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会津若松から南へ下り、芦の沢温泉を過ぎたあたりから細い山道に入ってしばらく行くと、突然開けた一帯が現れ、私たちはその入り口近くでバスを降りた。

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ほとんど中央の広い直線400mほどの道路の両脇にある建物だけで構成されている大内宿。
以前夜の報道番組で中継を見た時、行ってみたい日本の場所のひとつとなった。

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最初は1軒1軒の建物を撮影していたが、そのうちそういう撮り方ではこの場所の良さが残せないのでないかと思って来た。

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重なる家々が織りなす風景がこの街が記憶に強く刻み込まれていく。

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今度ゆっくり来れることがあったら、村の人と色々な話をしたい。今回はそばも食べれないほどの短時間滞在だったから。




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えー、14日から3月5日までjhmではない別人が写真展をやっているようです。
場所は函館国際ホテル。


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時間があったら行ってみてやってください。



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来月の個展用のモデル撮影、その他「部品」の作成をひとまず終了しました。

これから、たぶんしばらくの間沈黙します。





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大晦日の夜、こんな写真を撮りに歩いていました。

よくこのブログでは登場する場所ではありますが、今回大切にしたいのは「色」であります。
といっても、この色がベストと言っているわけではありません。この場面を写真展に使用するかどうかは決めていませんが、今度は色が決め手となるでしょう。
もしこの写真を採用したとしてもきっと全然異なった色に変化していることでしょう。

さぁー、これからが真剣勝負です。



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昨日は会社の御用納めで、午後からは実質的な年末年始休暇となりました。
仕事から解き放たれると、早速2日連続でモデル撮影を開始。
何しろ、2月には個展が待っているものですから、もう予断は許されません。
この写真は撮影の合間に、モデルさんが何気なく窓の外を見ているところを撮ったものですが、本当に画像がきれいになりました。さすが3000万画素でございます。

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ご覧のように焦点が合っている部分の髪の毛は、1本1本きれいに写っています。ちなみにこのブログではサイズを圧縮しているため、拡大してもそのきれいさはそのまま出ませんが、原画像はフルサイズのRAWでありますので、拡大してもちゃんときれいに写っています。

さて、こんな風にきれいに映った画像を壊すところから作品作りが始まります。せっかくきれいに撮れたのにと思われますでしょうが、壊すためにも元となる写真が繊細でなければならないのです。それがなければ、ただの「壊れた写真」になってしまいますから(笑)

今度の写真展はこの年末年始休暇にどれだけ作業を進めることができるかで、結果の良し悪しが決まって来るのではないかと思います。はい、今年の年末年始はPCに釘付けになります(というか、ならなければまずい・・・・)



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今日NHKスペシャルでボブ・ディランに関しての特集を放映していた。
同時に他局で放映していた忠臣蔵とどちらを見ようかと迷ったが、やはりボブ・ディランを見てしまった。ここで、このブログのタイトルをボブ・ディランの著名な曲名から拝借している私がなぜ迷うのかと疑問に思ってしまう方もいるかもしれない。ボブ・ディランのファンでありながらなぜ迷うのだと。

その理由はある時から、私はボブ・ディランを聴かなくなってしまったからだ。どうしてそのようになったか?遡ると、それはディランの初来日コンサートから始まった。当時としては、来日していない最後の大物ミュージシャンが初めてやって来るということで、日本のディランファンは興奮の坩堝にあった。私もそうだった。当時札幌に住んでいた私は、東京にいる知人に代わりにチケットを取っていただいた(今のように電話やインターネットやコンビニで簡単にチケットを取れる時代ではなかった)どうせ見るなら2日間見たいと1978年2月28日と3月1日のチケットを依頼し入手できた。くしくも、この両日の演奏はのちに「武道館」というアルバムに収録され発売された。つまり私が聴いた演奏そのものが記録として残ったことになる、わたしにとっても感慨深いコンサートとなった。

