弥生町のみかづき工房。
先程、突然東京に住んでいる高校時代の同級生から電話が来た。恵比寿で同級生が3人集まり、呑んでいるとのことだった。電話をかけてきたのは、杉の子の前マスターの息子、すなわち元子ママの弟だった。
3人のうち2人はたまに電話で話したりすることがあったが、もう一人は、何と高校時代からずっと会ってもいなければ電話でも話していなかった男だった。元子ママの弟は彼に電話を替わってくれた。
35年ぶりに声を聞いた。声のトーンに高校時代の面影が、やっぱりあった。ちょっと弱々しい呟くような話し方だった。すぐに高校時代の彼の姿が甦った
彼は仲間の中でも、早くから煙草を吸っていたということを除いては最も真面目であった。遊び盛りの我々からすると、ちょっと遊び方が物足りない気もしたが、やはり今も彼らしく真面目にサラリーマンをやっていて一番堅実な生き方をしているのかもしれない。
結局3人とひとつの携帯電話をとっかえひっかえて話したが、誰もがそうであるように、この時はみんな高校時代に戻っていた。昔話をすると、その場面が思いもよらず甦ってくる。普段は思い出そうにも思い出せない場面がいとも簡単に再現される。
話す言葉も、とても50過ぎの人間の言葉にはなっていない。10代に使っていた言葉になってしまう。私以外はそれぞれそれなりに責任のある立場になっている者たちがだ。
彼らは言った。今こんな風に同級生が集まることになったきっかけは、昨年の冬に偶然杉の子にてママの弟と再会したことだったと。その時のことを記事にしている。⇒
杉の子にて~旧友との再会
今日までの間に仲間の一人が死んだ。そのことがよりみんなの思いを強くした。
私は、それが流れなのだろう、と言った。元来私は流れに任せる性質である。
ママの弟は、退職したら函館に戻ってまたギターを弾きたいと言った。一緒にやろうと誘われた。それも悪くない。だが、私の場合はドレミファから再度始めなくてはならない。まぁ、いいか。それも実現したらひとつの流れだ。
今日もまた仕事のために花火大会は見ることができなかった。だが、私たちの会話の宙で小刻みな花火がいくつも上がった。遠い日の花火は、やがて導き合い、再び私たちに少年時代の時間を与えてくれるだろう。
その時は、男だけの加齢臭が重なり合う集まりになるかもしれない(笑)それはそれでいい。それも流れなのだから。
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