続かないのが世の常だ。『House of』が閉店する時がやって来た。理由は、奥さんの妊娠だった。確かに私たちのようなコーヒー一杯で長時間居座っている客を相手にしていると、金にはならなかったのだろう。マスターは札幌に戻り、ジョン・レノンのような長髪を切り、サラリーマンとなった。

『House of』なきあと、『green grass』に行く頻度が高くなった。高校3年の冬だった。
その頃、イーグルスの「Hotel California」が世界的な大ヒットとなっていた。完璧な曲だった。歌もメロディーも演奏も文句の付けようが無かった。そしてこれで「ロック」は終わった。

その後札幌に移り住んだ私は夫婦の家に時々遊びに行った。店から離れたマスターは私にこう言った。
「〇〇君(私の事)たちは可哀想だね。熱中するものがないから」学生運動と私たちの世代の違いのことだった。
そして、奥さんは函館のことをこう言った。

「函館は、街は好きだけど、人は嫌いだ」

ショックだった。あの笑顔の陰でそんなことを思っていたのか。ところが、この言葉はやがて単に初めて聞いただけという事実となった。その後今まで、他都市の人から何度もこれと同じ意味の言葉を聞いている。その度いつも複雑な思いになる。その人が言う、嫌いな函館の人とはどのような人のことなのか?

2年ほどして帰省すると、『green grass』は店主が替わっていた。そしてスピーカーからはマイケル・ジャクソンの「スリラー」が流れていた。
もう何もかも終わったのだとつくづく思った。

ある意味、私の時間はその時から大きく動いていない。いくら遠ざかろうとしても惹きつけられる街「函館」で育った私が背負った「函館の人は嫌いだ」という何人からも聞いた言葉を払拭できずにいる限りは。
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堀川町のこの建物の中央にHouse of はあった。今も若干の名残がある。

昭和49年頃だったと思う。私が高校1年生で、喫茶店で遊ぶという習慣を覚えていった時、高校から近い場所にロック喫茶を見つけた。堀川町のキングストアを曲り的場町方面に進むと『House of』はあった。
若い夫婦が経営している10人も入ると通路を歩くのが窮屈になるほどの小さな店だったが、そこで拡がった友人の輪はとてつもなく大きかった。

この『House of』という店の名前は、開店を控えて名前を考えた時、〇〇の家という名にしようとあれこれ考えたが、結局開店に間に合わずそのまま「の家」だけにしたそうだ。正式名は『House of ~』なのだが、~はお客さんが勝手に考えてくれればいい、というコンセプトになったそうだ。

ところでこの喫茶店はごく一時期のごく限られた人しか知らないと思う。営業していた期間が昭和49年頃から昭和51年いっぱいくらいまでだったからだ。その時期は私の高校の在学時期と一致する。まさに私にとっては高校生活そのものだった。

その時代は、頭脳の中に宇宙がある時代だった。

私と同年齢でアマチュアロック演奏活動をやっていた者の半数以上はこの喫茶店に行ったことがあると思う。当時、函館にはロック喫茶と呼べる所は、ここと本町の『帰郷村』(ここにはよく八方亭のメンバーが来ていたそうだ)と東雲町の『green grass』くらいしかなかった。そして、なぜか私と同世代の者は『House of』に集まった。

『House of』のマスターはいわゆる団塊の世代であり、また、学園闘争に明け暮れていた人間のひとりだった。夫婦とも札幌出身で「様々な若さゆえの理由」で函館にやって来て店を構えたのだ。
音楽は多岐に亘っていた。ボブ・ディラン、ザ・バンド、ドアーズ、キング・クリムゾン、ジミ・ヘンドリックス、ジョン・レノン、ウィッシュボーン・アッシュ、ジェフ・ベック、スティーリー・ダン、イーグルス、ジャクソン・ブラウン、ドゥービー・ブラザーズ、オールマン・ブラザーズ・バンド、ジョン・コルトレーン、マイルス・デイビス、その他ロック・ブルース・ジャズがマスターの気分で選ばれ、店内に流れていた。

これらはそのまま私の今でもお気に入りの音楽として残っている。それくらい多感な時期の私に影響を与えた店であった。
そんな店も閉店を迎えた。閉店後夫妻は札幌に戻ったが、私は交流を続けた。そして、札幌で奥さんから聞いたある言葉が、多感だった頃の私の記憶としてずっと残ることとなった。

次回に続く。
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この建物の素晴しいところの一つに、後ろの自宅?まできれいに手入れしてあることがあげられます。
明治時代後期の写真を見ると、この末広町はこのような美しい建物が多く並んでおり、とても日本とは思えません。
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これらも、よく残っていた!とおおいに讃えたいものです。