しかし、ボブ・ディランに対する期待の大きさからか、来日する前に公演していた「ローリングサンダーレヴュー」というツアーの演奏が素晴らしすぎたため、武道館での演奏はロックではなく、「ザッツ・エンターティナーショー」に聴こえて仕方なかった。何かを強く訴えるような強烈なボーカルは聴けず、まるでラスベガスのアメリカンポプュラーコンサートを聴いているようだった。バック演奏もきれいに整って、用意された曲を次々とこなしていく、そんな感じに受け取ってしまった。「ボブ・ディランショーにようこそ!」
そのような演奏スタイルに変えたのにはディランなりの考えがあったのだろうが、私は失望して東京から札幌に帰った。

札幌に帰った後、2週間後にトム・ウェイツのコンサートが札幌市民会館であった。当時はまだ彼の名は認知度が低く、私は一番前の席でトムを見ることができた。つまり、彼の表情の変わり方などもはっきり見える位置にいたということだ。そこで気付いたのは、まるで酔っ払いながら煙草をくわえフラフラになって歌うのが全て演技であったということだった。歌は酔ったふりをしても、目は覚めていたのがはっきりと分かったからだ。

私にとっての大きなショックが立て続けに短期間に起こった。しばらくの間自分の部屋にいても誰のレコードも聴く気がしなかった。どうせ全部ショーなんだろう。
次第に私は音楽よりも恋を大切にするようになった。少なくとも彼女の一挙一動はショーではなく、彼女の本心から現れているという実感をつかめることが自分にとっての一番リアルなものだった。
そして次第に私はボブ・ディランを聴かなくなっていった。一応、「武道館」の次のアルバム「ストリートリーガル」は購入したが、そんな後だったためか特別な感慨をもって聴いたという記憶がない。そして、次の「スロートレインカミング」は購入する気にすらならなかった。次第にボブ・ディランは私にとって、10代から20歳にかけての最も多感な時期のひとりのスーパーヒーローだったのだ、という過去形の存在にしようとしていた。

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だが、しばらく年月が経ち、猛烈にディランを聴きたいと思うような時期がやって来た。40代に入ってからだ。まるで自分のルーツを探すかのようにボブ・ティランの昔の曲をむさぼった。発売されてから30年以上も経った(その頃はもうCDになっていた)を聴き返した。そこから少し冷静な目でディランを見るようになった。
「どうして彼は原曲とは全く違うメロディで歌うのか」ということについても考えてみた。ボブ・ディランの音楽がつまらなく感じて来たのは、どこ曲を歌ってもみんな同じメロディになってしまっているからというのが大きかった。よく、年齢を重ねると歌い方が似通って来る歌手がいるが、ディランもそのひとりなのかという思いが勝手に自分の中にあった。
昔、彼の半生を記した伝記を読んだが、その中でディランは「どうしていつも同じように歌わなければならないんた?そんなことはとても堪えがたいことだ」と、歌うたびに微妙にメロディを変えていた。それが微妙なうちはよかったのだが、どれも同じメロディになった時は聴くに堪えなくなってしまった。自分の大好きだったディランがこんなワンパターンで歌うしか才能がなかっのか。そんなことまで考えてしまった。

そのような経緯で私はディラン離れを完全にしてしまったかのような状態をずっと続けていた。

しかし、例えば精神的に抑圧された状態にある時、頭の中で奏でられる曲は、いつもディランの「Like a rollingstone」だった。顔では平然を装っても、心の中では「How does it feel」と叫んでいた。もし、バックバンドを従えて1曲だけ公衆の面前で歌う機会があったとしたら、最も歌いたい曲が「Like a rollingstone」だ。歌った次の日から声が全く出なくなってもいいから、激しくシャウトしたい。

