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今、公共事業という名の破壊が進行中のエリア。こんなに緑豊な「弥生の杜」だった。(昨年6月撮影)

同級生の前に亀井勝一郎の話をしよう。
と言っても、氏の研究家でも何でもないので、この小学校在学中に知ったほんの一部のことだ。

当時、卒業間近の6年生は校長室に何名かずつ呼ばれ、昼食会が開催された。昼食といっても給食をただ校長室で食べただけのことだが(何か一品給食メニューに無い物も付け足された記憶があるが、料理は覚えていない)、食事の最中に校長が亀井勝一郎氏の弥生小学校在学時代の話をしたことはよく覚えている。
学校の史書なのか言い伝えなのか、話の出所はわからないが、亀井氏の小学生時代は相当な腕白少年だったらしい。氏は子供用の着物(流しのようなもの)を着て、夏冬問わず下駄履きで登校して来たという。豪快でとても学問の道に進むという印象を受けない子供だったという。
その話をして、校長は壁に掛けられてある人物画に顔を向けた。それは校長が話したままの姿の亀井氏の絵だった。

亀井氏の他にも多くの逸材が輩出されている学校だが、肖像画があったのは氏のものだけだった。

今破壊中のこの校舎の中に、まだその絵は残っているのだろうか?
私には校舎という物体だけではなく、文化まで破壊されている気がしてならない。
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現在この弥生坂面の校舎破壊工事が続行されています。


前回までは弥生小学校の醜かった部分をお伝えした。いじめはどこにでもあったことかもしれない。ただ、障害者という社会的弱者に対してのことだけに、この学区に住んだ人間の一面として紹介しました。

勿論こんな生徒は少なかった。そして何よりこの地域は明治時代の函館の中心部だったのである。明治時代からの名家もある。官庁務めの家族のための宿舎もある。これが独特の生徒構成を生んだ。
同級生の中には誰でも知っている大地主の親族の子供や大手港湾作業系の会社社長子息から、教会の牧師の娘、大学教授の息子、有名飲食店の息子、歴史的建造物に住む本州であれば旧家と呼んでもおかしくない家の子供などがいる反面、船員の父親を海難事故で亡くし、貧しくて新聞配達で生計を助けている者や火事で火傷を負っても満足な手当もできずにケロイド状態のまま思春期を過ごさなければならなかった者(きれいな心の持ち主だった)等貧富の差が一クラスの中に同居する学校だった。
これも私のその後の考え方に大きく影響を与えた環境であった。

人は決して平等ではない。しかし、同じ仲間であるはずだ。

こんな様々な環境で生きている者が集まって小学校が成り立っていた。まさしく社会の縮図だった。そして(今になって思えば)そんな子供たちが一緒に無邪気に遊ぶことができたはこの時期だけだったのかもしれない。中学生になり、学業の成績の順位がはっきりわかるとグループが別れ始めてきた。次第に卒業後の進学校が見えてくるからだ。本当に恐らく弥生小学校でなければ経験できなかったことだと思う。

そんな中で、私にカルチャーショックを与えた同級生がいた。
次回はその生徒の話をします。
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1月13日の弥生小学校。抜根作業が続けられています。この寒さの中で移植するのか、あるいは廃棄するのか、いずれにしても永く校舎を見守って来た命が失われるではないだろうか?


弥生小学校には特殊学級があった。知的障害や情緒障害等を持つ子供が通うクラスだ。
まだ物事の分別のつかない小学生にも、何らかの障害を持つ子供たちだとわかった。私は彼らとのコミュニケーションの仕方がわからなかった。だから、じっと見続けるだけだった。それしかできなかった。
ところが、また、ここでも許せない関係を持とうとする者がいた。泥を飲まされた子供はここでは比較的何もされずにいた。(1~2度いじめられているのを見たことがあるが) 最も許せないことを何度も繰り返された特殊学級の子供が他にいた。

その子供は、例えば彼を見かけた時に「わっ!」と驚かすと、「もうしない、もうしない」と身を縮め後ずさりして恐怖におののくという行動をとった。その反応が面白くて何度も繰り返す者や真似する者が絶えなかった。彼には強迫観念的なトラウマがあったのだろうと思う。勿論私にはその原因はわからないが、彼の反応を面白がる者の気持ちもわからなかった。
一度だけ彼が急に私に向かってきたことがある。私が彼に何かを言ったわけでもしたわけでもない。突然だった。私は身の危険を感じ身構えたが、寸前で彼は身を止めた。このような行動をとった理由はわからない。わかるという方がおかしい。ただ一つだけ想像できるのは、私が彼に対して何もしない人間だということを彼が認識していただろう、ということだ。だから、脅かさない人間には普段自分がやられていることをやれると思ったのかもしれない。勿論これは私の推論であって、本当は別の理由だったのかもしれない。

世の中の悪循環はこうして生まれる

これは何も弥生小学校だけの問題ではないのかもしれない。他にもたくさんの事例があるだろう。
たまたま私が特殊学級を有した小学校に在籍して経験したことは、私のその後の考え方に大きく影響を与えた。「普通の人」という仮面に隠れた素顔を見ようという習慣が身に付いてしまった。
弥生小学校の解体に疑問を持たない、あるいは持っても決して口に出さない人が函館においては「普通の人」だろう。

これは想い出の陰の部分である。また、こんな生徒がたくさんいたわけではないし、決して「荒れる学校」だったわけでもない。この校区が持つ独特の幅広いタイプの生徒たちがたくさんいた。

次回はその同級生たちの話をします。