そして、ブログを始める時にタイトルを考えたらやっぱりボブ・ディランの曲であった。

I sahll be released 私がブログを始める動機が全てこの言葉に凝縮していた。

結局私はボブ・ディランから離れられないのだ。
私が抽象的な詩を書く時、ついつい思い出してしまうのがディランの歌詞の一部だ。最近の彼の演奏をYOU TUBEで聴くと、どの曲も同じメロディで歌っているのがより顕著になってしまっている。もうこれは音楽ではない。そう、これは音楽ではなく詩の朗読なのだ。
今回ノーベル賞の受賞が決まって論戦が起きた。ボブ・ディランは音楽なのだから文学賞にはふさわしくない、いや、彼の詩は文学性が高い。色々な意見があったようだ。だが、私に言わせると、現在の彼は音楽というより詩の朗読を、バックで演奏されている演奏に載せてしているだけなのだから、それは立派な文学であると思えて仕方ない。

ともかく、何かを突き詰めて考えて行くと、私の場合、ディランがそこに現れてしまうことだけは確かなことだ。ノーベル賞受賞者かどうかなんて、きっとディランが思っているくらい私も意味のないことだと思う。それは村上春樹がノーベル賞をもらえなくても、彼の作る小説が常に優れた作品であるのと同じことだ。

「言葉」に関して、私はBob Dylanから多くをもらった、それはどんなノーベル賞作家でも与えてくれなかったものである。





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いつも思うのだが、樹とはあらゆる偶然が重なって、人間の想像を超えた人間が「創造」できない芸術品だ。

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撮り方によって、またはカラーと白黒によって、同じものでも全く別の生物体に見えてくる。

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撮り方によっては、美しくもなり、自然の淘汰の中で生き残ってきた逞しさや、「人間では想像のできない」自然美を表現してくれる。

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自然が美しくなければならない理由なんて何もない。それは、樹を見た時、「きれい」と思うように仕組みこまれ、それを探して喜ぶことが「きれい」を求めるが第一優先の人の正当化となっているだけだろうと思う。

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自然は、時には何よりも残酷だ。生きるか死ぬか、静かな戦いが「きれい」と言われる風景の中で起きている。

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これから冬になり、自然そのものが眠っているかのように見えるかもしれないが、樹は静かに、ひっそりと音も出さずに、自らの生命をかけて戦っているはずだ。




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何度も繰り返してお話ししていますが、私は奥入瀬に命を感じ、そのパワーをいただくために行っております。
でも、それをなかなか写真におさめることができませんでした。そして今回も現地で撮影後液晶モニターで見た段階では、今回もダメだったかなと思いましたが、一眼レフ撮影の写真を現像しましたら、以前に比べると少しくらいは「命」を撮れたかな、と思いました。

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もちろん、まだまだ違った表現でも撮れたのではという反省も多々ありますが、ある程度は技術ももちろんあるでしょうが、やはり「命」に対してより敬虔な心にならないと、求めているものは撮れないのだなと思った次第です。

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また来年行った時は、より奥入瀬が持っている「命」と会話をして撮影したいと思います。

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あるブログで、あるプロと思われるカメラマンが、「技術を追求して行ったら、自分の写真が詰まらないものになってしまった」というコメントを記しているのを読んだことがある
まったくその通りだと思う。少なくても私にとっては、それと同じ経緯を辿っているように感じる。以前より数段優れたカメラを使っているのだから、前よりもいい写真が撮れるかといえばそうではなかった。一般的な「いい写真」はほとんど撮れていなかった。
先日の宮城県での写真も、決してしっくりくるものではなかった。


それはなぜだろう?
宮城県から帰って1か月経ってからあることに気付いた。心のり目でファインダーを覗いていなかったからだ。
それは必ず写真に出る。技術のことばかり考えていると、被写体の心が見えなくなる、被写体から受ける自分の感性がカメラに伝わらなくなる。
そして平凡な写真が誕生することになる。

それに気付い時に、今までとはちょっと違うようなモデルさんを偶然見つけることができた。その被写体の「いい写真」を撮るためには、外観から写真を撮るのではなく、内面から撮ることが必要だとわかった。

また、やっぱり写真の話をしてしまう私でした。




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